婚約破棄ですか?よろこんで!
陽光がきらめく初夏の空の下、王立アカデミーは学園祭で賑わっていた。
その中でも一際賑わっている場所があった。
「風の精霊さん、よろしくお願いね」
伯爵令嬢ココル・ワイズリーは、精霊研究部のブースで精霊たちに協力してもらい精霊術を披露していた。
花の精霊が色とりどりの花びら降らせ、風の精霊が、小さな風を起こし花びら幻想的に舞わせる。
そして部屋の照明が落とされ、今度は火の精霊がパチパチと色とりどりの火花を暗闇の中を照らした。
この国で精霊術は極めて珍しいため、観客たちは感嘆の声をあげて魅入っていた。
みんな笑顔だ。
「ふふ……喜んでもらえてよかった」
観客たちの反応を見て、ココルは嬉しそうに微笑んだ。
みんなココルの精霊術に夢中だったが、一人だけ違うものを見ている者がいた。
ココルの隣に立つ青年だ。
きらめく金髪の美しい青年は、ポケットから鏡を取り出すと、自分の顔をマジマジと見ていた。
「嗚呼、やはり僕は美しい。ココルの精霊術も、僕の存在で更に魅力的になっているね」
ハリス王子は、うっとりと鏡に向かって呟く。
まるで、ココルの精霊術が魅力的なのは自分のおかげだと言っているようだ。
その発言に精霊たちはムッとしたのか、ハリスの真後ろの風船をパンッとはじけさせた。ハリスが、その音にびくりと肩を跳ねさせた姿を、精霊たちがクスクス愉快そうに笑って見ているのを、ココルは苦笑しながら見守っていた。
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夜になり、学園祭はクライマックスを飾るダンスパーティーが湖畔のガラスホールで始まった。
ガラスの壁に灯るシャンデリアの光が湖に反射し、夢のような景色が広がる。
ファーストダンスは王族が在学中の場合は、王族とその婚約者が踊ることになっている。
ココルはハリスに会場の真ん中までエスコートされるが、いつものように踊りだす様子がない。
訝しみながら視線を向けると、ハリスはココルをジッと眺めたあと、「はぁっ」とため息を吐いた。
「やはり……ココルは地味で平凡だな。僕の隣に立つには、輝きが足りない。いつか僕に見合う輝きを身につけると思って仕方なく婚約を続けていたが、一向に僕に釣り合う女性になる気配がない」
ハリス王子はもう一度深々とため息を吐きながら、言葉を続けた。
「なので、君との婚約を破棄することに決めた!」
ココルは目を瞬かせた。
会場は、ハリスの発言にシンっと水を打ったように静まり返ってしまっていた。
身勝手な婚約破棄の理由に「え、冗談だよね?」と周りの者たちは呆気にとられながら、成り行きを見守っている。
「私との婚約を破棄すると?」
沈黙を破ったのは、ココルの落ち着いた声音だった。
「ああ、そうだ。麗しく美しい僕には君は相応しくないだろう?」
「そうですか……わかりました。よろこんで、婚約破棄お受けいたします!」
そう返事をしたココルは、今まで見たこともないような清々しい笑顔だった。
「えっ……よろこんで?」
ココルの返事にハリスは目を丸くしている。
「以前からお互いに気持ちはなかったと思いますし、実は私、ずっと婚約解消したかったんです」
にこりと笑うココルに、周囲はざわついた。
「は? コ、ココル? 君は僕に執着していると思って……」
「え、どこをどう見て?」
首を傾げるココルに、ハリスは絶句する。
ココルはこれまでハリスの婚約者として、彼のフォローをしてきた。
これまでの発言で分かるように、ハリスは超絶ナルシストで、自分が一番だと心の底から思っている。そんな彼を引き立てつつ、周囲との軋轢を生まないように陰ながら支えてきた。
ハリスとの婚約が決まってから、ずっとだ。
婚約者教育を受けながら、ハリスのフォローをする日々は、ココルにとって苦痛でしかなかった。そのフォローも、さも全てハリス自身が行ったかのように発言するので、『ナルシスト王子だけど、優秀だよね』という印象を植え付けていたのだ。
まあ、そんなハリボテがいつまでも続くわけもなく、今では『ココル令嬢のフォローあってのハリス王子』と陰で囁かれているのだが。
口にはできないが、精霊たちが時々ハリスにいたずらするのを見るのが、ココルのストレス発散になっていた。
友人曰く「ココルはハリス王子の側にいるとき、死んだ魚の目をしているわ」らしい。
ココルがハリスに執着しているなど、どこを見たらそんな風に思えたのか不思議だった。
周囲から、苦笑するようなクスクスという笑い声が聞こえはじめる。
ハリスは顔を真赤にして「後悔しても知らないからな!!」と捨て台詞を残して、逃げるように会場から出ていったのだった。
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翌朝。
「愚か者め……」
王宮の執務室に静かに響く国王の声。
それは、ハリスに向けての言葉だった。
部屋の中には、王とハリスの他に司法官の姿もある。
ココルとの婚約破棄を進めるためにハリスが昨日呼びつけていたのだ。
ハリスとしては、地味で冴えないココルとの婚約を破棄して、自分に見合う美しい女性と新たに婚約をしようという安易な考えだった。
しかし、ココルは希少な精霊使いとしての能力を請われハリス婚約した__その婚約は王位継承者がするものとして。
よって、婚約破棄を申し出たハリスは、王位継承権を放棄すると言ったようなものだった。
「そのようなことは、聞いてないっ!」
ハリスは慌てたように言い募る。
そこに、いつものナルシストな余裕は見当たらなかった。
「三年前から何度も何度も……何度も説明しておりましたが」
側近が呆れ顔で呟いた。
司法官が、書類の束をハリスの前に積み上げる。
その書類には、精霊使いであるココルとの婚約が王位継承の条件であること、婚約・婚姻が不可能となった場合は王位継承権を放棄することが記されており、そこにはしっかりとハリスのサインもされてあった。
「この誓約書は公的文書ですので、王位継承権の放棄は覆りませんよ」
司法官にばっさり切り捨てられ、ハリスは顔面蒼白になったが後の祭りである。
一方、別の場所。
王宮の温室庭園。
睡蓮が浮かぶ池のそばで、控えめな微笑みを浮かべる青年が立っていた。
「ココルさん、私と婚約していただけませんか?」
ユーリ第二王子。
ハリスの弟であり、ココルの淡い初恋の相手だった。
「ずっと、頑張ってきた貴女を見ていました。お慕いしています」
ユーリは、婚約者教育とハリスのフォローに奔走するココルを心配して度々声をかけてくれていた。
控え目な性格のユーリだが、芯は強く、優しく聡明な彼に恋心を抱くのは自然な流れだった。
しかし、ココルはハリスの婚約者だ。
ユーリに対する恋心にそっと心の奥に鍵をかけて仕舞い込んでいた。
そしてユーリから向けられる恋慕の視線にも気が付かないフリをしていたのだった。
だがハリスから婚約破棄をされたことで、その気持ちを隠す必要はなくなった。
ココルは、嬉しさで涙が溢れてきそうになった。
「……私も、ユーリ殿下のことをずっとお慕いしておりました」
夕暮れの庭園。
精霊たちが舞い、花びらが空を彩る。
花びらが舞う中、ユーリとココルが、そっと手を取り合い踊っていた。
「貴女と婚約出来るだなんて夢みたいだ。兄上が婚約破棄してくれて、本当に良かった」
「ええ、私もです」
お互いに見つめ合い、微笑む。
ココルの心からの笑顔に、精霊たちも嬉しそうに二人の周りを舞っていた。
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