80_帝国経済御三家
―――帝都バレンシア星系 コロニー=セントレア
―――帝国経済フォーラム バレンシア会議1日目
―――”御三家”セクレト代表 クレア・セクレト
年に一度、帝国経済を支える企業が中心となって開催されるバレンシア会議。
経済、惑星開拓、未踏破領域探索、コロニー問題など多様な課題について議論される会場には、官民問わず帝国の有力者たちが続々と来場し始めていた。
その中でも注目なのは、やはり御三家と称される帝国三大企業だ。
後発ながら多数の企業を取り込み急成長を成し遂げたゼネラル・エレクトロニクスは質実剛健を掲げ、帝国随一の生産ラインからは民生品から軍需品まで、比較的安価な製品製造を得意としている。御三家ブランドが欲しいなら、まず最初の購入候補になる庶民の味方だ。
唯一無二が欲しいのなら東雲技研を頼れ。そう言われて久しい東雲技研は、製品販売という一点においては御三家の中で最も弱い。そんな彼らを御三家たらしめているのは圧倒的な技術力だ。どこから湧いて来るのか、抱える技術者集団は帝国随一の曲者集団。とはいえ超える壁が低ければ無難な開発もお手の物で、民生品の支持率は他の2社と比べても遜色がない。
そしてハイスペック、ハイコストパフォーマンス、圧倒的ブランド力を誇るセクレト。生まれてから死ぬまでセクレト製品だけで過ごすことができる……この謳い文句に誇張はない。貧困層から超富裕層まで顧客のニーズをとことん追求した製品ラインナップは、文字通り人生をセクレト製品だけで過ごすことが出来るほど。
G.E、東雲技研、セクレト。この三社が長らく帝国経済を支えて来た。
その御三家の一角、セクレトの次期総帥候補クレア・セクレト。普段とは装いが違いビジネススーツを纏う彼女もまた、今回の経済フォーラムへ出席するため、会議場の控室へと足を運んでいた。
「参加者は官民問わず増加傾向、とても良い傾向とは思えないわね。悪巧みは注目を浴びない方がやりやすいのだけど。
それに私へのアポイントも殆どが取るに足らない者ばかり。どこかに優秀な影武者でもいないかしら?」
凍えるような笑みを浮かべながらそう告げるクレアの対面には、彼女と同じ白髪を三つ編みにした女性が座っていた。
「お義姉様は次期セクレト総帥ですし、私にそのような熱い視線を投げかけられても……」
「では、何故貴女はここに居るのかしら? セクレト・オルフェオン支部社長、リングリット・セクレト。
その髪を切ってメガネを外せば、見てくれだけは私の代わりも務まるのではなくて? それとも貴女の知る私は、使えない者を近くに置くほど優しかったかしら」
「えぇと、お義姉様、どうかご勘弁下さい……」
目が笑っていないクレアの微笑に、リングリットは縮こまってしまった。
リングリット・セクレトはクレアから見て腹違いの義妹にあたる。
リングリットとクレア、その他に3人いる”セクレト”姓を持つ者は全員母親が異なる関係性を持っている。
そんな彼、彼女らは中央を除いた帝国4大銀河の支社で社長職についており、全員が次期総帥候補としてセクレト総帥から指名を受けている、次世代を担う若きセクレトだ。
五人兄妹の中でもクレアだけが帝国中央と呼ばれるゼノンシス=コア銀河系で彼女の父、つまり現セクレト総帥の下で働いている。リングリットはそんな義姉こそが次期総帥に相応しいと心酔し、クレアをお義姉様と慕っているのだった。
「オルフェオンは帝国経済の要。他とは比べ物にならないほど変動が激しいのに、貴女がいないと支社が回らないでしょうに。今年は私が代表として出るのですし、貴女が来る必要は無かったのよ?」
「ご、ごめんなさいお義姉様。でもお父様が病床に伏せてからセクレトの内情もぐちゃぐちゃですし、義理兄や義理姉たちがお義姉様に何かしないか心配で……」
「人の目が集まるこの会場で? 私達と違ってP.Pを持たない3人にそんな度胸があるとは思えないわ」
5人はそれぞれが次期総帥候補として牽制し合っており、直接的に命を狙い合う関係性にこそ発展していないが、その仲はお世辞にも良好とは言えない。
ただ唯一クレアをお義姉様と慕う二人の間だけは違っていた。クレアから見ればいつの間にか懐いてしまった義妹に過ぎなかったが、それも10年以上続くと何だかんだで可愛い義妹分になっている。
「それよりもリングリット。貴女にはオルフェオンに旅立ったラビット商会のフォローをお願いしたはずなのだけど」
「そのことでお義姉様! リングリットはそれが気になってここまでやって来ました! 何故あんな木端商会を引き入れたのですか? いずれ御三家の頂点に立つお義姉様にあの程度の商会は相応しくないと思います!」
ピキリ、とクレアの表情が僅かに崩れた。背もたれに身を預け、胸の前で両手を組む義姉の姿を見たリングリットは、義姉が話を聞いてくれるものだと思いそのまま話続ける。
「それに良からぬ話も聞きました。お義姉様が今まで誰にも渡したこと無かったゴールドカードを、高級官僚や高級軍人ですらない一介の傭兵に渡したとか。
誰にも渡したことの無い、お義姉様の初めてのゴールドカードですよ? 初めて、初めてをっ……私、納得いきません!」
黙り込む義姉の姿に鼻息荒く、捲し立てるように話すリングリット。
「リングリット」
「はい!」
そんなリングリットに、クレアはコテンと首を傾け、眼を細めて微笑んだ。
「私が決めて、私があの人に渡したの。
――――それで、何か、他に、言いたい事はあるかしら」
「ごめんなさいお義姉様」
二の句は言わせない。
もはや物理的な圧力となった微笑がリングリットの背中を強制的に90度曲げさせた。
(ダメだった、触れてはいけなかった! お義姉様の逆鱗がこんな所に……ああああああ! 私のバカバカバカ!)
中身を伴わない義妹の発言が気に食わない気持ちはあれど、リングリットが義姉である自身を想う気持ちが少し強いのはクレアもよく知る所。頭を下げ続ける義妹の姿に、クレアは仕方がないと溜息を吐いた。
「とにかく、貴女が此処へ来てしまったものは仕方ありません。今日から会議が終わる五日間、私の専属秘書として働くことで不問とします」
「ありがとうございますお義姉様! リングリットは一生懸命働きます!」
「はぁ……もういいから、しっかり頼むわよ」
苦渋な表情が一転、頭を上げてパァァァと輝くような表情を見せるリングリット。これでも一つの銀河系を任された社長なのだが、どうも自分が絡むとポンコツになってしまう義妹に、クレアももう溜息を隠さなかった。
「クレア様、そろそろお時間……っと、義姉妹でお話し中でしたか」
「丁度ひと息ついた所よ、アリアドネ。悪いわね、アスティエロの社長を小間使いみたいに使ってしまって」
「いえいえ~、クレア様に頼まれたって言えば全員納得しますよ。アスティエロはプレスリリースも終わってますし、使い勝手のいい部下もいるので今年はそっちにお任せですね~。それより本会議前の写真撮影の時間が推しているので移動をお願いします」
「あの男は?」
「当然来てますね。御三家の社長ですよ?」
「本当は顔も合わせたくないのだけれど、こればかりは仕方がないわね。では行きましょうか」
リングリットとアリアドネを伴い、クレアは控室の扉を開けて通路を進む。
広い会議場の外に足を運ぶと、この日の為に完璧にコントロールされたコロニー内の環境が出迎えてくれる。
そしてその心地よさを吹き飛ばす勢いでクレア達を迎えたのは、多数の報道陣と夥しい数のカメラが放つフラッシュだった。
三人は慣れた物だと、何食わぬ顔でフラッシュの中を進む。そうして会場中央に辿り着いた三人を最初に迎え入れたのは、身長2mを超える大柄のサイボーグだった。
「お久しぶりですわね。ゼネラル・エレクトロニクス、ヴァン・サイファーCEO」
「クレア・セクレト、今年のセクレト代表は貴様か。かの総帥も、もう長くはないのかな?」
「さあ、どうでしょう? 総帥のお考えは私程度では理解が及びませんの。ひょっとすると、今頃リゾートで羽を伸ばしているかもしれませんわ」
「フン、相変わらず喰えん女だ」
「ご挨拶ですね、ヴァン・サイファー。お義姉様への不逞は許しませんよ」
「奴に会えると思って来てみれば貴様ら小娘が相手だったのだ。この程度の反吐くらい吐かせろ」
「まあ、素敵な誘い文句ですこと。
さあ報道陣が私達の握手を待っていますわ。今年も御三家の関係は良好、アピールタイムと行きましょう」
「消費することしか覚えない民衆へのアピールが何になると言うのだ。まあいい、一面を飾るのは嫌いではない」
報道陣に顔を向け、しっかりと握手を交わす二人に無数のフラッシュが焚かれる。きっちり10秒ほどシャッタータイムを設けた所で、2人に歩み寄る小さな影があった。
「2人は握手するくらい仲良かったのかい? 知らなかったよ」
瞼の下に大きな隈、今にも倒れそうにも見える細身な男性。どこか東方を想起させるゆったりとした服を着込んだ男性を見て、相変わらず不健康な生活をしているのかとクレアは眉を潜めた。
「東雲技研、ファン=東雲=クォヤン主席。相変わらず眠そうですわね」
「やあ、クレアちゃんは健康そうだね。どんどん綺麗になって、もう自分の目じゃ眩しくて見てられないよ」
「寝不足で目が疲れているだけではありませんの?」
「慣れてるはずなんだけどね。それよりもさ、昨日の夜に部下が面白い物を持って来たんだよ。検証に付き合うのが楽しくてね、出来ればこんな場所に来たくは無かったんだけど……あー、まあ、今年は開催日に間に合って良かったよ。
それよりもほら、集合写真を撮ろうよ。君たちが並ばないと始まらないんだから」
ファンの後ろに控える秘書が鋭い視線を送ると、ファンは取って付けたようにそう言った。
そんなファンを中心に、クレア、ヴァン・サイファーが左右に並ぶ。
その横や後ろのひな壇に並ぶのは帝国有数の企業社長や投資家、貴族連、中央評議会議員たちだ。
バレンシア会議は企業が中心となる経済フォーラムだが、政治の中枢に居る貴族連や中央評議会議員も多数参加している。そんな彼らを抑えて御三家が中心になる位置取りは、この経済フォーラムの場において、為政者よりも市場経済を牛耳る企業の強大さを表していると言える。
帝国経済界において、御三家がどれ程の影響力を持っているのか。
クレジットの流れを理解している投資家の間ではこんな冗談がある。
御三家がなければ帝国経済界は成り立たないが、帝国が失われても御三家は成り立つ。
初めはただの冗談だったが、現時点で帝国経済は御三家無しでは成り立たない環境が整えられてしまっている。
企業が上で、帝国が下。この状況に為政者たちが納得出来るかは別だが、毎年バレンシア会議に参加している者たちは、報道陣含めてこの話が冗談で済まないものと理解している。だから企業の頭を抑えるため、為政者たちもこの場に集まっているのだと。
そんな陰謀渦巻く主要参加者たちの写真撮影も終わった所で、リングリットは秘書らしくクレアの元へとはせ参じた。
「お義姉様、本日はこの後3つのセッションへ参加予定がございます。一つ目は10分後です、直ぐに移動しましょう」
「そうね、リングリット。では御二方、御機嫌よう」
微笑一つ出さず、クレアはリングリットをアリアドネを伴って会場の中へと戻る。
これから始まるのは、表向きは最大多数の最大幸福といった、ある種優等生的で綺麗な目標に向けてどのように取り組んで行くか? そういった議論の場だ。
だがその本質は帝国経済の今後を左右する価値観の共有、目的の設定、そしてルールの策定。
如何に自分たちに有利で、表向きは帝国の利になるルールと価値観を設計出来るか。そして如何にそれを浸透させていくのか。それを5日間で決める年に一度の経済フォーラム、言い換えれば言葉を使った戦争だ。
この場の全員が社の命運を握る社長、ないしは帝国経済の担い手たち。自然と3人の雰囲気も鋭くなっていく。
そんなクレアとアリアドネのプライベート端末に、秘匿通信を知らせるアラームが鳴った。
「スターゲートを介したリアルタイム通信? どこから……って、はは~ん。マリーちゃんめ、昔二人で考えた暗号文じゃない。
よっぽど困ったことがあったのかな? ……あー、クレア様? 少しお話したいことが―――うっわ、すっごい笑顔」
「……アリアドネ、何か?」
アリアドネが話しかけた時、クレアは自分の端末を食い入る様に見ていた。
クレアのプライベートアドレスを知る者は限られており、その者たちから連絡が来てもこのような反応を示すことはない。
では誰が、冷笑が似合う白雪姫に乙女の感情を植え付けることができるのか? アリアドネは不思議に思ったが、瞬時にプライベートで連絡をやり取りしているであろう傭兵の存在を思い出した。
「あ~、クレア様? ちょっと表情がですね、その、艶やか過ぎると言いますか、そんな表情でセッション会場に行ったら、勘違いした男が自分を堕としに来たのかって思っちゃいますよ」
送られてきた内容については聞かない。相手は一人しかいないのだから、アリアドネだって馬に蹴られたくないのだ。
それはそれとして、気を取り直して貰わなければセクレトが誇る白雪姫の撃墜スコアが増えてしまうので正気に戻って欲しいアリアドネだった。
「―――コホン、失礼しましたわ。それで? 何があったのかしら?」
「ラビット商会から緊急の暗号文です。オルフェオン銀河系ガリアン星域で企業間戦争に巻き込まれたと」
「。。。。。。はい?」
「本日から始まったバレンシア会議の会場から中継でお届けします。主要セッションの一つ”企業間の信頼と成長”の途中でG.Eのヴァン・サイファーCEOが会議場から姿を消しました。詳細は不明ですが、ティオイマスの関係者から聞いた話によると、オルフェオンで起きている企業間戦争に動きがあったのではないかということです」




