9 剣術と縁談と
ソラリスが剣術を習いたいと言い出したのは、それから間もなくの事だった。父の許可を得て、護衛のひとりから剣を習い始めた。ロゼは内心では剣を習うのに反対だったが、ソラリスが自らやりたいと言い出すのは稀な事なので言葉を飲んで見守ることにした。
毎日、午後の1刻から2時間ほど稽古は続いた。ロゼはその間を笛や裁縫の練習にあてた。そして剣術の稽古が終わる頃を見計らってソラリスの元へ行くのだ。
手を取ると、ロゼはため息をつく。ソラリスの美しかった掌は固くなり豆ができていた。
「痛いでしょう?」
「いえ、痛くありません」
そんな会話をしながら、手当てをするのが新しい日課となっていた。ソラリスは、剣術の筋も良いらしく、めきめきと力を伸ばして行った。
「姉上の笛が聞きたいです」
「私はソラリスの笛が聞きたい……でも、こんなに豆だらけの手では難しいわね……」
そこで、仕方なくロゼが笛を吹く。ソラリスは目を閉じてじっとその音色に聞き入った。
優しい時間がふたりの間を通りすぎて行く。ロゼとソラリスは共に14歳になろうとしていた。
「縁談、ですか……?」
父の言葉にロゼは驚いて声を上げた。この国の結婚は適齢期が女性は18歳頃だから不思議はない。けれどもソラリスよりも先に自分に縁談が来ることも驚いたし、結婚について実感のないのも事実だった。父は少し困った顔をする。
「父様の友達からの話で断れなくてね。そんなに堅苦しく考えなくても良いんだ。友達と会う位の気持ちで良い」
「友達……」
友達というならばソラリスがいる。他にも友達が欲しいとは思えなかったが、父も゙断れなかったのだろうと思いロゼは頷いた。
「わかりました。新しいお友達に会うんだと思っておきます」
そう答えると父はロゼの頭を撫でてくれた。
「すまないね。本当に気負わなくて良いから」
「はい」
その言葉にこくりと頷く。どんな子だろうという不安が頭をもたげた。できれば話が合う子だと良いけど……とロゼは考え込む。
「……姉上、姉上……?」
ソラリスに不審そうに顔を覗き込まれ、ロゼは物思いに耽っていたのを知って慌ててソラリスに視線を向ける。
「どうかなさったのですか?」
小首を傾げて尋ねられ、ロゼは逡巡した後、あのね、と打ち明けた。それを聞いたソラリスは驚いたように目を見開いた。ロゼは慌てて言葉を繋げる。
「父様はお友達に会う気軽な気持ちで良いってーー」
「結婚されるんですか?」
真っすぐに見つめられ、ロゼは言葉につまる。
「姉上が、結婚されるんですか?」
吸い込まれそうなほどの美しい深い菫色の瞳。ソラリスの美貌は成長するにつれ、ますます際立っていた。幼さがすこしずつ減り、背も伸びた。同じくらいだったはずの背は、今では頭半分、ソラリスのほうが高い。剣術の稽古をしているせいか、筋肉がつき肩幅も少し広くなった。
なぜだか直視できなくなり、ロゼはうつむいた。
僕は、とソラリスは言葉を続ける。
「僕は、それは嫌です」
ソラリスははっきりと言い切った。そしてロゼを覗き込むようにして見た。
ロゼは視線を逸らせた。なんだかおかしい。ソラリスが見知らぬ人のように見える。弟なのに、とロゼは思う。
その胸の困惑は中々止まず、ロゼを困らせた。