第15話 静かなる備えと、ノアの新たな装備
森に漂う魔瘴の気配が、少しずつ濃くなってきていた。 目に見えないそれは、風に紛れて、小さな生き物たちの気配を鈍くさせ、草木の葉先を静かにくすませる。
採掘坑の入口で感じた“ざわつき”は、気のせいではなかった。 だからぼくたちは、小屋に戻るとすぐに、それぞれの“備え”を始めることにした。
◇ ◇ ◇
ポルンは、朝から警戒モードだった。 珍しく物音に敏感で、軒先に落ちた木の実にも耳を立てる。
「……ねえ、レト。魔瘴のこと、もう少し調べた方がいいよね」
ノアが道具棚を整理しながら言う。 その声は真剣で、けれど、怖がっているわけではなかった。
「うん。魔瘴って、普通は地下深くの毒素と魔力が混ざってできるもの。地表に現れるのは、相当やっかいだよ」
そして、それが森に影響を与えているとしたら、放ってはおけない。
ぼくは手持ちの薬草や鉱石を再確認し、仮の“対魔瘴”薬を数本、作り置くことにした。 実験的に調合した“ススニカの灰”と“シル樹脂”を混ぜた解毒煙草も、火をつければ多少は空気を清浄化できるはずだ。
「ノア、何か新しい装備って作れそう?」
「うん、ちょうど考えてたの。魔瘴の粒子をある程度フィルタできるゴーグルと、簡易結界のついたクローク」
「すごい……ほんとに作れる?」
「試作品だけどね。うまくいけば、採掘坑の中でも少し安心できるかも」
ノアは言いながら、作業台の上に設計図を広げた。 布地には、防魔性の高い“夜羽布”が使われている。魔力を通しにくい特殊な繊維で、魔導具職人の間でも扱いが難しい素材だ。
「でもこの布、扱いにくいから縫製がうまくいくかは運次第……」
「一緒にやってみよう。ぼくも、針仕事は少しできるから」
「ほんと? じゃあ、ミシンじゃなくて手縫いでやってみようかな」
そう言って、ふたりで作業に取りかかる。 小屋の中に、布を切る音と針が布を通る音が響く。
◇ ◇ ◇
午後になって、クロークの試作が完成した。 見た目は地味な灰青色で、ノアが手縫いで仕上げたフード付きのデザインだ。 裾の内側には、ノアが独自に組んだ結界紋の織り糸が隠れている。
「試してみて」
ぼくが羽織ってみると、たしかに空気の重さが少しだけ和らいだ気がする。 結界はまだ完全じゃないけど、じわりと守られている感じがあった。
「すごいよノア。ちゃんと機能してる」
「よかった……あとでゴーグルの方も試してみて」
彼女は額に汗を浮かべながらも、どこか嬉しそうだった。
そしてぼくも、ポルン用に小さな“香草玉”を作った。 口に入れても安全で、魔瘴のにおいを一時的に中和できる。
「ポルン、これは“お守り”だよ。あんまり無理しなくていいからね」
ポルンはくんくんと鼻を鳴らし、しっぽを小さく振った。
◇ ◇ ◇
夕暮れ、空が鈍い茜に染まる頃。 ぼくたちは、小屋の前に並んで座り、温かいミルクスープを飲んでいた。
「……森、少しずつ変わってるね」
「うん。でも、だからこそ、こうして準備するんだ」
何かが起きたとき、誰かが困ったとき、そのときにすぐ動けるように。 スローライフは、ただのんびりしているだけじゃない。 静かに、でも着実に、備えていくものでもある。
ミルクスープの湯気の向こう。 ノアとポルンと並んでいるこの時間が、なにより大切だった。