第3話 霧の朝と、木漏れ日の下のレシピノート
目が覚めると、小屋の外はしっとりと白かった。
霧だ。森の朝はときどき、こうしてゆっくり目を覚ます。
遠くの木々はぼんやり輪郭だけが見えて、音さえも少し柔らかくなる。まるで世界全体がまだ夢の中にいるみたいだ。
ぼくはひとつ大きくのびをして、毛布を整える。
となりのベッドでは、ノアがすぅすぅと寝息を立てていた。
小屋に泊まるのはこれで3日目。
最初は「べ、べつに泊まりたいとか思ってないし……!」なんて言っていたけど、いまやすっかり畑の水やりも板についてきた。
きょうも素材拾いの予定だったけど、この霧じゃ少し遅らせたほうがいい。
ぼくは静かに台所に立ち、乾かしておいた野草を小鍋に入れる。
《月草》の葉、《木苺の根》、そして昨日ノアが見つけた《甘鳴き草》——これを入れると、ほんのりバニラのような香りが立つ。
霧の朝にぴったりの、あたたかいお茶になる。
お湯がふつふつしてきたころ、ノアがむくりと起き上がった。
「……なんか、いい匂い……」
「おはよう。甘鳴き草のティー。飲んでみる?」
「うん……」
まだ髪がぐしゃぐしゃのまま、ノアは椅子に座ると、あたたかいマグを両手で包んだ。
「……ん。おいしい」
「でしょ。霧の朝にはこれがいちばん合うんだ」
ふたりでお茶をすすりながら、ぼんやりと霧を眺める。
何も話さなくても、満ちている感じがした。
◇ ◇ ◇
朝食は、昨日残っていた“黒実パン”と、ぼくが摘んできた《金色まめ》のスプレッド。
金色まめは、やわらかくてほんのり甘い。すりつぶしてバターと混ぜて、ちょっと塩を足すと、パンにぴったりのペーストになる。
「……これ、売れるよね……?」
「売らないけどね」
「なんでっ!?」
「食べるために作ったから」
ノアがわなわなと震えている。ふふ、やっぱりちょっと変な子だな。
◇ ◇ ◇
霧が晴れるまでのあいだ、ぼくらは裏庭でのんびり過ごすことにした。
ノアは昨日から夢中になってる“レシピノート”を書いている。
拾った素材を使って、どんな魔導具が作れそうか、どんな料理に応用できそうか、ぜんぶ記録しているらしい。
「この《霧玉の実》、乾かしたら中から音が出るの。振ると、コロコロって。これを使った音感測定器とか、どうかなって……」
「それ、面白いかも」
「でしょ! あと、乾燥しゅわ草と一緒に瓶に詰めたら、振ると“しゅわっ”て鳴るんじゃないかなって。癒しグッズ!」
わくわくした顔で語るノアを、ぼくはハーブの剪定をしながら横目で見ていた。
なんだか、森にひとつ、明るい火が灯ったみたいだった。
◇ ◇ ◇
昼前になって、ようやく霧が晴れてきた。
森の奥へ素材拾いに行く前に、ノアが突然言い出した。
「……この時間、ちょっと好きかも」
「霧の朝?」
「うん。ふつう、学校じゃこんなゆっくりしてられないし、朝ごはんもこんなに丁寧じゃないし……なんていうか、落ち着く」
「落ち着くって、いい言葉だね」
ノアはくすっと笑った。
「レトってさ、魔法とか使わないの?」
「一応、火の魔法くらいは。でもあんまり派手なの、向いてないから」
「……わかる。わたしも、クラフトのほうが合ってる」
ふたりで森へ歩き出す。
光が差しこむ小道、すこし湿った葉っぱの匂い。
ひとつひとつ拾っていく素材は、宝石みたいにキラキラして見えた。
◇ ◇ ◇
「この《ほほえみ実》、乾かしてポプリにできないかな……」
「うん、あとで試してみよう」
何気ない会話だけど、どこか心があたたまる。
森の時間は、いつもそうやってぼくたちに静かな贈り物をくれる。
◇ ◇ ◇
夕暮れ、素材を並べて、ノアが試作に入る。
ぼくはその間、ハーブの保存瓶を磨いたり、お茶の葉を整理したり。
「……できた! 見て、これ!」
ノアが得意げに差し出したのは、小さな小瓶。 中には《しゅわ草》と乾燥《霧玉の実》が入っていて、振るとほんのり光って音が鳴る。
「癒し瓶、名づけて“しゅわころりん”!」
「……いい名前だと思う」
「なにその微妙な言い方!」
ふたりで笑いあって、そのままぽすんと床に座りこむ。
窓の外では、夕焼けの光が森を赤く染めていた。
「ねえ、レト。しばらく、ここにいてもいい?」
「もちろん」
それ以上、なにも言葉はいらなかった。
ゆっくり、あたたかく流れる時間の中で。
静かに、静かに、ひとつの物語が育ちはじめていた。