95_会談に影を落とす
セクレト本社ビル屋上、空中庭園。
帝都星系の中心的コロニーの中でありながら、地上の喧騒は遥か彼方。宇宙に浮かぶコロニーの中とは思えない緑豊かな庭園に、無垢のテーブルが据えられていた。
「この場所は特別でね。セクレトの総帥と会う時、大きな決断が必要な時は必ずここで話をしていた。空と大地、偽りの五感で自然を感じることで、自分と言う存在を再認識出来る気がするのだ……座りたまえ」
促され、向かい合うように座る。
サイボーグのツインアイがこちらを捉えて離さない。熱を感じさせない視線を向けられる俺もまた、同じ目をしているのかもしれない。
「本音で話そう、オキタ中尉。ここでは立場も肩書も必要ない。価値の話だけをする」
「……分かった」
その話を信じて良いのか、一介の傭兵相手に遠慮はいらないと言ってのけたのが本心なのかは分からないが……この場所を気に入っているのは確かだろう。
「君は当然知らないだろうが、私は君を軍から引き抜こうとしたことがあった。御三家が目を惹かれる程当時の君は若く、強く、優秀だった。
重要なのはそこではない―――再現できなかったことだ」
「再現?」
「英雄候補は量産できる。だが、同じ条件を与えても君と言う存在を再現できなかった。だから私は君を評価した。
しかし君は軍を辞めた、つまらん外乱が原因でな。その時点で、私は君を”失敗作”だと判断した」
「聞きたいことが幾つかあるが、きっと答えてくれないだろうから一つ訂正だけ。軍を辞めたのは外乱じゃない、命令だ。
正確には―――”採算が合わなくなった”。
そう言う意味ではあんたの言う通りだ。俺は失敗作だったんだろう、軍にとってはな」
事実、俺という存在があのまま帝国軍に居続けた場合どうなるか。
評議会の駒として使われ、共和国を殲滅する尖兵としてすり減らされていた可能性だってある。だからΑΩを起動し、適合者として認知された俺の身を案じてくれた伯爵には感謝しかない。
「―――なるほど。だが、こうして目の前にいる君を見て分かった。
君はその商品価値を失っていない。それどころか、市場から一度排除されたことで価値が固定された」
風が空中庭園の葉を揺らす、その音がやけに大きく聞こえる。
ヴァン・サイファーは背もたれに体重を預け、視線だけを俺に残した。
その目は、まるで評価を終えた投資家のものだ。上がるも下がるも織り込み済みで、あとは数字をどう扱うかだけを考えている目だ。
「多くの商品は完成されるまでの最適化の途中で摩耗する。
ところが君は最適化される前に現場を離れた。だから今も”形が残っている”。
ΑΩを使えること自体は重要ではない。使い切られていないことが、君の価値だ」
視界の端で空気が動いた。クレアが声を挟みかけたのを、視線も向けずに左手で制する。ここで口を挟めば、この場は交渉ではなく説得になる。それは許容できない。
「私は君を雇いたい。それは情ではない、君がまだ完成していない商品だからだ。
私の下に来れば、君は失われない。少なくとも、価値が曖昧なまま消えることは無い」
断言だった。約束ではないし、俺への救済でもない。
ただの条件提示……俺に価値がある限り保持し、価値が失われれば処分する。
ともすれば非道極まりない言い分だが、それを当然の前提として語る声には微塵の揺らぎも感じられない。
その瞬間、胸の奥で歯車が一枚だけ浮いたような感触がした。
言葉の意味は理解できる。
だが”雇う”と言う表現にしては、話が進み過ぎている。
条件も、報酬も、役割も提示されていない。
提示されているのは、ただ一つ―――「完成していない」という評価だけだ。それも、結論ではなく前提としておかれた評価だ。
「想像通りで安心したよ。あんた、ちゃんと俺を商品として見ているんだな。
だが訂正する。俺は価値を失っていないんじゃない、使われる場所を選んだだけだ」
この男は、俺を迎え入れようとしているんじゃない。出来上がっていない理由を確認している。
ゆっくりと机に両手を組み、身を乗り出した。無垢材の冷たさが掌を通して伝わる。
距離を詰めたのは威圧の為じゃない。この男と同じ高さで、自分が”何者として見られているか”を確かめるためだ。
「俺は高いぜ。クレジットの話じゃない、使い潰す覚悟があるかどうかだ。
今の雇い主はその覚悟を示してくれたが、あんたはどうだ? 価値を守る気はあっても、価値が壊れる瞬間まで付き合う気があるのか?」
視線を外し、庭園の更に上、人工的な空を見上げる。
「一つ、引っかかることがある」
視線を戻すとお互いの視線が絡みあう。
「完成した商品ってのは、もう壊れる必要がない。完成した瞬間から、そこには”次”がない。けど俺と言う商品は傭兵で、戦う道具だ。壊れる前提で使われるようなものが、本当に戦場に出す商品か?」
ヴァン・サイファーは俺の価値を確定している。
だが、俺は自分が未完成であることを自覚している。
そもそも、見ている基準が違う。
静けさが庭園を支配する。
ヴァン・サイファーは答えを急がなかった。人工の風に揺れる樹木の葉擦れを聞きながら、ゆっくりと椅子にもたれる。その視線を庭園の奥、人工の水盤に視線を向けたまま淡々と口を開いた。
「では、問いを変えよう」
聞こえてきた声には交渉の色が無かった。
選択肢を与える者の声ではない。帝国軍に居た頃の上意下達でもない。分類を行う者の声だった。
「君は”夢”を価値だと思っているかね?」
こちらを見ないままの問い。答えは求めていないのが嫌というほど分かる。
夢は、人間を動かす言葉だ。同時に判断を狂わせる言葉でもあると、俺は理解している。
「夢とは不確定要素だ」
「方向性を誤らせ、判断を鈍らせ、最終的には商品寿命を縮める」
ヴァン・サイファーの言葉の一つ一つが、感情ではなく統計から導き出されたものだと分かる。
何故なら、俺もそれを理解できるから。
否定できない、反論もしづらい。それが何より質が悪い。
水盤に張られた人工の水面が僅かに揺れた。偽物の空が、歪む。
「私が扱う最高級の商品群には、それがない」
ここで初めて、ヴァン・サイファーが俺の方を見た。
「目的は一つ。行動は最短。感情は排除され、結果だけが残る」
その視線は人を見ていない。性能と耐久を測る検査機のそれだ。
「私はそれを―――”夢無き者”と呼んでいる」
言葉が墜ちた瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。
嫌悪じゃない、恐怖でもない。
「完成した商品だ」
ヴァン・サイファーは淡々と続ける。
「成長もしないが、劣化もしない。迷わず、悩まず、裏切らず、使いきれる」
それは戦場で最も信頼される条件だ。同時に、最も人間から遠い条件でもある。
「そして、彼らはもう自分で価格を決めない。
君は彼らを哀れむか?
それとも理想形だと思うか?
彼らには君の言う”壊れる覚悟”など必要ない」
言い切り。
「壊れない状態に仕上げる。それが完成だ」
逃げ場のない論理。反論すればするほど、感情論に堕ちてしまうだろう。
サイボーグの鋭い双眼が、微細な動きで俺を捉え直す。
「オキタ中尉」
名前を呼ばれた瞬間、空気が一段冷えた。
「夢を捨て、完成することを選ぶ覚悟はあるか?」
問いは短い。だが、その背後には無数の完成品の姿が見える。
返答に迷う俺をそのままに、ヴァン・サイファーは追い打ちをかけてくる。
「選ばないのなら、君は未完成のまま市場を漂う」
今までとは違い、こちらを案じているかのようにその声は穏やかだ。
「価値があるうちは使われ、尽きれば消える」
だが、突き付けられる言葉は真実だ。
脅しではない、これはただの事実確認だ。
「それでも君は、”完成しない商品”であり続けるかね?
あるいは、いずれ自分が辿り着く姿だと理解しているのか?
―――君は、まだ“自分で値段を決めている”とでも思っているのか?」
そう問いを向けられて、すぐに言葉を返すことが出来なかった。
沈黙は拒絶ではない。肯定でもない。
ただ、回答に使う前提が、いつの間にかすり替えられていることに気付いたからだ。
夢を捨てるか、完成するか。その二択は、あまりにも整いすぎている。
だが―――本当にそうか?
俺は夢を価値だと言った覚えはない。
しかし、この男の問いの中では、夢は最初から「余分なもの」として配置されている。
切り捨てて当然のノイズ。完成という結果を得るために、排除される前提の要素。
理屈は通っている。
戦場で迷いは死に直結する。感情は判断を遅らせ、寿命を縮める。
完成した商品が壊れないというのなら、それは確かに合理的だ。
―――それでも。
胸の奥に残る引っかかりは恐怖でも反発でもない。
もっと曖昧で、輪郭の掴めないもやもやした感触。
完成した商品は壊れない。だがそれは”壊れる可能性”そのものを切り捨てた状態だ。
壊れる可能性。失敗する可能性。選択を誤る可能性。
それらは全て、商品価値を下げる不確定要素だ。
ヴァン・サイファーの言う通り、排除すべきものなのだろう。
それでも―――
俺が今まで見てきた物に、壊れないものなんて一つもなかった。
兵器も、計画も、人間も、完成したと呼ばれた瞬間から次の欠陥を抱え込む。
人工の空を見つめながら、ようやく一つの言葉が浮かびかける。
だが、それはまだ形にならない。
完成している、という評価。
夢が無い、という仕様。
それらは「強さ」の説明としては完璧だ。
だが「使う側」の理屈でしかない。
”使われる側”にとって、それは―――
ヴァン・サイファーの視線が、俺の沈黙を測るように留まる。
待っているのではない。処理しているのだ。反応の遅延も、想定範囲の挙動として。
俺はゆっくりと視線を下げた。
言葉はまだ選ばない。
だが、選ばされていることだけは、はっきりと理解した。
この問いは勧誘じゃない。試験でも、交渉でもない。
完成品に成るか、そうでないと自覚するか。
それだけを確認するための工程だ。
そしてその工程の中で、俺の違和感そのものが、すでに欠陥として数えられている。
沈黙が続く中、ふいに微かな衣擦れの音がした。
クレアだ。
今まで一度も口を挟まなかった彼女が、ほんの一歩だけ距離を詰めてきた。
割って入るつもりはない。ただ、空気の密度が変わる。
「……オキタ様」
呼びかけは小さい。だが、その声には焦りに似た温度があった。
俺はクレアを見ない。それでも、クレアが何を見ているかは分かる。
俺の表情だ。
理解し始めている人間の顔。
納得してはいけない論理を、整理し始めた時の顔。
「それは“選択”ではありません」
クレアはヴァン・サイファーを見ていない。俺だけに向けた言葉だった。
「完成か未完成か、という分類自体が……最初から、外に出る道を塞いでいます」
彼女の声は静かだが、はっきりしている。
感情論ではない。警告だ。
「夢を捨てることが完成だと定義された瞬間、捨てない理由は全て欠陥として処理されます」
一瞬、庭園の風が止んだように感じた。
「それは選ばせているようで……判断の”物差し”を渡しているだけです」
クレアは、ここまで言って口を閉ざした。
これ以上踏み込めば、交渉を壊すと理解しているのだろう。
ヴァン・サイファーは何も言わない。
否定もしない。
それ自体が、答えだった。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
クレアの言葉で、胸の奥に溜まっていた霧が一段だけ形を作る。
違和感の正体が、ようやく言葉の手前まで浮かび上がってきた。
ヴァン・サイファーを見つめて、口を開いた。
「……あんたの言う“完成”は、結果じゃない」
声は落ち着いている。これは反論じゃない、確認だ。
「最初から決められた“使い切り方”だ」
ヴァン・サイファーの視線が、僅かに細くなる。
初めて、こちらを測り直しているのか。
「夢を捨てれば迷わない。感情を削げば判断は早くなる。
壊れない状態に仕上げれば、確かに性能は安定するだろう」
そこまでは、理解できる。否定する理由はない。
「でもそれは―――生き延びるために完成するんじゃない」
机の上で、組んだ指に力が入る。
「完成したから、壊れてもいいって状態だ。
自分で値段を決めないってのは、そういうことだろ。
次がない。更新がない。修正もない」
視線を逸らさずに続ける。
「それは強さじゃない。使う側が安心できる形に、人を固定してるだけだ」
ここで初めて、ヴァン・サイファーの纏う雰囲気が動いた。
否定ではない。興味だ。
「俺が引っかかってたのは、夢を捨てることじゃない」
言葉が、ようやく核心に触れる。
「完成した瞬間に“俺が俺である理由”まで処理されることだ」
戦場で壊れる覚悟はある。
使い潰される覚悟もある。
それでも―――俺は俺であるためにこの道を選んだ。
「それを“最適解”として先に決められるのは、違う」
短く、しかしはっきりと言い切る。
「俺は未完成だ。だから迷うし、選ぶし、値段も付け直す」
視線を外し、再び人工の空を見る。
「完成した商品は壊れないかもしれない。
でも―――壊れる前に、もう終わってる。
俺は、そこに自分を置く気はない」
だが、同時に分かってしまったことがあった。
「あんたの理屈は全部通ってる。俺には否定できない」
そこまで言った所で、クレアの視線がこちらを射抜いた。
止めるでも、肯定するでもない。
ただ、今の言葉が”理解の縁”に触れたことを告げる警告だった。
「そうか。ならば今はいい。だが一つだけ教えておこう」
話は終わったとヴァン・サイファーは立ち上がりながら、背中越しに話しかけてくる。
「夢無き者に至った者の多くは、最初から夢を捨てたわけではない。
君のように、理解できてしまった者から完成する」
ヴァン・サイファーの背中が庭園の奥へ消えると、空中庭園には風の音だけが残った。
葉が擦れ合う乾いた音が、さっきまで交わされていた言葉をなぞるように続いている。
俺は立ち上がらなかった。
席を離れる理由が、まだ見つからなかったからだ。
クレアも同じだった。
彼女は俺の横顔を見ている――はずなのに、視線の圧を感じない。
そこにいるのは分かる。だが、見られている感じがしなかった。
沈黙が長くなる。
普段なら、彼女は何か言う。
評価だろうと、忠告だろうと、あるいは軽口でもいい。
オキタ様と、朗らかな笑みを浮かべながら場を繋ぐ言葉を、必ず挟む。
だが、今は違う。
何も言わない。
肯定も否定も、安心も警告もない。
それがさっきの会談に対する彼女の答えなのだと、遅れて理解した。
俺は視線を落とし、無垢材の机に残る微かな傷跡を見つめた。
使い込まれ、削られ、修復されてきた痕跡。完成品とは、とても言えない。
それでも、まだここにある。
立ち上がると、ようやくクレアも同じように立ち上がった。
先導でも、制止でもない。
ただ、同行する距離だ。
俺たちは言葉を交わさないまま、庭園を後にした。
背後で、人工の空が静かに閉じていく。
あの男の言葉も、選択肢も、まだ開いたままだ。
―――理解出来てしまった、その事実だけが残った。




