転移直前
時間にして、20分ほど前、まだ夢の中に居たティアを扉をノックする音が現実へと引き戻した。
眠い目をこすりながら、扉を開けると、息を切らせたキャローレが立っていた。
「ティア様、神官長様がお呼びです、白き月の神殿まで大至急との事です」
神殿や城内でメイドは、余程の事がない限り走ったりする事は禁じられている、それを息を切らせて呼びに来たという事で、大変な事態なのは察しが付く。
「分かりました、すぐに着替えるから、キャローレも手伝って」
洗顔の時間も髪を整える時間も惜しい。
薄い寝衣を脱ぎ、下着を身に着ける。
時間のない時のストッキングほど面倒な物はない、他の物なら動きながらでも着る事が出来るのにと、ティアは思う。
ミニ丈のワンピース風の修道服を着ると、すかさず、キャローレが胸の下にベルトで足元まである布を止める、そのベルトに引っ張られ、胸が締め付けられる。
「んっ」
(キッイ、また成長した?もぉ、神官長の用事と礼拝が終わったら、直してもらわないと)
紐で固定する簡易的ショートブーツを履き、キャローレが持っている、ストールとネックレスを身に付ける。
「ありがとう、神殿までは1人で行くから、あとは大丈夫よ」
キャローレは、左手を胸に当て、膝を曲げる。
「承知しました、では、こちらを片付けて戻ります」
脱ぎ捨てた、寝衣を片付けはじめる。
「よろしくね」
ベッド横に置いていた、聖杖を手に取ると、足早に扉から出て行く。
窓から、朝日が差し込みはじめ、小鳥の囀りが聴こえる。
「こんなに朝早くから、何事よ、お肌に悪いじゃない」
慌てた様子のティアを見て、すれ違うメイドや使用人達が逃げるようによける。
普段なら、館の入口から出るのだが、庭園を突っ切るのに近い、使用人やメイドが出入りに使う入口を使う。
(ここからなら、かなり短縮出来るはず)
まだ、朝露の残る、草花の間を走り抜ける。
(この先)
庭園を抜け、神殿の見える塀の上に立つ。
館と神殿は、同じエリアにあるのだが、市民が礼拝などに訪れるため、他の館や大神殿より1段低い位置に作られている、そのため、普通は長い階段を使わないと行けないのだが•••
ティアは、塀から飛び降りる。
「フェザー•フォール」
魔法を唱えると、落下速度が遅くなる。
対象の落ちるスピードを変化させられる魔法で、術者がコントロールする事が出来る。
地上5メートルほどの所で、速度を更に落としながら、広場に降りる。
「ここまで来れば、すぐね」
神殿の横にある、昼間ならば、市民が礼拝後のお喋りや簡単な集会を開く場所だ。
さすがに、この時間に市民の姿はない。
走った時の、草や土での汚れが少し気になった。
「ん、ライト•クリーン」
みるみる、草の露や土汚れが消えていく。
「これで、よし」
ティアは、落下で乱れた髪やストールを整えながら神殿に向かった。
神殿の奥、礼拝で使われる大広間ではない、市民は立ち入り禁止の部屋の1室。
〈コンコンコン〉
ティアが、扉をノックする。
「ティア•ファーム•アメティスタです」
少し間を置き、室内から声がする。
「入りたまえ」
扉を開けると、正面の机に神官長が座り、その横に白き月の巫女が立っている。
扉を閉め、神官長の前に立つ。
ぽっちゃり体型で白い髭を蓄えている、一見するとサンタクロースのようだが、衣装は、青地に金の縁取りがあり、片目に眼鏡を着けている。
(何か、ソワソワしてらっしゃる?)
口には出せないが、神官長の振る舞いが気になった
「うむ、早かったな、ティア•ファーム」
「ネブラ神官長様、緊急の御要件と伺ったのですが、何があったのでしょうか?」
「話してもらえるか、リュヌフラン」
「はい」
名を呼ばれた、巫女は少し前に出る。
自分達が着ている、修道服とは違い、肩や胸元はあいていて、女性のティアが見てもドキドキしてしまうほどだ、全て純白でカチューシャにストール付いている、他の神殿の巫女も色や装飾に違いはあるが、基本的に同じような衣装だ。
黒髪をポニーテールにして、白いレースの布で目隠しをしているが、盲目というわけではなく、視界を遮ったり、肌をさらす事で、神託を受けやすい状態にしているからだと聞いた事がある。
「昨夜に、蒼き星が流れました、また、夢に女神様が現れ、宝石で出来た木を私に託されました」
「もしかして、転移者が来るのですか?」
ティアは、驚きと喜びの入り混じった表情で、神官長に尋ねた。
神官長は、両肘を机の上に立て、両手を口元で組みながら答える。
「蒼き星が流れるのは、この世界に転移者が来る前ぶれだ、そして、夢で女神が何かを託す場合、その巫女の国を転移先に女神が選んだ事になる」
「そこまでは、前回の片山大地様の時と同じですが•••」
「そうだな、しかし」
神官長は、古びた本を指でつつく。
「今までの記録にある女神が渡してくる物は、宝石なら宝石、木なら木、光球なら光球と、別の物と一緒になった物は前例がないのだ•••」
「どうなるのでしょう」
本で自分の頭を叩きながら。
「サッパリわからん、悪魔が来るか、勇者の降臨か、女神の気まぐれかも知れんし」
神官長は、軽い返事をしてくる。
「しかし、この国の現状から言っても、力を貸してくれる方が転移して欲しいよな〜」
頬杖をついて、本を指で叩く。
「神官長様、地が出てますよ」
リュヌフランが、突っ込む。
「まあ、いいじゃん、他に誰も居ないんだし、ずっと、あの状態だと疲れちゃうんだよね」
「まあ、いいですけど、どうします?」
ティアが、呆れながら尋ねる。
「取り敢えず、相手の反応を確認してからかな、万が一に備えて、デセールを同席させて、そして、廊下に騎士団を何人か待機、最悪の場合、殺す事になるかもしれないけど、これ以上この国を混乱させる理由にはいかないからな」
言葉は軽いが、もしもの場合を考えている、にこやかな表情だが、その瞳には厳しい覚悟が宿っていた。
「承知しました、では、私はデセール様の所によってから、青星の館に向かい、転移の部屋の準備をします」
「はーい、よろしく、メイド達にも手伝ってもらってね」
二人に頭を下げ、扉を閉める。
(あんな人でも、神官長なのよね、魔法とか退魔の実力は認めるけど、あのキャラは慣れないわ)
廊下を歩きながら、何を準備し何処から行けば1番効率かを考えていた。
「最初に、騎士団の館に行って、デセール様に連絡、次に自分の館に戻ってメイド達に青星の館を掃除させている間に、身を清めて•••あ、礼拝はさすがに無理ね」
ふと、国王陛下と両制公様にはお伝えしなくて良いのか?と思いが頭に浮かぶ。
(今は、侵攻対策が優先かしら、貴族の方々や戦士長、魔法協会の会長も呼ぶ事になるでしょうし、転移されてから状況を確認して、お時間を作って頂くしかないわね、神官長様が連絡して下されば早いのだけれど、転移する方がどんな人か分からないと話を進められないのも事実だし)
広場まで着くと、誰も居ない事を確認し、魔法を唱える。
「フライ」
呪文と同時に、体が浮き上がり、急速に上昇していく。
神殿に来る時に飛び降りた塀まで上がると、フワッと着地し、自分の住む館とは反対方向に向かう。
「デセール様、館に居るといいのだけれど、まあ、居なければいつもの酒場でしょうね、呼びに行くの面倒だけれど、居場所が確定なのは楽ね」
早朝から酒場ってどうなのと思いながら、ティアは騎士団の館に足を進めた。