第17話 本格調査と、森の深部に響く鼓動
魔瘴獣との初めての対峙から数日。 森は再び静けさを取り戻しているように見えた。 けれど、それはほんの薄皮のような静寂で、すぐ下には、何かが蠢いている気配が確かにあった。
レトは、小屋の机の上に広げた地図をじっと見つめる。 古い採掘坑の記録、獣道、草木の生育分布、魔力の流れ――。 今までの経験と感覚で描き足されたそこは、もはや単なる地図ではなく、森の“鼓動”のようなものだった。
「レト、こっちの線、濃くなってる」 ノアが指差したのは、魔瘴の影響を受けて変色していたキノコの群生地点だ。 「うん、あの辺り……魔力の流れが滞ってる。あの魔瘴獣が通った可能性があるね」
ふたりは、いよいよ本格的な森の調査に乗り出すことにした。 ノアは例の対魔瘴装備――軽量のフィルターマントと小型の魔導計測器を身につけていた。 マントは空気中の瘴気をある程度遮断し、内部を清浄に保つ仕組み。 魔導計測器は、瘴気濃度と周囲の魔力流を読み取ってくれるノアの試作品だ。
「準備はできてるよ。……ちょっとだけドキドキしてるけど」 ノアは笑うけれど、その指先にはわずかな緊張が走っていた。
「僕もだよ。……でも、今ならきっと大丈夫。ひとりじゃないしね」
ポルンがその足元で小さく鳴いた。 3人は、森の奥へと足を踏み入れる。
◇ ◇ ◇
森は、思った以上に変化していた。 葉の色がわずかに褪せ、木の幹には小さなひび割れがある。 鳥や小動物の気配も少なく、風が通るたびに、湿った空気が濃く感じられる。
「……ここ、空気が重たい」 「瘴気の濃度が高まってる。ノア、無理はしないで」
レトは手にした枝で地面の土を少し掘る。 そこには微かに紫がかった根の染みが広がっていた。
「根まで侵されてる。これは長く放置できないね」
ノアが魔導計測器を掲げ、数値を読み上げた。 「ここ、周囲より濃度が約二倍……でも、中心ではない気がする」 「うん、ここは“通り道”だね。魔瘴獣が、何かを探してるような感じがする」
◇ ◇ ◇
さらに奥へと進む。 そこには崖のように開けた岩場があり、古びた採掘坑の入り口が、蔓草に覆われて口を開けていた。
「ここが……古文献にあった坑道……」 「ずいぶん長く使われてなかったんだろうね。でも……足跡がある」
レトはしゃがみこみ、湿った土の上に残された蹄のような痕跡を指さす。 「この形……あの魔瘴獣と似てる。やっぱりここが拠点かもしれない」
ノアはそっと蔓を払い、坑道の中をのぞき込む。 真っ暗で、風すら通らない。 けれどその奥から、微かに何かの音が響いてきた。
──トン、トン、と、遠くで石を打つような鈍い音。
「……これ、何の音?」 「わからない。でも、生き物の気配じゃない。……何か“働いてる”音に近い」
坑道の中で、何者かが動いている。 それは魔瘴獣か、それとも──。
「今日はここまでにしよう。これ以上中に入るのは危険すぎる」 「うん、戻って作戦を練ろう」
◇ ◇ ◇
小屋へ戻ったふたりは、記録と地図を広げ、再び調査のまとめに入る。
魔瘴の進行方向、濃度の変化、気配の質の違い……。 レトは少しずつ、それが単なる“魔物の徘徊”ではないことに気づき始めていた。
「ノア、あの坑道の奥……たぶん、何かを“作ってる”」 「作ってる?」 「うん、あの音はそういう音だった。……まるで、何かの“拠点”を整えてるみたいな」
ノアが沈黙する。 ポルンが不安げに足元をくるくると回った。
「じゃあ、森は……“侵食される”んじゃなく、“奪われようとしてる”ってこと?」 「かもしれない」
穏やかな森の深部で、静かに始まりつつある異変。 それは、ただの災厄ではなく、意志ある何者かの行動かもしれない。
この森を守るために、3人はこれまで以上に、慎重な一歩を踏み出さなければならなかった。