16 ソラリスの出自
朝になった。小鳥たちが囀る声が聞こえてくる。天気は良く晴れていて、部屋の中にも優しい朝日が差し込んできた。
ロゼは侍女に手伝ってもらいながらも、ぐずぐずと身支度をした。ソラリスとどういう風に顔を合わせ、なんと言って答えれば良いのかわからなかった。
そこへ扉が叩かれた。ロゼはびくりと肩を震わせる。どうぞ、と言えばやはりソラリスが入ってくる。
「ソラリス、おはよう」
わざと何もなかったように言うと、ソラリスが眉を少し顰めた。続けて人払いをすると、侍女達が頭を下げて退室して行く。
「姉上、昨日のこと……考えてくれていますか?」
「私は……あなたの姉よ……?」
「姉ではありません……!」
ソラリスが叫ぶようにそう言って、ロゼを抱きしめる。
姉ではない……? ロゼの頭は混乱していた。
「僕と姉上の間には姉と弟という繋がりはありません」
「繋がりがない……?」
「そうです。僕は父上の子ではありません。あなたの弟ではないんです」
突然の告白にロゼの思考が追いつかない。ソラリスは弟ではない? 父様と別の女性との間にできた子ではない? ならばーー私たちは血が繋がっていない? そこまで考えて抱きしめられていることに今更気づいて、ロゼは足掻いた。
「ソラリス、離して……!」
「離したくありません」
「ソラリス、お願いよ……」
弱々しく頼むと、ソラリスの力が緩んだ。ロゼはやっとソラリスから離れた。真っすぐソラリスを見つめる。深い菫色の瞳に傷ついたような色が浮かぶのを見た。それでもなお、ソラリスは言う。
「あなたが好きです……」
「ソラリス、私は」
「今は、答えを聞きません。僕が地位を取り戻したらーーその時には」
ソラリスはそう言うと、ぱっと身を翻し扉を開けて出て行った。離されてほっとした気持ちと、どこへ行くのかと不安な気持ちが綯い交ぜになった。
「地位ってどういうこと……?」
ロゼのつぶやきに答えてくれる者は誰もいなかった。
「父様……ソラリスは……」
朝餉の席にソラリスはいない。父に目をやると、父は静かに尋ねた。
「ソラリスになにか言われたか?」
「……血の繋がりはないと……」
「そうか」
父はため息をついてロゼを見つめた。
「ソラリスはロゼのことが好きなのだね」
そう言われて言葉に詰まった。あなたが好きです、と目に必死の色を浮かべて言い募ったソラリスの姿が脳裏に浮かぶ。
「ソラリスは僕が地位を取り戻したらーーと言っていました。父様、どういうことなんですか?」
「そう、言っていたのか」
父は深いため息を落とした。少し考える素振りをしてから、ロゼを真っ直ぐ見つめる。
「これは、秘められた話だ」
そう、前置きをして父は話し始めた。
物心ついた頃には僕はもうひとりぼっちだった、とソラリスは思う。
王宮の深い深い最奥の一部屋。そこだけが自分に許された空間だった。
父と母と呼べる人はいなかった。口さがない使用人から、自分という存在が疎まれているということを、幼いながら悟らざるを得なかった。
煌めく白銀の髪、菫色の瞳、陶磁器のような白い肌。アルーアの民の白い髪と黒い瞳、褐色の肌とはあまりにも違った。
先祖返りーーその言葉も使用人から聞いた。
昔、王弟の妻になったレアル出身の妃がいた。その人は白銀の髪に菫色の瞳、陶磁器のように滑らかな肌のとても美しい人だったという。王弟との間に、王女と王子を設けた。その王女と、当時の王太子が恋に落ちて結ばれた。
王家にはレアルの民の血が混じることになった。それでも問題はなかった。アルーアとレアルの両国間は友好的だったし、生まれた子どももアルーアの民の特徴を有していた。王子の方が王弟の後を継ぎ、レアルをはじめとした外国との外交面を担った。こちらの血筋には時々、レアルの民の血を濃く受け継いだ子どもが生まれたが、外交を担っていたため、なんの忌避感もなかった。
王家にはアルーアの民の血を濃く受け継いだ子どもたちが生まれた。
それから長い年月が経ち、王家にはじめてレアルの民の風貌を持った赤子が生まれたーーそれが自分だ、とソラリスは思う。王は疑った、王妃の不貞を。王妃は泣いて潔白を訴えたが、王の疑いはついぞ晴れることはなかった。王妃は嘆き悲しみながら病に倒れ、赤子だけが残された。
王家にあるまじき風貌を持ち、かつ、不貞の疑いのある子どもに、王宮は冷たかった。
第一王子でありながら、いない子どもーー死んだ王子として自分は育った。
最低限の教育、最低限の衣食住。最低限の使用人。このままゆるゆると飼い殺しにされてゆくのだ、と思っていた。誰からも愛情を受けられず、死んでゆくのだ、と。
窓から移り変わる景色だけが、自分にとって変化のあるものだった。
そんな日々が一変したのは、自分が十歳になったときだ。
「殿下、お迎えに上がりました」
その声にゆるゆると視線を向けると、自分と似ている薄い白銀の髪をした男の人が立っていた。
どこへゆくのだろうと思った。いよいよ殺されるのだろうか、と。その人は膝をついて自分の手を取った。
「殿下はここにいたいですか?」
その言葉にゆるゆると首を振る。ここは寂しくて暗いところだ。
「私の屋敷においでください。私はヘリオスと申します。殿下と同じ年の娘もおります。私たちと家族になりませんか?」
「家族……?」
それは聞き慣れない言葉だった。聞き返した自分にその人は言う。
「私は外交担当をしております。祖を辿れば、レアルの妃を迎えた王弟とその王子へと遡ります。殿下、あなたの髪色も瞳も肌も、先祖返りを起こしたもの。私は妹を信じています」
そのひとは、母を自分の妹と呼んだ。それでは、自分の伯父なのか、と思った。
「殿下の存在を確認すること、そして引き取ることを説得するのに時間がかかってしまい申し訳ありません。我が家においでください。私の家族として。娘の名はロゼと申します。きっと、殿下の良き姉になるでしょう」
「姉……?」
「はい。あの子の方が数カ月ですが年上ですので。殿下のことは私たちがお守りします」
自分に家族ができる。父がいて、姉がいる。そんなことは思い描いたこともなくて、ぱちぱちと瞬きをした。
「私のことはどうぞ父とお呼びください。幸い、私と殿下の髪色は似ております。娘も不思議と思わないでしょう」
そう言って手を差し伸ばされた。その手を取る以外の選択肢は思いつかなかった。