無愛想な騎士団長は、ちっちゃな薬師見習いに愛を囁きたい
手提げ籠の中で、カチ、と小瓶同士のぶつかる音がする。
私は「わ、大丈夫?」とかぶせてある布をめくって中身を確認した。わずかにぶつかっただけで、小瓶は一つも割れてはいなかった。気をつけないと。
浮き足立つ歩みを改め、籠が揺れないように落ち着いて騎士団の訓練場へと向かう。小瓶に入った回復薬を届けるのが、薬師見習いである私の仕事なのだ。
「レティ、今日もご苦労さん」
「いつもありがとな。騎士団長は奥にいるよ」
訓練場に入ると、顔馴染みの騎士たちが声をかけてくれる。私も「お疲れさまです」と返しながら、奥にいると教えられた人物に気がはやるのを押さえ込んだ。大事な大事な回復薬を、あの人に渡すまでが私の大切な仕事なのだから。
他にも声をかけてくれる騎士に笑顔で返しながら、籠を揺らさないように抱えて奥へ進むと、件の人物が私の目に映りこむ。
背の小さい私が見上げてしまう大柄さは、さすが騎士団長という体格。髪は訓練や実戦で邪魔にならないように短く整えられ、いつもはツンと上向きの毛先が今は汗のせいか寝てしまっている。精悍な顔つきは、いわゆる貴族の子息らしい甘さはなく、戦いの中に身を置く騎士そのものの鋭さだ。あの睨み一つで、耐性のない者はあっという間に降伏してしまうだろう。
「はわぁ、かっこよ……」
つぶやいてしまうくらいに、かっこいい。
部下の剣の打ち合いを鋭い眼光で見ている騎士団長のオルクス様はオーラがすごくて近寄りがたくて、今は回復薬を渡せないなぁと待っている時間で存分にそのお姿を眺めさせてもらった。はわぁ、かっこよ。
ようやく打ち合いが終わると、私は前髪やスカートを手で整えてオルクス様に声をかけた。
「こんにちは、騎士団長様。回復薬をお届けに参りました」
「……あぁ」
ちら、とオルクス様は私を見て、興味なさげに手を出した。その手に籠を渡せば私の仕事は終わりだけど、今日はちょっとだけ違う。
「騎士団長様、お師匠に他のお薬も頼まれていましたよね? このリボンのかかった小瓶がそのお薬ですので、お間違えのないようお願いします」
「これか」
細くて赤いリボンが目印の小瓶を手に取ったオルクス様は、中の液体をまじまじと見た。小瓶は透明で、回復薬も無色透明。オルクス様がお師匠に頼んだ、私が何かは知らないお薬も無色透明なので、違いがまったくない。オルクス様は眉間に皺を寄せていた。
「えっと、見た目は同じですが、確かにお師匠からそれは騎士団長様へと言付かってます」
「そうか」
「では、確かにお渡ししました。私はこれで失礼します」
「待て」
踵を返そうとした私をオルクス様が止める。見上げて窺うと、ぐっと顔を顰められた。
オルクス様はリボンのかかった小瓶の蓋を器用に親指だけで開け、私の前で一気に飲み干す。そしてすぐに顔をそらされた。
「騎士団長様?」
「…………こ、れを。明日も」
「わかりました。お師匠に伝えておきます」
「頼む。……レティ」
「えっ、あ、はい。え……?」
「ではまた明日」
「は、はい……」
回復薬の籠を持ったオルクス様が騎士たちの元へ行ってしまったので、私も訓練場の出口へ向かう。いつも通りの足取りを意識しながら、けれど手足はぎこちなく左右が一緒に出ていた。
だって、だってだって、オルクス様が私の名前を呼んだよ。聞き間違いじゃないよね? はじめてだよ?
口ごもるようなオルクス様の「レティ」を思い返して、私の頬はとたんにいちごのように熟れてしまった。
「ひゃ、ひゃああ……っ」
なんで? なんでなんでどうして? お師匠が私にこのお使いをさせるようになってから今まで、オルクス様が私に興味を持つ素振りなんてこれっぽっちもなかったよ? ずっと変わらず素っ気なかったよ? それでも毎日かっこよかったよ? なんで?
私は全力ダッシュで訓練場を出た。そのまま全力ダッシュでお師匠の待つ薬屋に帰って、回らない口でお師匠に明日もあの薬をと伝え、ぐるぐるな頭で薬草をぐるぐるとすり潰した。
お師匠が私の様子に「わぁお」と感心していたけど、そんな意味不明なことにも私は関心が持てないほどだった。
そうして夜を迎えてベッドに潜りこんで、まとまらない思考のまま私は眠りについた。
明日はどんな顔をして会えばいいんだろう。不安で不安で仕方のなかった私は、だけど目覚めてすぐに「待って? ただ単にやっと心をひらいてくれただけなんじゃ?」と思い至り、ようやく平常心を取り戻した。
朝にはすっかりいつも通りになった私にお師匠は「ありゃ?」と首を傾げたが、またリボンのかかった小瓶を籠に入れて今日も私は騎士団の訓練場へと送り出された。
*
結果、私の平常心はぐちゃぐちゃに掻き回されることになる。
いつも通りに騎士団の訓練場にやってきて、顔馴染みの騎士たちにあいさつをして、通されるままにオルクス様の元へ行って回復薬の入った籠を渡す。そう、いつも通り。昨日がちょっと違っただけ。
今日も「かっこよ」と私の思考はそればかりで、淡く淡ーく「また名前呼んでくれるかな」と期待したくらいで、それ以上があるなんて思ってもみなかった。
リボンのかかった小瓶を取り出したオルクス様は、昨日と同じく私の前でそれを飲み干した。とたんに、ぽやんと顔つきが柔らかくなる。
それだけでも驚きなのに、オルクス様は私の頭をぽんぽんと撫でたのだ。
「いつもありがとう、レティ」
「わ、はわわわぁ……っ」
「明日もこの薬を頼む」
「は、はい……!」
ダッシュで逃げ帰って、ダッシュでお師匠にまた薬を頼んで、ダッシュで薬をすり潰す。なんでなんでなんでどうしてな思考もダッシュで駆け巡って息切れしそうだった。というより、してた。お師匠は「ふふふ」と意味深な笑いを漏らしていた。
けれど翌日には「やっぱり心をひらいてくれただけでは?」とケロリとしている私は、懲りずに訓練場に向かい、見事に裏切られてオルクス様に打ちのめされる。あいさつをした時には普段通り無愛想なオルクス様は、リボンのかかった小瓶の薬を飲むとなぜか態度が変わるのだ。名前を呼んだり、目を合わせてきたり、頭をぽんぽんされたり、手に触れてきたり。
そんなことが数日続けば、私もさすがに気づいてしまう。オルクス様の気持ち、オルクス様に起こっている異変に。
――もしかして、お師匠の薬に副作用が出ているのでは? と。
それを知らずして薬を与え続けることは薬師としては大問題なので、今日は私の髪を弄ぶオルクス様に尋ねてみた。
「あの、騎士団長様。いつも飲まれているお薬は一体なんのお薬なんですか?」
「あれは……」
「お薬を飲まれたとたん、騎士団長様にとっておかしな変化はありませんか。もしかしたら、副作用――」
いつもは鋭い眼差しが優しく私を見つめる。いきなりひょいと抱き上げられて、訓練場の木の柵に座らせられた。
「レティは小さいな。こうしてやっと俺と同じ高さなのか」
「ふわぁぁぁ……っ」
後ろにひっくり返りそうなほど、私の心臓はひっくり返った。同じ目線にオルクス様がいる。オルクス様の顔面がある。私が落ちないように腰に添える手はさりげなくて、それがまたオルクス様との距離を近くしていた。
悲鳴にもならない悲鳴をあげている私に、オルクス様は「それで」と話を戻す。
「なんの話だったかな?」
「お、お薬が……っ」
「あぁ。また明日も頼む」
「ちが、あの、副作用……!」
「問題ない」
「でも、騎士団長様……」
「――オルクスだ」
同じ目線で、さらに覗き込まれる。「へ」と間抜けな声を漏らした私に、オルクス様は頬をわずかに染めて口元を緊張させた。
「オルクスと、呼んでほしい」
「ひゃい…………」
カチンコチンに固まった私をオルクス様が柵から下ろしてくれる。地に足がついた瞬間、私はハッと意識を取り戻した。小動物の死んだふりを体験した気分だった。オルクス様の手が離れると、私は全力ダッシュの構えをした。
「待て」
しかし、オルクス様の手が私の腕を捕まえる。
「き、騎士団長様」
「オルクスと」
「オ、ルクス、さま……」
「うん。レティ、明日も待ってる」
私の後頭部に、柔らかな感触が落ちる。パッと腕が離され自由になった私は勢いのまま全力で逃げ帰った。お師匠に薬のことは頼まなかったし、「おー今日はひどいな」とつぶやかれたけど構わず自室にこもった。薬草をすり潰してなんていられなかった。
オルクス様が「うん」って言った。名前で呼べと言った。ものすごく目線を合わせてきて、照れた顔を見せてきて。……えっ、え? あの顔はなに? どうして照れるの? それに、最後のあれも……。
「キ、キス、された……?」
別れ際の、私には見えなかった柔らかい感触。近かったオルクス様の気配。明日も待ってるって、たしかに耳に残ってて。
「ひゃあああっ……」
オルクス様から向けられる好意に、私の気持ちの切り替えはもう誤魔化しようがなくなっていた。
*
「大丈夫? 僕も一緒に行こうか?」
それでも翌日は待たずにやってくる。
お師匠にそんな気遣いをされるほど、私は様子がおかしいらしい。私の仕事だからと断り訓練場に出向くけれど、今日は顔馴染みの騎士たちの反応もいつもとは違っていた。
「レティ、がんばれー」
「あの顔はやっと気づいた顔だなぁ」
「騎士団長も下手くそだが、レティもレティだなぁ」
……なんの話? とは思うものの、それどころじゃない私はオルクス様の元へ一歩一歩足を踏み出すことに精一杯だった。体は熱くて、心臓がずっと跳ねている。オルクス様に一歩近づくほど逃げ出したい気持ちが出てきて、それを必死に抑えている。遠目に姿を見つけてしまっては足が止まってしまいそうで、顔もずっと伏せていた。
「レティ」
そんなことをしていたせいで、オルクス様から近づいてきていたことに気がつかなかった。
「ひゃ、わ、お疲れ様です、騎士団長様……!」
「オルクスだ」
「オルクス様……!」
パッと顔を上げた私は、険しい顔のオルクス様と目が合う。
オルクス様が屈んで私に顔を近づけた。
「どうした? 体調が悪いのか?」
「いっ、いいえ、大丈夫です」
「しかし、頬が赤く見えるが」
「あの、急いで来たので、たぶんそのせいでっ」
「……そうか?」
オルクス様と言葉を交わせば交わすほど熱が上がっていくのがわかる。
気づかいは嬉しいけれど、いっそのこと今は全スルーで違う話題を振られたほうが心は安らかだった。
今日のところは余裕がないので回復薬を渡して早く帰ろうと逃げ道をつくると、私はオルクス様に籠を差し出した。
「どうぞ、本日の分です」
「あぁ」
籠を渡したら、真っ赤な顔をこれ以上見られたくないので頭を下げてダッシュしよう。
そう決めてオルクス様の大きな手が受け取ってくれるまで耐えていると、なぜかその手は取っ手を素通りして籠にかけてある布をめくった。その中から小瓶を一つ抜き取ったオルクス様を見て、私は驚いた。
「あっその薬は……」
今日の分は、頼んでなかったはずなのに。
赤いリボンのかかった小瓶を一息に煽ったオルクス様は、次の瞬間ものすごくキレのある動きで私の前に跪いた。
大きな体がそんな大きな動きを予期せずしたので、思わず「ひぇ」と声が出てしまう。
「レティ」
「ひゃいっ」
そっと差し出された手に、籠を提げたままの私の手が捕まった。一気に熱をもつ。私の手も、そして、オルクス様の手も。
見つめてくる瞳に、いつもはない熱を宿していた。
「ひっ、一目見た時から、俺は……」
裏返る声すら、その気迫に負けてしまう。
大きく高鳴る鼓動に私の体はすっかり支配されてしまっていた。自分でわかるほどに胸がドキドキとうるさい。呼吸だって乱れてしまう。
この振動が、動揺が。繋がった手からオルクス様に伝わりませんようにと、これ以上の恥ずかしい姿に気づかないでと、密かに願った。
「俺は、君のことが……っ」
ようやく決意した力強い眼差しに、力を込めて握ってくる手に。その先に続けられるであろう言葉に、息が止まりそうになる。
ジッと獲物を捕らえて離さないオルクス様の瞳が、言葉に出さずとも想いを叫んでいるその瞳で、はっきりと言葉にしようとするから。
オルクス様が深く息を吸い込んだところで、私はぐっと覚悟を決める。すると――。
「やあやあ、オルクス君。おまたせ〜」
……にゅっ、と現れた。
跪くオルクス様と、お姫様のように手を取られた私の間に。にゅっと、お師匠が現れた。
「遅くなってごめんね〜。君に頼まれていた薬なんだけど、ちょっと効能というか性能というかぴったり当てはまるものに思い当たるものがなくて。でもやっと思いついて作ってきたんだよ〜」
目の前の私たちを無視してペラペラと喋るお師匠に、オルクス様は「は?」と眉根を寄せた。
私も「は?」という気分だった。そこでようやく遠巻きに見守っていたらしい騎士の面々に気づき、恥ずかしさでぎこちなく目をそらしてしまう。お師匠も、そのへんは見習ってちゃんと空気を読んでほしい。恥ずかしいけど。
「だったら今までの薬はなんだ」
……待って? オルクス様、そっち?
「今までのはただの水☆ だって君さぁ、素直になれる薬って自白剤くらいなもんだよ」
素直になれる薬? 自白剤って? 今まで渡していたものはただのお水だったの? 待って、どういう展開?
「た、ただの水だと!」
「そうだよ〜。だってなんの効果もなかったでしょ? それでね、僕は考えたんだけど……」
ペラペラとまた喋り出したお師匠から、オルクス様はそーっと目線を外した。そのままそーっと私を向いてくるものだから、引いていた熱がまた戻ってきてしまう。
オルクス様の頬もどんどん赤くなっていて、握られる手に汗を感じるほどだ。
そしてこのタイミングで気づいてしまったけれど、オルクス様のもう片方の手は花束を後ろ手に隠し持っていた。
私は叫び出したくなるほどに、今、お師匠がストップしているこの現状が恥ずかしくてたまらない……。
「――つまり、自白剤と同じくらい素直になれるという点では、僕が作ってきたこの薬も効果を発揮するんじゃないかと思ったわけだよ」
お師匠の持論展開が終わり、小さく振って見せられる小瓶を、熱が上がりきった私たちは胡乱に睨みつけた。
そこでようやくお師匠は「おっと?」と目の前の私たちをまじまじと眺め、周りの騎士たちにも気づいたらしい。
「どうやら僕はお邪魔だったようだね。オルクス君、薬がなくてもできるじゃないか」
「早くどっか行ってくれ」
「はいはい、そうだね。僕は退散するよ。それじゃ、告白頑張ってね〜!」
ぶんぶんと大手を振って去っていく無邪気なお師匠。
遠巻きの騎士たちから「何しに来たんだ?」「茶化しに来たんだろ」「性格悪いな……」という声が上がった。
そして改めて戻り集まる視線に、私もオルクス様もこれまで以上にお互いを意識してしまう。
「そ、の……えっ、とだな……」
けれど不思議なもので、人は自分より焦っている人間が目の前にいると落ち着きを取り戻すらしい。
恥ずかしさは消えないものの、少し余裕のできた私は自由の残された手でオルクス様の背中を指さした。
「あの、オルクス様。それは……」
「え? あ、あぁ、これは」
戸惑いがちに出された花束。
ピンク色を基調とし、可愛らしい小花が一番のメインとして飾られている。主張しすぎない、オルクス様が持つには可憐すぎる花束を「君に似合うと思ったんだ」と悲しそうな瞳で見つめた。緊張で握りしめすぎたのか、花は萎れ始めていた。
「そのお花、もらってもいいですか?」
「これを? いや、しかし」
「水に挿せばまた綺麗に咲きますよ。私にください」
「君が、受け取ってくれるのなら……」
オルクス様から花束を受け取る。大きな手に持たれていた時には小さく見えた花束は、私の手に渡ると途端に大きくなった。
片手で抱き寄せるようにして、オルクス様に笑顔を向けた。
「大切にしますね。このお花も、オルクス様のお気持ちも」
すると、ずっと握られたままだった手を再び強く握られた。
「レティ。俺は、一目会った時から君のことが……っ」
しかし、その続きも歓声を上げて駆け寄ってきた騎士たちに遮られる。
「団長、良かったですね!」「おめでとうございます! 長い片想いでしたね!」「ありがとなぁ、レティ!」と、私もあっという間に囲まれてしまった。遠巻きに見ていた分、声は届いていなくて花束を受け取ったのを勘違いしたらしい。
「俺はまだなにも言っていない!!」
オルクス様が怒鳴るけれど、みんなお祝いムードに入ってしまって誰も聞く耳を持たない。
これはもう収拾がつかなそうだなぁと、けれどオルクス様の決意をなぁなぁにするのも嫌で、私はぐっとオルクス様の固い腕を引っ張った。
「なんっ……」
引き寄せた頬に、精いっぱい背伸びをして口づけた。
騎士たちが大盛り上がりする中で、オルクス様は頬に手を当てて硬直している。
「好きです、オルクス様! また明日」
私は振り返らずに訓練場を走り抜けた。
わー! 団長! とどよめきが起こったので、もしかしたらオルクス様がひっくり返ったのかもしれない。
お師匠に「素直になれる薬」を頼むほどで、ただの水に騙されてようやく私と面と向き合えるらしいオルクス様。
好きだと言ってもらえる日はまだまだきっと先のことだろうなぁと、私はあふれる気持ちでかわいい花束を抱きしめた。
お師匠が最後に持ってきた薬は『媚薬』です♡