32_ラビット/セクレト
騒動の後、蛇に睨まれたカエルも同然な俺は当然逃げ出すこともできず、慌ただしく動き始めたギルド職員に個室へ案内された。ちなみに用があるのは俺個人らしいので、ハイデマリーへの連絡役としてエリーには先に帰って貰った。
ギルド職員はギルド構成員が失礼なことをしたと繰り返し謝罪していたが、少女自体は問題にするつもりはない、今後の再発防止に期待すると言うだけだった。ただ一言、”中央は質が悪いのですね”と呟いたのがとても怖かったが。
とはいえ相手は帝国経済の頂点。3大企業の一角セクレトの、それも専務に失礼を働いてしまった事実はあまりにも重いらしく、何かしらのペナルティが関係者には与えられるだろう……というのは、俺の勝手な想像だ。案外真実かもしれない。
そんな少女……見た目はただの身形の良いお嬢様で、セクレトの専務取締役というには若すぎる少女が対面に座っている。
「では改めまして、自己紹介をさせて下さいまし。
私、セクレト・コーポレーションで帝国中央領域を担当しております”クレア・セクレト”と申します。どうぞよろしくお願い致します」
「あ、これはどうもご丁寧に? ありがとうございます」
「言葉遣い、無理なさらなくても結構でございます。貴方様から敬意を頂くだけで、私は満足しておりますので」
名刺をこちらに渡し、にこりと笑うクレアさん。天真爛漫なエリーや冷静沈着なリタとはまた違う、気品と自信に満ちた綺麗な笑顔を向けられ、どう反応したものかと名刺に目を移す。
セクレト・コーポレーション。
帝国中央領域統括クレア・セクレトと書いてある。もちろん専務取締役とも。
ドッと気が重くなる。クラウン司令も雲の上の人だが、あの人はまだ軍属だったから接し方も分かっていた。けど彼女は大企業の専務取締役、ただの傭兵でしかない俺にどうしろと言うのか。
「オキタ様、是非名刺の裏を見て下さいまし」
「裏ですか? これは……え゛、プライベート番号とアドレス……?」
「おほほ。今後セクレトへ頼みたい事があれば、私へ直接ご連絡なさって下さいまし。全てにおいて貴方様を優先させて頂きますわ」
思わず天を見上げてしまった。梅干しを食べたような酸っぱい顔でグッジョブするハイデマリーの顔が天井に見えた気がする。
重い。これは俺一人で受け取るにはあまりにも重い。
「失礼、クレア嬢。質問しても?」
「よろしいですわ、リターナ・ベル様」
リタの本名を当てられたことで、ピクリと俺たちの身体が反応した。
リターナ・ベルは既に存在しない。此処にいるのはただのリターナ、そういうことになっている。これはクラウン司令がやったことで、まだどこにも出回っていないはずの情報だ。
今後も表に出ることもないだろうそれを、何故彼女が知っているのか。
警戒心が上がった俺たちの緊張をほぐすよう、クレアと名乗る少女は朗らかに笑う。
「ご安心くださいませ。クラウン司令は深い関係者にのみ真実を伝え、それ以外には隠蔽・偽造した情報を流布しております。
私が本件について存じ上げておりますのも、言ってしまえば便宜を図って頂いたからです。クラウン司令は私がオキタ様を探していることをご存じであったので、大変ありがたいことに、艦隊司令官から直々にご連絡を頂戴しましたの」
「そう。普通ではないね」
「普通でございますよ、私にとっては。おほほ」
「そうなんだ。じゃあ聞くけど、名刺の裏に書かれてあるこれは何?
この内容、売ればとんでもないクレジットになる。セクレト専務取締役のプライベート番号なんて、知りたい人はそれこそ帝国中にいる。貴女が知りたかったオキタの居場所の比じゃない」
「それだけの価値を私はオキタ様に感じている、それだけのことですわ。
ああ、申し上げておきますが、B.M.Iで私を感じようとしても無駄ですわよ? 天然由来のP.Pと後天的に植え付けられたB.M.I。どちらに軍配があがるかは明白ですわ」
「チッ……わかった。オキタに危害を加えるつもりがないのなら、今はそれで理解しておく」
どこかカリカリしているリタは、そう言ってソファの背もたれに勢いよく身を任せた。リタに同席して貰った理由はさっきクレアさんが言った通りだが、どうやら相手の真意を読む方法はダメだったらしい。
今もどこか真剣な表情で目を瞑っているので、ひょっとしたら探りを入れている最中なのかもしれない。頼んだ手前こういうのも何だが、あまり無茶しないで欲しい。
そう思いながら、用意されていた紅茶を口にする。
「さて、それではオキタ様。単刀直入に申し上げますが、私と結婚して頂けませんか?」
「ぶ―――ぐっげほっゲほ、、、は、はあ!? 結婚!?!?」
「はい。まずは私と懇ろな関係に、その後で結婚致しましょう」
両掌を合わせて可愛らしく笑うクレアさんに向かって、紅茶を吐かなかった自分を褒めてやりたい…!
突然意味不明なことを言われて動揺しているが、カップの湖面を揺らしながらゆっくりと中身の入ったそれをソーサーに置く。
落ち着け、意味不明な相手が理解不能なことを言っているだけだ。
これは、そう、作戦だ。初めに大きな案件を話してから小さな案件に入る。実は小さい案件が本命にも拘らずそうでないように見せかける、そういった類の話に違いない。
だから間違っても隣に顔を向けてはいけない。隣に座っているリタからとんでもない怒気と冷たいナニカを感じるが、間違ってもそちらを見てはいけない。見たら最後、ナニされるか分からない。
「突然のことで驚きかと思いますが、私はオキタ様にゾッコンですの。オキタ様に何をお渡しすれば良いのか悩んだのですが、悩むくらいならばいっそ全て差し上げようと思いまして」
「……言葉が悪いですが、とりあえず言わせてください。クレアさん、あなたぶっ飛んでますね」
「ああ! もっと仰って下さいまし。私は貴方様に全てを捧げるのです、貴方様も全てを私に捧げて下さらないと不公平ですわ」
「無敵かあんた」
「私のことは是非、クレアと呼び捨てになさって」
頭が痛くなってきた。
軍を辞めてから、どうしてこう面倒な相手ばかりが周りに増えてくるのだろう。
軍にいた頃は良かった……難しいこと考える必要はないからとりあえず突っ込んで来いとだけ言われて、後の事は全部他の人に任せられていたあの頃。書類やら対外折衝なんかも全部専門チームがやってくれたりしていて。つい数ヶ月前の話のはずなんだけどなぁ……。
「私としたことが早計でしたわ、この話はお互いの関係が深まった時に再度させて下さい」
「いやいや、そんな冗談はいいですから」
「あら、乙女の一大事を冗談で済まされてしまうおつもりで? そんなことを言われてしまっては、流石の私でも悲しいですわ」
「……俺にどうしろと?」
「おほほ、ご安心ください。私が傷つく部分は冗談でございますので」
「おほん! オキタ、クレア嬢からはまともな話が聞けないようだし、もう帰ろう」
「あらあら? リターナ様はせっかちでございますね」
「リタ、まだ何の話にも入れてないから……おい、俺を睨んでどうする。ああもう……クレアさんは話を続けて下さい。あるんでしょう? 俺としたい商談が」
不機嫌を隠そうともしないリタを宥めるが、落ち着いてくれる処か睨み返された。これは帰った後が本当に怖くなってきた。
あー、ダメだ、疲れる。
第一、大企業のお偉いさんを相手に上手く立ち回れるほど俺の頭は良くないのだ。お偉いさんの相手をした経験も無い。
こうなったらもう、出来るだけYesかNoだけの簡単な受け答えをするように努めよう。
「ではまず一つ目です。ラビットと契約を解消し、セクレトと契約して下さいませんか?」
これは予想できた。だったら答えは簡単だ。
「それなら答えはNoです。雇い主には何度も助けて貰った恩もあるし、今の環境にも満足している。そんな状況で鞍替えできるほど、俺と雇い主の関係は浅くはないつもりです」
「ハイデマリー様ですね? 私も最近お話を伺っております。オークリーの一件で帝国上層部の覚えも良く、とても優秀な方だとか。
ですが、どうも貴方様の価値を見誤っておられるように感じますわ。
私と契約して頂ければ契約金に4000億。その後10年ごとに1000億ご用意できます。もちろん、出来高は別でお払いしますわ」
4000億って、なんじゃそりゃ。
個人に支払う額じゃない。4000億もあれば戦艦が買える。中尉相当が月給80万なんだぞ、4000億なんて一生掛かっても稼げる額じゃない。
「バカげた額、ひとりの傭兵に支払う金額じゃない」
リタの言う通りだ。そんな額を支払うとは到底思えない。これもブラフか?
「リターナ様、私申し上げましたわよね? オキタ様の価値をよく存じています、と。
オキタ様は機体さえ万全であればⅦ型ヴォイド、通称戦艦級すら墜とされる御方です。あれ1隻を墜とすのに、一般の兵隊様ではどれだけの数が必要になるかご存じでしょう?
個人でアレを墜とせるオキタ様になら、セクレトがこの程度の契約金を支払うのは当然ですわ。
オキタ様、如何でしょう? こちらの金額でご満足頂けないのでしたら、私の権限で吊り上げることも可能です。希望額を仰ってください」
真剣な眼差しで見つめられる。俺もリタも、本気で訴えてくる彼女に息をのまざるを得ない。
本気なんだ。この子は本気で俺に4000億の価値があると思っている。
帝国が推奨している延命処置をしない場合、俺の今の年齢からして、パイロットとして第一線を張れるのはどれだけ足掻いても半世紀が限度だろう。たったそれだけの期間であっても、彼女は俺と本気で契約したがっている。
だが、譲れないものは俺にもある。
「……そこまで評価して貰っているのは正直嬉しい。とても光栄だし、自分の価値や立ち位置ってやつが評価して貰って初めて理解でき始めた気がする。
けどクレアさん、これはクレジットの問題じゃないんです。
俺が何をしたいかは俺が決めることであって、そこには俺の居場所も含まれてます。それは隣のリタや、他の連中がいるラビット以外じゃありえない。だから、この話は受けられません」
断られると思っていなかったのか、クレアさんの瞳は揺れ、手で口を押さえて驚いている。
だろうなぁ、俺だってラビットに入る前にこの提案を受けていたらホイホイ契約してついて行っただろう。実際とんでもない話だし、ここまで旨みしかない話もそうそうないだろう。
とはいえそんなにクレジットを貰っても使いきれない……こともないのか? 自分の船を持ったりもできるだろうけど、諸々面倒な仕事が増えそうだから結局やらないだろうけど。
TSFに乗って、気の合う仲間と馬鹿をしながら宇宙を旅するほうが俺の性に合っている。
「オキタ様」
「はい?」
少しドスの効いた声が発せられた。
やばい、怒らせてしまったかも。さきほどの提案を断ったせいで不利な扱いをすると言われてしまえば、出る所に出て訴えるしかないだろう。全く勝てる気はしないが。
「何故クレアと呼び捨ててくれないのですか! 私は寂しゅうございます!」
「あんたマジで何なんだ!?」
身構えた俺が馬鹿だったよ!
何なんだよこの人、実はかなり愉快な人なんじゃないか? ネタなのかガチなのか全く分からないが、好意的に見てくれているのは信じてもいい、のかもしれない。
「仕方ありません、こちらも断られるのは想定しておりましたので」
「断ったことに対してゆすったりとかは……?」
「そんな程度の低いことしませんわ。やるならラビット商会ごと引き抜くつもりでしたが、今となってはそれも不可能ですし……では、オキタ様にはもう一つ。今度はお互いにとっても魅力的なご提案になりますわ」
机の上に差し出されたのは、一つのデータ記憶媒体だった。
「これは?」
「まずは、ご確認頂ければと」
ウイルスでも仕込んでないだろうなと心配しながら、内部のデータを自分の端末にコピーしていく。
ダウンロードが終わった書類をタップ。
空間に投影されたソレにはデカデカと書かれている【機密】の文字。
それはいい、その先に書いてある内容に俺は息をのんだ。
『帝国軍次期TSF開発計画。開発コード:リーンカーネーション』
「帝国軍が惑星グラナダで推し進めている次期TSF開発計画に私共セクレト・コーポレーションの一つ、セクレト・インダストリアル・ペサダも参画しております。
そこで私共が開発中の第11世代X-TSF実証実験機。この開発計画に、貴方様を弊社の主席パイロットとしてお迎えしたいのですわ」
と言う訳で、第3章のメインはTSF開発計画から始まります。
さっくり済ませるつもりですが、よければお付き合いください




