第1話 転生先が素材まみれの森でしたので、拾って干して、お茶を淹れて暮らしてます。
もしもう一度、人生をやり直せるとしたら。
あなたは、なにを選びますか?
剣と魔法の世界で名声を得ること?
魔王を倒して、世界を救うこと?
それとも、誰にも邪魔されない場所で、ただ静かに暮らすこと?
この物語の主人公は、後者でした。
素材を拾って、干して、お茶を淹れる。
木漏れ日の差す森のなかで、静かに、穏やかに、ただ“生きる”日々。
特別な力も、派手な冒険もないけれど、
きっとここには、ささやかだけれど確かな幸せが詰まっています。
さあ、転生先の森で始まる、のんびり素材拾い生活。
ひとつひとつの季節と、草花と、素材たちと、
そして時々すこしの出会いと変化を楽しむ、
そんな物語を、どうぞごゆるりと。
頭の下にはふかふかの苔。
鼻をくすぐるのは、土と草の混じった、やさしいにおい。
見上げた空は、びっくりするほど青くて、雲が、羊みたいにふわふわと流れていた。
「……ああ、たぶん、死んだんだなあ」
そんなふうに、すんなりと思えたのは、たぶん前の人生がだいぶ疲れていたからだ。
最後の記憶は、蛍光灯の白い光と、PCのモニター。
ずっと仕事をしていた。
納期、エラー、上司、深夜、そしてまた納期。
一日を乗り切っても、また次の一日がやってくる。
心が磨り減る音を、はっきり感じていた。
だから、こうして終わりが来たことに、少しも後悔はなかった。
むしろ、心のどこかで、ほっとしている自分がいた。
でも、それが“異世界転生”だなんて、さすがに想像していなかったけれど。
◇ ◇ ◇
目の前に広がるのは、どこまでも続く森だった。
木々の間から差し込む朝の光が、葉っぱを透かしてきらきら光る。
小さな花が足元に咲いていて、ちょっと手を伸ばすと、甘い香りがした。
遠くからは、小鳥のさえずりと、小川の流れる音。
まるで、ジ〇リ映画の最初の10分間みたいな、やさしい世界。
「……まず、水、探さないとね」
喉が渇いていた。
ゆっくり立ち上がると、背中に何かがある感覚に気づいた。
見下ろすと、布製の小さなバッグ——まるで“冒険者の初心者セット”みたいなポシェットがついていた。
中をのぞくと、地図、ひも、乾いたパンみたいなもの、そして小さなナイフ。
「……うん、異世界だねこれは」
苦笑しながらも、少しわくわくしていた。
◇ ◇ ◇
最初の一週間は、とにかく“生きるため”の時間だった。
水場を見つけ、木の実を見つけ、変なきのこをかじって吐いて、食べられる葉っぱを覚えた。
その過程で、自分に“素材鑑定”っぽいスキルがあることにも気づいた。
なんとなく、葉っぱを見たときに名前が浮かんでくる。
手にした鉱石の使い道が、ぼんやり頭に浮かぶ。
「これは《銀葉ミント》。疲労回復と、ちょっとした鎮静作用。お茶に向いてる」
「こっちは《黒陽ナッツ》。火で炙ると甘みが増す」
……なんか、RPGの図鑑スキルみたいなやつ。
この世界の魔法とか剣とかには縁がなさそうだけど、素材を見つけるのは得意らしい。
そして、それが妙に心地よかった。
◇ ◇ ◇
一ヶ月後、小屋を建てた。
といっても、もともとあった古い祠を補修して、屋根を直して、壁に板を貼っただけのもの。
でも、ちゃんと雨も防げるし、風も抜けるし、気に入っている。
入り口には、木の枝を組んで作った“もの干し棚”がある。
毎朝拾ってきた薬草や木の実を、そこに広げて乾かすのが日課だ。
「今日は……《夕露草》がたくさん採れたなあ」
夜に花が開き、朝に閉じる不思議な草。乾かすと、ほんのり青紫の色素が出て、染めにも使えるらしい。
こういう素材を拾って、干して、瓶に詰めて、棚に並べていくと、なんだか“暮らしてる”って実感が湧いてくる。
◇ ◇ ◇
午後は、お茶の時間。
鍋に水を汲んで、乾燥させた《銀葉ミント》をひとつまみ入れる。
薪に火をつけて、コトコト煮出していくと、やわらかな香りが部屋いっぱいに広がる。
「ふう……、今日もいい天気だった」
カップを手に、小屋の縁側で座る。
目の前には、広がる森。ゆれる葉っぱ。たまに走り抜ける小動物の影。
ぼくは、それをぼーっと眺めながら、お茶をすする。
これといって何かすごいことをしてるわけじゃない。
でも、心の底から「今、生きてる」って思える。
◇ ◇ ◇
日が傾く頃、木の実を砕いてナッツバターを作る。
すり鉢でじっくりと時間をかけて練っていくと、油が出て、しっとりとしたペーストになる。
それを昨日焼いておいた硬めのパンに塗って、晩ごはん。
デザートは、甘くした《夢詠草》のコンポート。
ほのかな酸味があって、やさしく眠気を誘ってくれる。
「……うん、最高」
誰も褒めてくれないけど、自分の中で「今日もよくやったなあ」と思える日々。
静かで、ゆっくりで、なにも急かされない。
それが、こんなに幸せなことだなんて、前の世界では気づけなかった。
◇ ◇ ◇
その日。
木の実を干していると、小さな足音が森から聞こえてきた。
「……な、なんでこんなとこに人がいるのよ……っ!」
振り向くと、銀髪の女の子がいた。
顔を真っ赤にして、肩に大きなポシェットをぶら下げている。
その瞬間、ほんの少しだけ、風向きが変わった気がした。
長く続いていた静かな日々に、小さな変化の種が落ちてきたような。
──素材拾いだけで暮らしていたぼくの森に、
ちょっとやかましくて、ちょっとまぶしい来訪者がやってきたのだった。