第18話 森の奥で、魔瘴の根を探して
調査から三日が過ぎた。森の空気は、少しずつ重くなっている気がした。 表面上は静かで、鳥も鳴いているし、虫も動いている。けれど、気配の奥底に、何かがひっそりと眠っている。そんな空気だった。
小屋の机には、ノアが描いた地図が広げられていた。 魔瘴の痕跡を記した赤い印が、森の中央から放射状に点在している。
「中心、ここだね……」 「うん。この間の魔瘴獣がいた場所と、空気が歪んでた場所。それから、古い採掘坑の入り口。 全部がこの辺りに集まってる」
ノアは眉をひそめ、ポルンが鼻先で地図をつついた。 「おそらく、森の魔瘴の“根”は、この一帯にあるってことになる」
ぼくは、持っていたノートをめくって、これまでの観察記録を見返す。 魔瘴の濃度、動物の行動変化、植物の変色、そして風の流れ—— どれもが、少しずつ中央へと引き寄せられているように見えた。
「……明日、中心部に入ってみよう。たぶん、そこに何かある」 「うん。でも、完全装備で行こう。私も装備、今日中に仕上げる」
◇ ◇ ◇
夕方。ノアは作業机で、道具の調整に没頭していた。 今回の調査用に準備していたのは、魔瘴感知機能付きのマントと、魔瘴結晶を一時的に無力化する拡散器。 どちらも、魔力の波長を変化させる仕組みを使った、彼女らしい工夫の詰まった装備だった。
「魔瘴って、ただ“毒”ってわけじゃないのよ。魔力の乱れが自然に蓄積されて、濁って、残ってしまう」 「それって、感情とか記憶みたいなものが、魔力に残って……?」 「そう。だから、魔瘴の濃い場所は“何かの痕”があるってこと」
ノアの目が、どこか遠くを見ていた。 まるで、何かを思い出しているような。
「……それって、誰かがこの森で、何かを失ったってことなのかな」 「可能性はある。でも、まだわからない」
静かに夜が更けていった。 ポルンがうとうとして、ノアは最後の調整を終え、マントをそっと畳んだ。
◇ ◇ ◇
翌朝、森の奥へと進んだ。 風はなく、空気はひんやりとしていた。朝露が葉を濡らし、太陽は木々の合間からうっすらと差し込んでいた。
ぼくたちは、地図で示した“中心”に向かって進んでいく。 途中、倒木や土の崩れ、変色した苔などが増えてきた。 魔瘴の影響は確実に深まっている。
「……レト、これ見て」 ノアが指差したのは、地面の裂け目だった。 裂けた土の中から、薄い紫色に染まった鉱石のような結晶が顔をのぞかせていた。
「魔瘴結晶……だけど、これは天然じゃない」 「……人為的に加工された?」 「うん、しかも古い。魔導工房の痕跡かも」
つまり、誰かがここで魔力を使って何かを作ろうとしていた。 それがうまくいかず、魔力が歪んで……今の魔瘴の根になった?
「もう少し奥を見てみよう」
ぼくたちはさらに進む。 次第に、森の音が薄れていく。鳥の声も、風の揺らぎもなくなり、ただ乾いた枝の音だけが響いていた。
そして、開けた空間にたどり着いた。
地面は平らで、中央には石を組んだ基盤のようなものがあった。 周囲には、崩れた装置の残骸。金属のかけら、焼け焦げた布、歪んだ水晶の破片。
「……ここ、研究所だったのかも」 「魔導具の実験場? ……でも、どうして森の奥に?」 「隠すため、かな」
ノアが小声で言う。
「何か、大きなことをしようとして……でも失敗して、魔瘴が残った。そんな感じがする」
空間の中央に残された結晶の塊に、そっと手をかざす。 かすかに温かい。 まだ、生きている。
「これは……“魔瘴核”。魔瘴獣の核かもしれない」 「じゃあ……近くにいる?」
ぼくは静かにうなずく。
「たぶん、ぼくたちを見てる。まだ……試されてる段階かも」
◇ ◇ ◇
その日、ぼくたちは引き返すことにした。 結晶を一部回収し、ノアが持ち帰って分析することになった。
森の奥には、確かに何かがあった。 それは、単なる自然災害ではなく、誰かの意図と過去が絡んだものだった。
小屋に戻る道すがら、ポルンが一度だけ、背後を振り返った。 その視線の先に、何がいたのかはわからない。
けれどぼくたちは、確かに感じていた。 森が何かを抱えていること。 そして、それが静かに目を覚まそうとしていることを。