111_エリー・ザ・サブミッション
魅惑のリゾート出発まで、まだ三日もある。
次の仕事……というか、やることがバカンスなだけに暇を持て余しているが、惑星デミオルの青い海も白い砂浜もまだ想像の中だ。準備は全部ティマイオス社任せ。こっちの仕事は心構えだけだ。
そんなわけで暇を持て余している俺は今、何をしているかというと―――
「格闘訓練に付き合ってくれてありがとな、エリー」
ラビットⅡ艦内、筋トレルーム奥の訓練区画。
パワーラックとダンベルが並ぶ無骨な空間の一角に、衝撃吸収マットが敷かれている。ここなら派手に暴れても問題ない。俺がハイデマリーにお願いして作って貰った場所はここと、あとはTSF訓練シミュレーター室だ。
「オッキーってホント真面目だね~。昨日は射撃訓練。で、今日はボクと格闘訓練? 少しくらい休んだって罰は当たんないよ?」
格闘訓練用の薄着に着替えているエリーが、ストレッチをしながら首を傾げる。
「身体を動かしてないと違和感が凄くてな……付き合ってくれて助かるよ」
「まったく、これだからメリダ方面軍は。ジャンキーしかいないんだから」
ぶーぶー言っているが、こいつも暇になったらここで身体を動かしている。エリーの徒手格闘は帝国軍に居た頃から知っているから、本当はリタに頼むつもりだった。
ところが、リタには断られてしまった。
理由は単純で、手加減が出来なくなったら危ないから、と言われた。B.M.I強化手術で肉体を強化されているリタのパワーは……まあ、実演されたことをそのまま言葉にするなら、素手で金属を引き千切るくらいだ。それは確かにやべーわ。
「行くのはエリュシオンだけど、バカンスだよ? 心配しすぎじゃない?」
「バカンスだから、余計に心配なんだよ」
意味が分からないという顔をされる。
だが真面目な話、リゾート惑星は緊急時を除き機体や艦を動かすことは禁止されている。帝国軍が駐屯しているとはいえ薄着で武器制限あり、夜は酒、トラブル率は上昇しているだろう。
そんな中、最後に頼れるのは己の肉体だ。筋肉と体力は裏切らない。
「ルールはどうするの?」
「打撃あり、寝技あり。ライトスパーで」
「ライトの基準は?」
「折れない程度。バカンス前に怪我して医療ポッドは嫌だろ?」
「物騒!」
エリーは小さく笑ってマット中央へ。
身長差はある。体格差もある。加えて俺は元軍人だ。パイロットとはいえ、出撃の合間に白兵戦のイロハは叩き込まれている。成績はそれほど良くなかったが、それでも軍人だと胸を張れるレベルだ。
だが、眼の前の小柄な少女はその常識を壊してくる。
「いくよ?」
「来い!」
同時に踏み込む。
エリーの構えは低い。タックルから組み技に持ち込もうとする意図が見え見えだが、その構えは重心が地面に吸い付いているようだ。
これに何度負かされたことか。組みつかれないよう、ジャブで距離を測る。
パシ、と払われる。即座に回り込んで横を取ろうとする動きが速い。
けど、付いて行けない程じゃない。フットワークを刻んで右をフェイントに左ボディ。今度は入った。
「っ」
エリーの呼吸がわずかに揺れる。
手応えを感じて前に出ようとした時、視界の端から空気が歪んだように見えた。
それと同時にエリーの左肩が僅かに下がる。反応が思考より先にガードを選択させた次の瞬間―――エリーの足が、低い重心からしなる様に跳ね上がって来る。軌道は蟀谷一直線。
「―――!」
両腕で受ける。
直後、骨にまで響く衝撃。鈍い音がマットの上で弾け、足裏が半歩後ろへと滑る。受けたはずなのに、身体が一瞬浮いた。
受けた腕が痺れる。
遅れて、焼けるような痛みが神経を駆けあがって来る。小柄な身体のどこにこんな、化け物みたいな質量の蹴りを生み出す力があるんだ。
「ちぇ、惜しい。決まったと思ったのに」
惜しいじゃねぇ。今のは意識が飛ぶ威力だ。
呼吸を整えながら、再度距離を測る。
違いに距離間を見極めながら前に出れずにいるが、耐久面を考慮するなら、この距離なら俺の土俵だ。
エリーの打撃で注意を払うのは、剛脚から繰り出される蹴りのみ。
それに反応できる距離を保ちつつ、俺はガードの上から削り切れば勝てる。近づけさせないようにジャブで牽制、決して大振りはしない。
エリーもこの距離が不利だと判っているのだろう。左右に振りながら俺の隙を窺っているが、堅実に詰めて逃げ場を潰していく。
フラストレーションが溜っていく様が見て取れる。
このまま続ける……そう思った所で、エリーの瞳が細まった。その重心がさらに沈む。
来る。
そう感じた瞬間、視界から姿が消えた。
「―――ッどこだ!?」
床を蹴る音。背後か? いや違う、左下だ!
完全に勘任せでタックル気味に踏み込む。身体と身体がぶつかる直前、細い腕が蛇みたいに絡みついて来る。
来たな、十八番のサブミッション!
肘を引き、体を捻る。関節が極まる角度、その一歩手前で滑る抜けることができた。
「えー、絶対取ったと思ったのに。メリダに居た頃より全然対応早いじゃん!」
「何度お前に関節決められたと思ってんだ。こっちだって少しは学習してんだよ!」
犬歯を剥き出しにしたエリーに、今度は俺からタックルを仕掛ける。
低く、深くぶつかる。
エリーの身体は軽い。暴れるが逃がさない。構わずそのままマットに叩きつける。
鈍い衝撃音を残したまま、体重を預けてそのまま跨る。
「よし!」
マウントポジション。
膝で腕を殺す。腰を落とし、重心を沈める。もう逃げ場はない。
呼吸が近い。
「……重い」
「今回は俺の勝ちだな?」
価値を確信して、ほんの僅かに力を抜いた。
その瞬間だった。
「それは、どうかな?」
ニヤリと笑いかけられた次の瞬間、その細い腰が跳ねた。
一瞬。本当に一瞬だけ、世界が軽くなる。
俺の重心が、僅かに浮いた。
「……は?」
次の瞬間、天地が傾く。
ブリッジ。
小柄な体とは思えない爆発力で、マウントを取っていた俺ごとエリーの体が浮いた。
「くっ、嘘だろ!? 何つーパワーしてんだお前!?」
体勢が崩れる。今度は逆に、エリーの脚が俺の片腕を絡め取ってくる。
「しまっ」
投げられる、と思った時には視界が回転していた。
天地逆転、マットの冷たさが背中を打つ。
「はい、ポジションチェーンジ」
「んなろ……!」
息が詰まる。
ほんの数秒前まで、上に居たのは俺だ。なのに今は見上げている。
だが、ギブアップにはまだ早い。
逆転できる手立てはまだある。腕を守る。首を守る。スペースを作る。勝てると思った瞬間に一撃かましてやるために、必死に今は耐える。
「やっぱ拳じゃ駄目だね。なら!」
腕十字が来る、そう感じた時には脚が首を越えていた。
太腿が視界を遮り、肘が伸びる。
ミシ。
嫌な音が、自分の腕の中で鳴る。
折れるな。
折れるな!
折れるな!!
「っ……!」
「うひ~、粘るね~」
「ったりまえだ、諦めが悪いんだよ」
「けど、耐えられるかな?」
痛みが遅れて爆発する。けどまだ折れてない、まだやれる!
身体を横にずらし、重心を寄せる。足首を掴んで角度を崩す。
その一瞬で、締めが緩んだ。
「お?」
出来た、わずかな隙!
「よし!」
抜けた! そのまま転がって距離をとり、立ち上がって構えなおす。
だいぶ呼吸が乱れた。だが、まだ動ける。仕切り直しだ。
「まだ降参しない?」
「こっちの台詞だ!」
額の汗を拭う。
エリーの構えが蹴り主体の物に変わる。こいつの蹴りは異次元だ。威力も速度も。拳の打撃もダメージを与えるには十分。だが本当に怖いのは寝技だ。次に絡まれたら終わる。
「さあ、決着だよオッキー!」
「望むところだ!」
無理はしない、今度はフェイント多めでいく。打撃を散らし、意識を上に向けさせる。
そこへローキック。衝撃にエリーの顔が歪む。
更に一歩踏み込むと、エリーはカウンターを狙うようにローキックを繰り出して来た。
知ってたさ。けど、一発だけなら受けて耐える!
ハンマーを叩きつけられたような衝撃が太腿に奔る。
視界が揺れる。それでも踏み込む。
初めて一歩引いたエリー。だが、逃がすかよ!
腕を差し込む。汗で滑る首筋を逃がさない。
「っ」
前腕を深く沈める。フロントチョーク気味に締めあげる。
体格差を活かせ!
このまま体重を落として首を下げさせる!
エリーの体温が腕の内側で跳ねる。細い喉の鼓動が伝わって来る。呼吸は乱れ、細い肩が上下している。
……いや、乱れているはずなのに、何だこのリズムは。妙に一定に刻んでいるような……いや、耐えるように肩は上下している。
だが、喉の奥が静か過ぎる。
軽い。さっきまで感じていた抵抗が、急に軽くなった。まるで力を抜かれたみたいに。
嫌な予感が背筋を這うが、締めは入っているんだ。
俺の重心は完全に上だ、いける。
考えるな、このまま落とせばそれですべて終わる。
白い艦内照明が、汗で滲んだ視界の向こうで光る。
首が落ちる。
呼吸が止まる。
逃げ場はもうない、完全に捉えた。
―――勝った。
その確信が、胸の奥で熱を持った。
その瞬間、エリーの息遣いが聞こえた。
笑っている。その仕草に背骨が冷えた、次の瞬間。
世界が引き伸ばされた。
エリーの首が反る。下から上へ、爆発するように。
汗の粒が空中に弾ける。照明が、白くフラッシュする。
ぐっ―――
たったそれだけで、喉が抜けた。
「―――は?」
理解が追い付く前に、地面を蹴る音。
バンッ!
細い体が爆ぜ、信じられない軌道で浮き上がる。
俺の腕を、肩を、身体を踏み台にして、一瞬で視界の上へ消える。
次の瞬間。
視界が脚で塞がれる。
太腿。白い、汗で光る。
その太腿に顔を挟まれる。
浮く。
内腿の圧のなか、一人の体重で俺の重心が奪われる。
俺の脚が、マットを失った。理解が追い付かないまま、天地が回る。
一瞬の浮遊勘。自分の体が自分の物じゃない感覚。制御が効かず、支点が消える。
「やば―――」
言い切る前に、世界が裏返った。
ドンッ!!
背中から地面に叩きつけらる。
衝撃が脊椎を走る。視界が弾ける。音が遠い。
「―――かはっ!?」
肺の空気が全部抜ける。何だ? 何をされた? 何が起きた!?
焦点が合わない。耳鳴り、遠くから機械音。自分の心臓の音だけはやけに近い。
痛みに耐えて起き上がろうとしたとき、背後に体温を感じた。
冷たい。汗で濡れた前腕が、俺の喉を巻く。
締まる。
エリーの髪が頬に触れる。甘い匂いと、鉄の味の混ざった呼吸。腕が首に回り、締まる。視界が狭まって来る。
「……どう?」
囁きが、やけに近く感じる。
視界は狭まる、白が灰色になる。
……くそ、ここまでか。
「……タップだ」
床を叩く。
解放。酸素が流れ込み始め、天井の視界が戻って来た。
マットに大の字。照明がやけに白い。ちょっと動けねぇ……。
「ハリケーン・ラナとか……うっそだろお前……」
息を整えて初めて、自分が何をされたのかが理解した。
「ふぃ~、おつかれ~」
隣にしゃがみ込むエリー。小さな身体に、汗で光る前髪。
くそ。さっきまで捕えていたはずなのに負けた。完璧に捕らえていた、勝ったと思った。なのに、俺は簡単に裏返されてしまった。
「いやー、新作が決まって良かったよ! 惜しいのは、観客が誰もいないことかな? いたら拍手喝采もの間違いなしだね!」
もしここがデミオルだったら?
酒場の裏路地だったら?
武器も機体も使えない夜だったら?
今みたいに、笑って済むか?
エリーは、今みたいに冗談を言えるか?
俺は―――守りたい人を、守れるのか?
「ちくしょー、途中までは良かったのに」
「うんうん、いい線行ってたと思うよ。格闘苦手だって言ってたのに、ちゃんと鍛えてたんだね」
「お前やクロに負けっぱなしでいられるかよ……」
「あー、クロはね~……うん、アレはしょうがなくない?」
「慰めんなー」
喉が熱くなる。悔しい……違う、怖い。守れないかもしれない自分が。
結構鍛えているつもりなのに、まだ勝てない。
本当は、メリダに居た頃にコイツを守るために鍛えた。なのに毎回、こうして勝てない。これじゃ守られる側にいるのは俺だ。
拳を握る。震えているのは疲労のせいじゃない。
くそ、まだ足りない。全然足りない。俺はそれが、何より腹立たしい。
「あと一本やる?」
にやり、とエリーは軽く言う。
「……当たり前だ!」
三日後は武器制限。艦も機体も動かせない惑星だ。トラブルは避けるが、いつだって想定の外からやって来る。その時、最後まで立つのは俺だ。
身体を起こす。
首が痛い。腕が重い。何より太腿が痛い……折れてないだろな、これ。
それでも構える。
「次は一本取るぞ」
「期待してるよ?」
小さな身体が、また低く構える。
俺は息を整え、もう一度踏み込んだ。
打撃系など花拳繍腿!!関節技こそ王者の技よ!!!!




