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高校生の時の私の朝は、いつも薄暗く、そしてとても寒かった。
陽が昇る前から大きなタイヤの自転車に乗り、セーターやダウンを何枚にも着込んで、その時住んでいた四百番台のボトム・ブロックの住宅街の新聞配達をしていたのだ。
それはずっと前に父が居なくなり、私が高校に入るなり母が病気になってしまったため、姉と私が働かなくてはいけなかったからだ。どちらかではなく、どっちもでなければいけないのには理由があり、姉はいつも息をするように「私が大学をやめれば」と言っていて、それに私が毎度の如く、猛烈に反抗したためだ。
姉は長女らしく真面目で、優しく、面倒見がよく、まさに人間の鏡のような人であった。どれだけ環境が劣悪だろうと筆を握ることを止めず、地道に一つ一つ学と歳を重ねて、塾に行くお金なんてなかったのに、隣町にあった大学に合格したのだ。そんな姉を私は心の底から尊敬していたし、また、かわいそうだとも思っていた。
何せ、姉には友達というものが居なかったのだ。姉はそれほど善き人であったのに、いつも家族の心配ばかりして、放課後に人とつるんだりすることもなかった。まだお母さんが元気なころだって、夜遅くまで働く母を慮り、家事の全てを一人でこなしていた。
その時も姉は、手伝おうとする私に「あんたは友達と沢山遊びなさい」と言い、洗濯物をたたむことさえ手伝わせてはくれなかった。姉は、そういう人間だったのだ。
だからその時の反動もあってか、とうとう母が働けなくなったとき、「大学を止めて働く」と言い出した姉と、私は一晩中怒鳴り合いの喧嘩をした。それまで私の中に蓄積されていた姉への感謝や後悔が、その時とうとう堪え切れなくなり、また反抗的な年頃だったのも相まって、朝が来るなり姉の静止も聞かず、勝手に応募していた新聞配達のバイトへと出かけたのだ。
それが姉が大学二年生で、私が高校一年生の冬の初め頃だった。丁度イズリーとタイタン山で出会う年末時期の、数か月前の辺りだ。
きっと私は姉に幸せになってもらいたくて、姉は私に幸せになってほしかったのだ。妹が生きていたなら、この厚かましいほどの情熱は、余すことなく彼女に注がれていただろう。私も姉と同じようになっていたというわけだ。
そんなわけで高校時代、朝誰も居ない住宅街で自転車を漕いでいると、私はよく妹のことを考えてていた。
それまでの人生でも、勿論妹を忘れたことなど一度もなかった。なんせ私にとって妹の事故死とは人生で初めての巨大な喪失体験であり、またその後トオルと出会った経験も相まって、何かを喪失したからこそ何かを受け止められるという、”喪失”というものの本質を、本能的に心のどこかで理解した、とても貴重な人生経験であったからだ。
いわば、喪失とは大海原の渦巻きや、夜空のブラックホールみたいなものなのだ。そこにあったものがなくなったから、その穴をふさぐために途轍もなく巨大な引力が生じ、運命や世界を表す、法則というものの辻褄合わせをするものまで合わせたものが、私にとっての”喪失”であるのだ。
だから私は高校生になってすぐ、母を失いそうになり、また姉と喧嘩をすれば、その空虚で無限大で、高校生までの間に”二度”もあった喪失の匂いを感じ、妹のことを色濃く考え始めたのだ。
もし妹が居れば。もし妹が死ななければ。そう、その時私がしていたのは、あくまでも妹を思い出すという行為ではなく、妹が居ればどんな人生を歩んでいるかといった空想であった。
そのたびに、私はなんだかやりきれないくらい切なくなった。それは悲しさや虚しさとは違う痛みだ。悲しくても、虚しくても、その痛みはどこか体に直結したような、いつかは時というものが治してくれる気さえしていたが、しかし切なさというのは、この先もきっと消えないような、例えるなら傷が痛い痛みではなく、傷が痛かったという記憶の痛みであるような気がした。
だから新聞配達の際、偶に一面に交通事故の四文字があると、都度、私は罪を糾弾されているような気分にさえなるのであった。
その日は、まさにそんな憂鬱なる裁判の日であった。誰もいない、薄く蒼い夜明け前独特の空気が辺りに立ち込めて、遠くの山向こうのシルエットが黒くはっきりとし始めたくらいの夜明け時だ。
私は新聞を配り終えると、ようやく重い荷が下りたような気分になり、ため息をついてしまった。するとそれを聞いたその家の住人が丁度扉の向こうにいたのか、がちゃりとドアノブが回った。
「朝からなんて顔をしてるんだい」
顔を出したのは、近所でも知れ渡るほど偏屈で、意地の悪い婆であった。とにかくケチで、また悪口が趣味で、怒りやすく、彼女が住むアパートの隣の部屋は、いつも空であった。
「ごめんなさい」
「大体、いつも新聞を届けに来るのが遅いんだよ。寄り道とか、くだらないことでも考えて、ちんたら走ってるんじゃないのかい」
彼女のその言葉に、私はたった一瞬にして、心臓を砕かれたような痛みを覚えた。彼女にもし、私をこらしめてやろうといった悪気があったとしても、しかし、”くだらないこと”という言葉は偶然による産物だろう。なんせ、彼女は私のことを、ただの学生のアルバイトとしか知らないからだ。
「……それは」
「なんだい、最近の若いのは、満足に謝ることもできないで、口答えばかりするのかい」
またしても、私の胸に巨大な痛みが押し寄せた。口答えという言葉は、私とトオルを繋ぐとても思い出深い言葉であったのだが、それが黄ばみだらけの汚い婆の口から発せられると、とても鋭利な刃物であるような気がした。
その時、私の目からはとうとう涙が溢れだしてしまった。左右の涙腺というものが、それこそ二度の強烈な、しかしある種普遍的な言葉使いによって、容易く破壊されたのだ。
「おら、さっさと謝んなよ。泣いたらなんでも解決するほど、社会は甘くないんだよ。ただの遊びたいだけの小遣い稼ぎでやってんなら、やめちまいな!」
私はもう俯き、足元に落ちていく涙を、溺れているようなぼやけた視界で見つめることしかできなかった。体が震えて、何度も何度も婆の言葉が頭の中で往復する。これは真に受けてはいけない類の悪口だ。だって全部がてんで的外れで、それこそ、私は別に遊ぶ金欲しさにバイトをしているのではなく、母の代わりに働いていただけなのだから。
しかしそれでも、私はまるで自分の全てが否定されているような、また、自分の全てが間違っているかのような思いさえ抱いてしまった。
だから私は、後から思えば屈辱的なことこの上ない話ではあるが、その時、己が非を認めてしまったのだ。
「ごめん、なさい……」
すると婆は「気分が悪い」とだけ残して、扉を閉めた。
しばらくの間、私はその場から動くことすらできなかった。ただひたすらに己の無力さや、悲しさや、恐怖や切なさに打ちひしがれてしまったのだ。
だからそれからどれくらいして帰りだしたのかも覚えていない。自転車に乗る気分でもなく、気付けば私は、ぼうっと呆けて、朝の住宅街を歩いていたのだ。
もう頭の中がぐちゃぐちゃだった。きっと目から溢れた涙は、先に頭の中にさえ及んでおり、そこで大氾濫を起こして、私というものを滅茶苦茶に叩きのめしていたのだ。そんな感情の比喩としては最適な涙も枯れてしまって、私は、空っぽになっていたのだ。
他の喪失体験に比べれば、たったこの程度であると、きっと私以外の人間なら思ってしまうかもしれない。しかし私にとっては、これこそ、妹の死や、小学生の頃の第二の喪失体験や、母が死んだ第三の喪失体験にならぶ貴重な”第三”の経験であった。
なんせ、この喪失体験のせいで、私は分からなくなってしまったのだ。
妹が死んだ第一の喪失体験は、私の幸福というものに懐疑的な人格の元を作ったものだ。
父が居なくなり、友人と決別し、好きなことを嫌いになった第二の喪失体験は、私にとって一番大きな喪失体験で、幸福というものに懐疑的な人格そのものを作ったものだ。
そんな風にして、でもようやく父から解放されてしばらく経ち、何もできなかった幼少期に比べて、初めて自分が家族の柱の一つのような、母を助け、姉を支えられる存在になれたのだと、バイトをしながら心のどこかで思っていた矢先、しかし私の名前も知らないような婆にひたすらに罵倒され、しかもその全てが見事に私の急所を貫いてしまった結果、私はそんな自分さえも否定してしまったのだ。そう、私はこの時、自信というものを喪失してしまったのだ。
特にこの後も、高校生の三年間このバイトを続けてしまったのが過ちだろう。辞めるまでずっとこの婆の家に行くことで、私はこの小さいはずの出来事を、三年間長く思い出し続け、刷り込むようにして自分は所詮矮小な奴だと、心のどこかで思い込んでしまったのだから。
ただ勿論と言うべきか、やはり喪失というものには、あの渦巻きやブラックホールの理論と同じで、穴埋めのつじつま合わせが付きまとうのだ。
それが、私にとっての高校生活の全てと言っても過言ではない。
「”委員長”」
それが、高校一年、二年での私の渾名であった。三年の時は”生徒会長”だ。私は根本的な部分で自信を喪失している人間であったため、誰かに自分の存在価値を肯定してもらいたくて、お利口さんをしていたのだ。
だから頼まれればどんな雑務もこなした。逆説的に言えば、多くの面倒ごとを押し付けられた。
それはただの掃除や、クラスの纏めといった当然のようなもののように思えて、しかし年々助長していき、到底私一人では抱えきれないほどの仕事量になっていた。もちろん、頼みごとをする先生や生徒に悪気があったわけではないだろう。むしろ、悪いのは私の方だ。
私は何を言われても嫌な顔など一つもせず、聖母や、または道化でも演じているように笑顔を浮かべて、二つ返事で全てを快諾していたのだ。そして誰からも見えないところで、ひたすらに踏ん張っていた。文化祭の催し事のために、無理を通してキャンプファイアーがしたいと言う生徒と、できないと言い張る先生の間に経って、連日遅くまで会議だってしたし、同じクラスから不登校が出れば、「同じ生徒からの方が」という理由で先生に頼まれ、三か月もその生徒の家に通いつめ、彼女を学校に復帰させるのを手伝ったり、手伝う人が他にいない地域清掃や募金活動のボランティア活動は皆勤で、休みの日だって生徒会の議事録作成のため、一人で学校に行っていたりした。
こんなことは、学生時代にこなした雑務のほんの一握りでしかない。しかし私は全て馬鹿正直に、真面目に取り組んだ。また、多少私の要領と人当りが良かったのも、全てをこなせてしまった要因だろう。ただ唯一、私は母譲りで体が強い方ではないという点だけがネックであったわけだが。
だから私は二年生の春に熱を出してしまった。完全な過労である。しかしそれでも、私は学校へ行った。
すると丁度学校の門のあたりに着いた時、イズリーと出くわしたのだ。
それこそが、正真正銘の運命の出会いというものだったかもしれない。もちろんイズリーとは一年生の時の年末に出会い、翌年の秋に進級して二年生になり、また巡って春になるまでの実に一年と半年ほど、紛れもなく友人であったが、私にとっては、”友人”でしかなかったのだ。
ただこの日、ここで出会ってからというもの、イズリーは初めて、一日中私の隣にいてくれたのだ。(注釈としてだが、イズリーは普段のマイペースな言動とは打って変わって、思いのほか奥手であり、出会った時に私に一目惚れをしていても、そんな素振りを一切見せなかった)
「”委員長”、なんか顔赤くない?」
学生の時から艶めく、宝石のような紫の髪を弄りながら、イズリーはそう声をかけてきた。出会った時とは打って変わって、気さくな話し方だ。私はらしく頑張って笑顔を振りまこうとして、マスクの下で努力した。
「そうかな、ちょっと暑い気はするけど」
「いや、ちょっとどころじゃないわよ、それ」
「あはは、大丈夫だって。心配してくれてありがと。イズリーは優しいね」
言うと、彼女はそっぽを向いてしまった。学生時代の彼女の癖だ。(実はこれが彼女なりの照れ隠しであったわけだが、私は一向に見抜けず、私が大人になってイズリーを「思いのほか奥手」だと言うと、彼女は決まって「ニコチアナが鈍感すぎるだけ」と口を尖らせた)
そうしてその日、しかし一限目がなんとも最悪なことに、体育であったのだ。しかも持久走という、運動が苦手な生徒にとっても、得意な生徒にとってもめんどくさいこと極まりない、ただただ広い校庭を走るだけの退屈な授業だ。
そのため水泳と同じで、持久走の時は見学者が増えた。ただ、私は熱を出していたというのに、彼女たちの中にはいなかった。
休む、ということが頭の中から欠落していたのだ。それが”委員長”であり続けるために必要なことだと勝手に思い込み、一切を我慢してしまっていた。この強迫観念ともいえるべき思想こそが、第三の喪失体験で自信を失い、故にその穴を埋めんと渦が生じたか如く発生した、強い感情であったのだ。
だが、そんな私を気に掛ける人がいた。それがイズリーであった。もちろん他の生徒や先生も私の体調を指摘こそしたが、私があの聖母か道化みたいな笑顔を浮かべれば、みんな簡単に騙されてしまったのだ。
「ねえ委員長、本当に大丈夫?」
そんな状況で、しかし、やはりイズリーだけは私の傍を離れなかった。心の底から心配するようにしながら、同時、彼女が持つ特異な瞳とでも言うべきか、イズリーが油絵を描いている時にひた感じる、世界の裏側までを見抜く聡明な輝きが、アメジストのように静かな美色の視線に絡みついていた。
イズリーだけは、その特別な観察眼を以て、私がその時、本当に異常であると気付いていたのだ。彼女だけは私の本質を見抜いていた。だからいよいよタイムを取り始めるぞ、となった時、強引に私の手を引いて先生の所に行くと、硬い口調で告げたのだ。
「先生、委員長がやっぱり体調悪そうなので、保健室に連れていきます」
すると先生は、私が恐れていたようなひどい言葉は使わず(トオルとの出会いで幾分緩和されたが、それでもやはり大人や目上の人に対しては苦手意識があり、特に体育の先生は怖いことで有名だったので、私は内心怯えていたのだ)、なんとも驚いたことに、ひどく心配げな顔で私を見てくれたのだ。
「やっぱり悪いのか?」
「え、えっと、あの」
言い淀む私の手をぐいと引っ張り、イズリーはあの聡明な、全てを暴いてしまう瞳で私を見つめた。
「ここで、あくまで自分の足で保健室にいくのと、走ってる最中にぶっ倒れて、色んな人に担がれて保健室に行くのと、どっちがいいの?」
そんな聞かれ方をしてしまえばおしまいだった。私は良い子であろうとしたため、人に迷惑をかけることなど有り得なかったのだ。
「ちょっと、今日は、その、走れなさそうです、すいません」
観念すれば、しかし先生は、厳しくも誠実な瞳で私を見た。
「安静にな」
その言葉に、私はやはり心底驚いた。言葉もそうだが、声音もまた家の匂いが染みついたタオルケットみたいに暖かかったのだ。驚愕と安堵が一気に訪れて、熱を出した頭では曖昧に礼を言うことしかできなかった。
それからというもの、イズリーに連れられて保健室に行くと、思った以上の高熱があって、私はすぐに早退することになった。少し眠れば大丈夫だと食い下がろうとしたが、イズリーが普段の気ままでだらだらとした態度とは打って変わり、それこそ初対面の、知らない人にするみたいな厳しい態度で都度私を諭したたため、なすすべもなく帰ることになった。
しかし、問題が一つあった。
「ねえ、イズリー」
「何?」
「なんでイズリーも帰ってるの?」
それは、帰路の隣にイズリーが居たことだ。まず早退する私と一緒に帰っているということと、帰る方向が逆方向なのに隣を歩いていることの二つをどうしても理解できず、もしかすれば熱を出してるこの頭がおかしいのかしら、と下校中に五度は考えて、やっぱりおかしいのは向こうだと思い至ったうえでの質問だ。
しかしイズリーは、なんとも不真面目に甘い味の宝石を舐めしゃぶりながら答えた。
「聞いてなかった? 私お腹痛いのよ」
「にしてはぴんぴんしてない?」
「ほら、腹痛って波があるじゃない。今痛みが引いてるの」
私はしかし、そんな嘘には騙されなかった。もちろん保健室に入るなり、イズリーが行った演劇部顔負けの腹痛の芝居の時は騙されそうになったが、しかし一歩廊下に出るなりしれっと歩き出す彼女を見て、やはり嘘だとわかったのだ。
だからこそ、熱のせいで問いただす気力はなくとも、じっと疑うように見つめていると、イズリーはため息をついた。
「そうよ、嘘よ。学校がホントツマンナイから、サボろうって思ったの。幻滅した? こんな不真面目な奴で」
イズリーの問いに、しかし私は即座に言葉を返した。
「そんなわけないさ。イズリーがしっかりしてるのは、私は知ってるから。だから驚いてるの」
イズリーがクラスでも一匹狼気味で、人を寄せ付けない見た目や振る舞いのせいで不良っぽいと見られる側面があるのは知っていた。しかし委員長として接していても、実は彼女は提出物の期限は守るし、遅刻もしないような真面目な生徒で、また友達として付き合っていても、約束を破ったり、嘘を吐くような人ではないことはわかっていた。
そして私もまた、ある意味では一匹狼であった。どんな雑務を押し付けられても人を頼ることなどできず、全て一人で片づけようとして、また常に愛想ばかり振りまいて、本当の意味で心を許せる友人というのは、一人もいなかったのだ。
だからこそ、私とイズリーは一見正反対の生徒であるように周りからは見えていて、けれどもその実、心の底の性質の部分はひどく似ていたため、一度交わした友情は深まるばかりだったのだ。
そしてだからこそ、私は、私と同じように真面目なイズリーのその日の振る舞いに、疑いの目を持ったのだ。それを直接向けると、イズリーはまた顔を逸らす癖をして、しかしすぐにいつもの顔でこちらを向いた。
「じゃあ逆に、どうしてだと思う?」
尋ねられて、私は答えに窮してしまった。その間に隣の道路を何台もトラックや乗用車やタクシーが駆け抜けていき、信号にも引っかかった。
そこで青になるまで考えても何も思い浮かばない私に、イズリーは見たことない顔をしながら言った。
「まあ、わからないわよね。だって人のことしか考えてないんだもの、貴女」
その言葉はしっとりとした響きだった。しかし悲しさや虚しさではない何かが含まれており、イズリーの言葉の余韻が、しっとりとした音のまま胸の内でも何度か反響した辺りで、私はようやく気付いた。
私はこれを知っている。これは、切なさだ。何か強い思いがあって、しかしそれが全くの世迷言、夢ですらない空想であり、だから何もない空間に余計に響いてしまうのだ。空想とは破裂することのない風船みたいなもので、ため息を吹き込む程大きく膨らむのだから。
「どういうこと、イズリー。何かあったの? 大丈夫?」
恐る恐る尋ねてみると、しかし彼女は、くつくつと喉を震わせて笑った。
「ここで私を心配するのね。本当、貴女ってお馬鹿」
そこで、イズリーはかぶりを振り、なんともらしくなさそうに、言いづらそうにしながら、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「あー……まあ、正直、私にもなんでかわからないの。でも何となく、その、委員長がほっとけなくて」
これほどまでに歯切れの悪いイズリーは始めて見た。(後日談だが、私のことを鈍感だと指摘する際、イズリーはよくこの時の話を持ち出してくる。特にこの夜ベッドに入るなり、有り得もしないほどの羞恥に身を焼かれて、なかなか寝れなかったそうだ)
そして私は、この時ひどく感動してしまったのだ。イズリーがこれほど友達思いであり、また、その友達が自分であり、しかもイズリーこそは委員長な私ではなく、その仮面をかぶった、弱気で迷い事ばかりで、いつまで経っても自立ができなさそうな軟弱ものである私のことを見てくれているのだとわかったから。
きっとこの時、またこの後に続く、友達が初めて家に来るという体験も含めて、私はイズリーのことを、心のどこかで、ただの友人だとは思わなくなっていったのだ。それは恋慕というには少しだけ幼いものであったかもしれないが、しかし、もっとイズリーと仲良くなり、一緒に居たいと思ったのが、この日であるのだ。
「ふふ、嬉しい。イズリーと友達になれて、本当に良かった」
思わず感極まってそんなことを口走ると、しかしイズリーはまたどこか切なげで、呆れたようなため息をついてしまった。
「ホントお馬鹿」
呆れた彼女の横顔というものに対しても、しかし私は親しみすら感じ始めていた。(むしろ後にして思えば、こうしてイズリーに対して全面的に肯定的な、全幅の信頼とでも言うべきか、そんなものを寄せていたせいで、とかく疑念というもの抱かず、イズリーの言ったことをそのまま受け止め、鈍感になってしまったのではないかと思う)
それからというもの、私たちは他愛もないおしゃべりに興じた。
無論、そのほとんどは私が聞き役に達していたものだ。
例えば、やれあの授業のあの先生はとんでもなく贔屓ばかりして、物事の本質を見ろと語るくせに、何故か不愛想なだけの私に当たりが強いだの、美術の授業では先生がやたら部活に入れだの、コンクールに出ろだのしつこくて辟易としているだの、こないだ家のアトリエで絵を描いてたら、祖母に色の作り方がなってないと叱られただの、おしゃべりの大半は愚痴であった。
しかし、イズリーの凄い所は、愚痴の話がとかく面白いのだ。
私も同学の、委員長としての友達の愚痴に付き合ったことは度々あったが、そのほとんどはただひたすらに口を開いて毒を垂れ流し、同調を求めるような強い臭気のようなものを醸し出して、なんともまあ口が臭いのなんの、流石の私でも聖母や道化の面をかぶるのが精いっぱいで、内心怖くなってしまうことばかりであったのだ。
だが、イズリーの話は違う。
例えば一番最初の、物事の本質を見ろと言って見ていない教師については、体型が古代の生物である豚のようだと言い放ち、特にその授業で先生が語っていた、形だけで意味がないものを表す”豚に真珠”という言葉を引用し、「テストの点数を真珠か何かだと思っている豚野郎」とまで言い放ち、「驚いたわ、豚も現代の私たちみたいに宝石を食べるのね。それも、特に、健康や長寿の石効がある、薬として使われているパールを食べてそれを言うなんて、手の施しようもないわ」と、とんでもなく鋭利で清々しいほどの罵倒を吐き、あまりの毒の強さと、何よりもその中に一片垣間見える聡明さが、お利口さんである私にはとんでもなく面白く思えてしまうのだった。
全くもって痛快で、至極愉快な下校時間であった。
いつもは一人で歩いていても、委員長として多くの友達に囲まれて歩いていても、どこか寂しく、背伸びをしたつま先立ちで歩いているような苦しさを覚えて、登下校というのは面倒で途方もないものだと思っていた私も、しかし隣にイズリーが居れば、しっかりと地面を踏んで歩いているような心地がして、まさにあっという間に家へと辿り着いてしまった。
「じゃあね、委員長」
狭いボロ屋の玄関前で、しかしイズリーはそんなこと気にもしない様子で、別れを告げた。
けれども、私は先ほどまでの安堵の時間が途端に恋しくなり、また、だからこそこれまで耐えてきた孤独というものが途端に恐ろしくなり、踵を返した彼女の袖を掴んだのであった。
「この後、予定とかあるの?」
「え、まあ成り行きでサボっただけだし、特にはないけど」
「じゃあさ、イズリーさえ良ければ、ウチ寄ってかない?」
その言葉は、私の口から、何の抵抗もなくするりと出た。(思い返せば、この時の私の傲慢ぶりと言えば、それこそイズリーでなければ辟易とされていたことだろう。何せ、一介の淑女が恋仲でもない相手に対して、一切の下心もなく、ただ共に居たいというだけの幼い心持だけで、このような言葉を放ったのだ)
「今日、お婆ちゃんは旅行中でさ、お姉ちゃんは大学の後、入院してるお母さんの所に行くから、明日まで帰ってこないで、家、誰もいないの」
「……え?」
その時のイズリーの顔と言えば、いかにも度肝を抜かれたような、かつ緊張の至りに達し、またどこか期待でも抱いているような、一口に説明することは不可能な顔であった。
特に瞬時に耳まで赤く染め上げ、らしくなく瞳を泳がせ、先ほど更新した過去一番歯切れの悪いイズリーをまたもや更新するほどの歯切れの悪さを発したところなんかは、私は何が何だかてんでわからず、彼女の天国のような地獄を余計に長引かせてしまうことになったのだ。
「どうしたの?」
「あ、いや、その、い、委員長が、良いって言うなら? ま、まあ、別に私もさ、さっき言ったみたいに、えっと、別に予定なんてあるわけじゃないし、ていうか絵を描こうにも一回家帰んなきゃで、そしたらお婆ちゃんに学校はどうしたのって聞かれて、まあめんどくさいことになりそうだから、丁度どうしようかなって迷ってたところで」
「……ん? イズリーも体調悪い? なんか顔赤いし……ちょっと様子おかしくない? もしかして、無理させちゃった?」
「へ、あ、いや、別に私はそんな、その、大丈夫だから、だから、別に委員長の家に上がり込むのも吝かではないというか、というか、熱出してる友達を一人にしておくのも気が引けるし? ま、まあ看病するって名目なら、お邪魔しようかなっていう話で」
「じゃあ、いらっしゃい」
そうして家の中へと上がり込めば、狭い廊下を抜けて、二回の六畳一間の私の部屋へとイズリーを案内した。廊下の床板や階段を踏むたびに家が軋むような音がし、他にも低い天井や、風が吹くたびに家の至る所から物が揺れる音がしたり等、いかにも貧乏人が住む典型的なあばら家がウチであった。だからある意味予想通りで、イズリーは驚かなかったのだろうが、しかし、それも私の部屋に入るまでだった。
「本当に、ここが委員長の部屋なの?」
その発言は、私が模様の剥げた襖を開いてすぐの時に発せられた。布団しか敷かれていない六畳一間を見て(この年頃の娘の部屋にあるような雑誌や、ゲーム機や、大事な人との写真や、無駄な量の衣服や化粧品、おやつやそのゴミ等は欠片としてなく、本当に布団一枚しか敷かれておらず、強いて言えば窓辺にハンガーが少しだけあって、数着のバイト着兼普段着兼寝間着がかかっている程度)、イズリーは、生活感の欠如に驚いてしまったのだ。
「委員長、趣味とかないの?」
私が鞄を置き、寝間着に着替えると、その間部屋を物色していたイズリーがそう口に出した。
「ないね」
また、何の迷いもなく答える私も私だ。もちろん迷いがなかったのは、小学生の頃の第二の喪失体験にて、そういう趣味だとか、好きなことに対してひどく否定的になり、それまで好きだった詩や小説といった素朴なものすらも意図的に手放してしまっていたからだった。
そしてイズリーは、あの素晴らしいアメジストの観察眼で、そんな私の一瞬の違和感を見逃さなかったのだ。私がただ貧乏で、またミニマリスト主義というわけではなく、過去に何かがあり、そのせいで趣味を失って、だから”元々ない”わけではなく、趣味を”失ってしまった”のだと、見抜いてしまった。
「とりあえず休みなさいよ。そのために早退したんだし、何かしてほしいことがあれば、するから」
そんなイズリーの言葉に導かれ、布団に入ると、幾らか彼女と他愛のない話をした。
もちろん今度は愚痴ではなく、本当に他愛のない話だ。駅のどこそこに新しいお店ができただの、今度の修学旅行がどうだだの、翌日には思い出せないような類の話ばかり。
だからか、いつの間にか私は眠ってしまっていた。平日の昼間に同級生と駄弁りながら昼寝をするなんて、なんだか悪いことをしているようだったが、しかし、それに対して気が引けるのではなく、なぜだかその時、私は楽しいと感じていた。
それはやはり、私が委員長ではなく、私であったからだろう。ニコチアナ・ミル・タァレンとはそういう人間だったのだ。あくまでも人並みに普通で、平凡で、特別な所なんて何もなくて、友達といることに安堵や楽しみを見出し、時には悪ノリなんかもしてみたりして、青春を謳歌できる人間だったのだ。
それまで私は、やはり心のどこかで自分は他人とは違うのだと決めつけていた。トオルとの出会いによって自閉した世界観に風穴を開けられたものの、委員長という殻が、さらにそれを少しだけ塞いでしまっていたのだ。
妹を失うと同時に、幸福というものに対する信頼を喪失して、小学生の時には”己”を失い、高校一年生の時に、心ない暴言で自信をなくして、そうして何かを無くすたびに、私という存在は輪郭を持っていった。
「……ん」
目を覚ますと、部屋はもう薄暗かった。窓から差し込むものは陽を失った夕空の残滓である。
とても静かで、穏やかな目覚めだった。
なんせ、私にとっての目覚めとは、朝早く、身も心も凍るような孤独の中で、眠る姉や祖母を起こさないよう、床板を軋ませないようにしながら支度をして、まるで泥棒にでもなったような心を常に持ち、そっと家を抜け出して新聞配達に赴くことだったのだから。
しかしその時は違った。黄昏に染まる視界は全ての輪郭がぼやけ、開かれた窓から吹き込む風が淡い色のカーテンの裾を、まるで溌溂と、踊り子のドレスの裾のようにひらひらとさせ、その情熱的なステップが彩る窓のさんは、夕景色の黄金に燃えているようだったのだから。
それはなんとも美しい光景であった。素朴で何もなく、空虚と言って差し支えない私の部屋、もとい私というものを象徴する世界の淵に、流れ込んでくる焔の絢爛。
「目、覚めたんだ」
ぽつりと音がして、私はそちらを見た。すると、私は思わず唖然とした。声がした方向は窓とは真逆の、部屋の入口の方であったのに、しかし、そちらにも”窓”があったのだ。
それは、そう、イズリーの油絵であった。紅蓮に美しく燃え上がる窓と、その下には黄昏に暮れる町の横顔が並ぶ。彼らはみんな沈んでいった夕陽の方を見つめており、そこには憐憫のような、哀愁のようなものが漂っていた。その茜空への一心不乱さは、純情で、敬虔であり、彼ら建造物たちの頭の後ろの、黒い髪のような影が、よりその熱心さを強調して、非常に緻密な暗闇として描かれている。ともすれば、それは皆が同じ方向を見ているために、その死角を見つけた盗人、夜の斥候たちが、身を隠しているのではないかと思うほどだ。
そんな風に明暗がはっきりと分かれており、だからこそ、炎と暗闇の対比が鋭利に目を引く、美しさと醜悪さを兼ねた一作である。
「それ、描くやつ、持ってきたの?」
「ええ、だってこの部屋、何もなくて暇なんだもの。だから家に帰って、お婆ちゃんに見つからないよう、こいつらを盗んできたの」
言って、イズリーはすでに片づけまで終えた絵具たちを指さした。そして彼女はあのアメジストの瞳を細めて、遠くを、世界の裏側でも見えているような透明な瞳をして、窓の向こうを見つめた。
その横顔こそが、私には衝撃的であった。イズリーが油絵に触れている所とでも言うべきか、絵描きとしてのスイッチが入り、豊かな感受性が前面にのめり出すようにして溢れ出して、世界の全てが刺激的に美しく見えていそうな(これは本当に、そうなのだ。創作家という生物はなんとも狡いことに、私たち普通の人がつまらないと斬り捨て、そもそも見えないような暗闇さえ、見抜いてしまうのだ。そう、暗闇だ。創作家たちの目の本質とは、暗闇を見抜くというもので、しかしその暗闇とはただ暗いものという意味ではなく、例えば何かに覆われ隠れているものだったり、はたまた透明な空気のような、言い換えればウイルスや人の感情というような”見えないもの”の全てを、五感と想像力を以て絡めとることができてしまうのだ)、なんとも羨ましい表情をした。
それが、私にとって決定的な瞬間だった。その時私はイズリーを友人ではなく、初めて、特別な何かだと認識したのだ。イズリーともっと仲良くなり、彼女を知りたいということは、友人の延長線のようで、しかしその実、途中で分岐した別の感情であると思った。
それがまさに、”羨望”という感情だ。私は心のどこかで、なんとも醜いことに、他の人間に対して劣等感のような、反転し、”嫉妬心”のようなものを抱いていた。それは自分が幸福というものに恵まれず、今も苦しく、孤独的な生活をしている中、のうのうと笑い、その上で更にを欲する周囲に対して、自覚症状はなくとも、そんな”醜さ”を持っていたのだ。
しかし私はイズリーに対してだけ、その時、純粋に羨ましいと思った。そこに、嫉妬や劣等感はなかったのだ。ただただイズリーの美しさに心が惹かれて、相手を貶めることも思わず、自分を貶めることもなく、見惚れてしまった。
それはきっと、イズリーが満足をしているからだ。彼女はなんだかんだと愚痴が多い人間ではあるが、しかし日々誠実さを忘れず、絵を描くことを至上としていて、そこに幸福を見出していた。彼女は世界を眺め、切り取るだけで幸福だというような、何とも等身大で、だからこそ尊い幸福を身に着けていたのだ。
「ねえ、イズリー」
「ん?」
「私さ、委員長って呼ばれ方、そんなに好きじゃないんだ」
言うと、彼女は肩を竦めた。
「そうなんだろうな、とは、思ってたわよ」
「じゃあ、なんで名前で呼んでくれないのさ」
「なんかこう、渾名から呼び方変えるのって、抵抗あるじゃない。あれよあれ」
「じゃあ私のこと、やっぱり委員長って呼ぶ?」
尋ねると、イズリーはなんとも慈愛的に苦笑をしながら、あの綺麗な眼差しで私を見た。
「そんなの、呼ぶなって言ってるようなものじゃない、ニコチアナ。でも、ええ、前から名前で呼びたいと思ってたから、呼ぶわよ。だって、とっても素敵な、綺麗な名前なんだもの」
こうして絵描きスイッチが入ったイズリーは無敵であった。きっとこのイズリーを同級生や先生たちが見れば、誰も不良だとは言えず、むしろイズリーの言うことが全て正しいと鵜呑みにしてしまっただろう。
「ふふ、ありがと、イズリー」
この時、私は盲目的にも、嬉しくなってしまった。そうしてすっかり熱が下がっていたのに、顔を真っ赤にして、そう言ったのだ。