第2話 銀髪ポシェットの女の子と、はじめての共同素材拾い
森に暮らすようになって、三ヶ月が経った。
朝は自然に目が覚める。目覚ましの音も、スヌーズボタンもない。ただ、鳥の声と、風に揺れる葉のざわめきが、やさしくぼくのまぶたを持ち上げてくれる。
きょうも天気がいい。
小屋の外に出て、大きくのびをする。背中の骨がぽきぽき鳴って、呼吸が体の奥まで届くような気がする。
空は高くて、澄んでいて、吸い込まれそうだ。どこまでも遠くへ行けるような気がするけど、ぼくはここにいる。
小屋の脇では、昨日干した《星影草》がゆらゆら揺れている。もうちょっとで瓶詰めできそうだ。
きょうも、のんびりと素材を拾いに出かける予定だった。そう、予定だったんだけど——
「……で? あんた、なに人?」
森の小道に、ひとりの女の子が立っていた。銀色の髪をふわりと風になびかせて、鋭い目つきでこちらをにらんでくる。
「えっと……レトっていいます。森に住んでる拾い屋です」
「拾い屋? ……こんな森に?」
「うん、素材がいっぱい落ちてるから」
「はあ……なんかもう、よくわかんない……」
少女は、肩にかけたポシェットをごそごそと漁っていた。中から出てきたのは、くしゃくしゃになった地図の“破片”。
「……迷った?」
「……否定はしない。けど、別にあんたの助けなんて、いらないからね」
明らかに助けが必要な顔で言われた。ぼくは小さく笑って、ポシェットから乾燥甘草の根を取り出す。
「疲れてるでしょ? これ、かじるとちょっと元気出るよ」
「…………ありがと」
警戒心はまだ解けていないけど、それでも彼女は甘草を受け取って、もぐもぐと噛んでいた。口の中にほのかな甘さが広がると、ほんのすこしだけ、肩の力が抜けたように見えた。
◇ ◇ ◇
そのあと、ぼくはとりあえず小屋へ案内した。
少女は少し驚いたようだった。そりゃそうだ、森の中にいきなり小屋と畑と、物干し棚と、即席ハーブ棚があるなんて思わないだろう。
「……暮らしてるの? 本気で?」
「うん。ちゃんと、野菜も育ててるし、ハーブも干してるよ。ほら、ここに座って。ミントティー淹れるね」
「……なんか、もう、うそみたい」
ポシェットの少女はしばらく呆然と座っていたけど、ぼくが《銀葉ミント》と《森苺の葉》で淹れたハーブティーを一口飲むと、すこしだけ頬がゆるんだ。
「……あったかい……」
「でしょ。森の中は、案外いろいろ採れるんだよ」
「……あんた、変な子ね」
「よく言われる」
そんなふうにして、やっと会話らしい会話ができた。
◇ ◇ ◇
少女の名前はノア・リヴィエール。王都にある“創具学院”のクラフト職人見習いらしい。
「“試験課題”だったの。森の素材でオリジナル魔導具を作れって。でも、まさか迷子になるとは……地図、安物だったのよ……」
ちょっと情けなさそうな顔。でも、ここで泣いたり怒ったりしないあたり、ノアは芯が強い。
「じゃあ、素材拾い、手伝おうか?」
「……いいの?」
「もちろん。素材拾いはぼくの得意分野だからね」
ノアは、ほんのすこしだけ、口元をほころばせた。
◇ ◇ ◇
翌朝、ふたりで森に出かけた。
陽ざしがやわらかく、風が静かに草を揺らす。ノアは昨日よりも表情がやわらかくて、少しだけ笑顔だった。
「ねえ、その葉っぱ、どこで拾ったの?」
「これ? “しゅわ草”。乾かすとしゅわっとするんだ。炭酸水に入れるとおいしいよ」
「うそ……それ、超レアじゃん……!」
スローライフのペースに、少しずつノアも馴染んでいく。
拾いながら話す。歩きながら笑う。座ってお茶を飲んで、また歩く。そんなふうに過ぎていく時間は、とても静かで、とても楽しかった。
「ねえ、レト。森で暮らすのって、こんなに気持ちいいの?」
「うん。ぼくは、ずっとこうしていたいくらい」
「……ちょっとだけ、わかるかも」
ノアはポシェットの中からさっき拾った《しゅわ草》を取り出して、大事そうに眺めていた。
◇ ◇ ◇
夕方、小屋に戻ると、ノアは「魔導具づくりのアイデアが浮かんだかも」と言って、拾った素材をひとつひとつ並べはじめた。
ぼくはその間に、ナッツとしゅわ草のビスケットを焼くことにした。黒陽ナッツを砕いて、しゅわ草といっしょに混ぜて、こねて、薪オーブンに入れる。
焼けるまでのあいだに、ミントティーをもう一杯。
甘い香ばしさとミントの香りが、あたたかく小屋を包みこむ。
「……しあわせ……」
ビスケットをひとくちかじったノアが、小さくつぶやいた。
ぼくはなんだか、それがすごくうれしかった。
魔導具づくりも、素材拾いも、まだまだこれからだけど、今日はきっと、おたがいにとって“ちいさな冒険”の一日だった。
ゆっくりだけど、すこしずつ、森の時間にふたりぶんの足音が増えていく。
そんな夕暮れだった。