107_蠢く者たち
―――コロニー・エスペランサ
―――セクレト本社ビル最上階
―――クレア・セクレト執務室
セクレト中枢の深層通信網は、外部からの侵入を前提に設計されている。侵入を拒むためではない。侵入を想定しきった上で、それでも揺らがないための構造だ。
その最深部でクレア・セクレトは一人、照明を落とした執務室にいた。
壁一面に展開されたホログラムは、すべて未読のまま静止している。だが、彼女の意識は情報の洪水に向いていなかった。
形のある情報ではない。P.Pホルダーとして、もっと手前の感覚とでもいうべき独特な感覚に対し神経を張り詰めている。
―――来る。
確固たる根拠はない。だが、クレアは自身のこの感覚に裏切られたことがなかった。
次の瞬間、執務室の端末が自律起動した。
認証要求も警告音もない。それ自体が、拒否権の存在しない通信である証だった。
壁一面に広がる通信画面。そこに映った人影は逆光に沈み、表情は読み取れない。
その人影を見て、クレアは息を整える必要すら感じなかった。何故なら、この回線を開ける存在はセクレトに一人しかいない。
―――エリアス・セクレト。
数年前に行方不明となった現セクレト総帥にして、セクレトそのもの。
失踪、沈黙、行方不明。どんな言葉で語られていようと、この男が盤面から消えたと本気で信じている者は一人もいない。
「久しぶりだね、クレア」
低く、よく通る声。感情をそぎ落としたような、抑揚の少ない話し方をクレアはよく知っていた。
「……今まで、何処に隠れていたのかしら」
皮肉を混ぜても意味はない。クレアの知る父は、自分の抱く不満を理解をした上でこの回線を開いている。それでも言わずにはいられなかった。
「状況は把握している」
それが挨拶代わりの一言だった。
クレアへの確認も、報告の要求もない。既に知っている者の口ぶりだ。
「オキタ・――ΑΩ適合者。現在の稼働限界は三分前後。
全力稼働時のログは不完全だが、致命的欠陥は確認されていない」
淡々とした列挙。人名が、機体スペックと同列に並ぶ。
「……それで?」
クレアは喉元までせり上がった言葉を飲み込んだ。
この相手に感情を見せても意味はないことを理解しているから。エリアスは、最初からオキタを“人”として見ていない。もっと抽象的で、もっと都合の良い何かとして見ている。
「X-TSF。アレの後継機開発計画を始動させた」
一拍も置かない断言。自身のそれがどれほどの意味を持つかを、この男は理解している。だから、クレアは正気を疑う様に聞き返す。
「……今、何と?」
「ΑΩ搭載を前提とした新規設計だ。適合者の戦闘データを中核に据える」
静かな声。だが、内容は暴力的だった。
「既存技術の延長ではない、私の再誕計画を始動させる」
それが何を意味するか、クレアには分かる。
ΑΩはセクレトの技術体系そのものを引っくり返す可能性を秘めている。セクレトが持つ帝国の遺失技術を用い、オキタという存在に合わせて組み替えるという宣言だ。
帝国、評議会、企業。いずれもが水面下で争奪を続けてきた“均衡破壊因子”。それが一人の傭兵と結びついていく。
「……彼を、どうするつもり?」
平静を保つクレアの声。だが問いの芯は鋭い。
逆光の向こうで、エリアスは組んでいた指をほどく。その動作ひとつで場の空気が変わった。
「維持する」
短く、明確な答えが返ってくる。
「適合者は希少だ。消耗させる段階ではない」
“まだ”という言葉が、あえて省かれているのが分かる。その省略が意味するものは、消耗させる時が来る前提での話だとクレアは理解してしまう。クレアが反発心を抱くにはそれだけで十分だった。
「期待はしていない。ただ、あるがままを」
その言葉が胸に刺さる。期待しない、というのは信じないこととは違う。クレアの知る兄や姉が、父を真似て魔法の様に使う言葉。結果だけを見る、という宣言だ。
「期待は判断を鈍らせる。私は再現性と持続性しか見ていない」
クレアの指が、無意識に強く握られた。
「相変わらず、人を資源みたいに言うのね」
「違う」
即答。
「人を、正しく資源として扱っている」
エリアスの理論に善悪は存在しない。ただの前提条件だ。
「彼は条件を満たしている。だから使う。満たさなくなれば、別の手段を選ぶ」
影が僅かに姿勢を変える。
「君を前面に出さなかったのも、そのためだ」
「私が邪魔だから?」
「好いたのだろう。その感情は誤差だ」
断言。
「誤差は排除する」
通信はそこで終わった。切断すら演出の一部のように。
通信が切れた後、執務室は再び静寂に沈んだ。照明を落としたままの執務室には、クレアの呼吸音だけが残る。
エリアス・セクレトは何も説明しなかった。
彼には説明の必要がないからだ。クレアが知るエリアスという男はいつもそうだ。人に理解を求めない。自身の理論が成立していることこそが重要で、誰も把握出来ていない結果を前提に動く。
X-TSF後継機開発計画。
ΑΩを中心に据えた新設計。
適合者を基準に再構築される技術体系。
どれもが唐突に見えて、実際は驚くほど滑らかに繋がっている。まるで、最初からその順番で並べられていたかのように。手元にある計画書、その土台となる基礎理論に指を這わせる。
(偶然じゃない)
クレアはそう確信した。
出自が不明なオキタ。
稀少なΑΩ適合者。
規格外な身体強度。
子供の頃から戦場にいた、逸脱した例外。
だがエリアスは、オキタを例外として扱っていない。特別視すらしていない。起こり得る事象の一つとして盤面に置いている。クレアにはそれが何より恐ろしかった。
クレアが思うに、エリアスの思考において、個人はただの変数なのかもしれない。制御可能なもの。あるいは、制御不能になる前に手を打つべきもの。
クレアは、父の言葉を反芻する。
「維持する」
「消耗させる段階ではない」
裏を返せば、消耗させる段階が来ることを前提にしている。
そして、その時に備えている。
(父は……)
クレアは端末に映る暗転した画面を見つめた。
(オキタ様を知っている……?)
クレアの知る父の視線はいつも遠くを見ていた。国家も、企業も、戦争すら。目の前にある現実を直視しているようには思えない。まるで、世界そのものを一つの構造物として見ているかのようだった。
(私の知る彼じゃない、もっと別の……まさかあの時から?)
思い出すのは嘗ての父の背中。メリダ星系で老練翁伯爵と対談したあの場に自分もいた。
何か重要な話をしていた記憶はあるが、それが何なのかクレアは思い出せなかった。ただ、その中にオキタが組み込まれている。今その確信を得た。
思い出せない記憶に、クレアはゆっくりと息を吐いた。
エリアスは”あるがままを”と言った。そこに何の意味があるか、今のクレアにはまだ掴めていない。
だが重要なのは、エリアスはオキタに手を伸ばした事実。それも支配するためではない。救うためでもない。ただ存在ごと管理するためにだ。
それが、エリアス・セクレトという人間のやり方だ。
(……好きにはさせない)
オキタは駒ではない。忘れられない、刻み込まれたのは自分も同じ。この決意が何を意味するか理解してもなお、クレアは”セクレトへ”抗う事を選んだ。
絶対に譲れない物がある。故に、父の計算を外す。そう心の中で誓いながら、クレアは秘匿回線を開いた。
「私です。クラウン司令へ取り次いで貰えるかしら」
◇
―――同時刻
―――帝国中央評議会講堂
―――上層会談室
壁一面を覆う帝国旗、天井から降り注ぐ光は恒星を模したものだ。
ここは帝国が意思を統一するための場所ではない。支配者が、自分たちを支配者だと信じ続けるための空間だ。
よく出来た劇場だなと、ゼネラル・エレクトロニクスC.E.O、ヴァン・サイファーは椅子に腰掛けたまま冷静にその空間を見渡していた。
視線を巡らせることに意味はない。何度も訪れたこの部屋に、今更動かされる感情など存在しない。
その部屋の、中央評議会の面々が座る中心から少し外れた場所。コーサ・ノストラは椅子に深く腰掛けたまま、サイファーを見ていた。
見下ろしているわけではない。少なくとも物理的には。だが精神の高さにおいて、自分が上だと疑っていない目だった。
サイファーはその傲慢さを嫌悪していない。彼、あるいは彼ら中央評議会の利用価値は依然として高い。
「まず確認しておこう」
中心に座る者が発する悠然とした声。帝国の舵を握る者特有の、遅さと確信が混じった声音。
「帝国の安全保障は、我々中央評議会の管轄だ。御三家の判断は尊重するが、あれの所有権は別問題だ」
サイファーは軽く顎を引いた。同意ではない。理解している、という合図だ。
評議会は本気で、世界は自分たちで管理可能だと信じている。それを前提としている以上、反論する意味がないことを知っているだけだ。
「件の傭兵、オキタだったか」
「はい」
「彼は帝国の資産になりうる。そう理解していいな?」
質問ではない。結論を前提とした確認だ。
「可能性はあります」
「可能性か」
サイファーの返答に、コーサ・ノストラは薄く笑った。
ゼネラル・エレクトロニクスのC.E.Oですら、評議会を前にすると歯切れが悪くなる。コーサの目に、サイファーの様子があまりにも保身的に見えたからだ。
「ヴァン・サイファーC.E.O、君は慎重すぎるな。力は所有されて初めて意味を持つ。我々の調査では、かの傭兵の能力は十分、適合者としての使い道も多い。帝国としては、管理下に置くのが自然だ」
自然だ、という言葉に疑問は含まれていない。評議会の言う自然とは、世界=自分たちという前提の上に成り立っている。
「管理? では、再び彼を軍に戻すおつもりですか」
「そうだ。我々の直属とし、役割を与える」
「従えば資源、従わなければ廃棄。辺境からの栄転だ。粗末な商会と比べるまでも無い、光栄な話だろう」
思い思いの発言をする評議会。サイファーは彼らから視線を逸らさない。ただ表に出さない嘲笑が、サイボーグである彼の電気回路を駆け巡っている。
「貴方がたはそう言うが、そう単純な話とは思えませんな」
穏やかな声でそう言い、さらに続ける。
「この世には所有できる力と、接触してはいけない力があります。全てが枠に収まるとは限らないのですよ」
僅かな侮蔑を込めたサイファーの発言に一瞬、会談室の空気が止まった。
「帝国の歴史を否定する気か、C.E.O」
「いいえ、例外の話をしているのです」
サイファーの言い様に、ここまで様子を見ていたコーサは堪らず机を指で叩いた。
トントンと、小さく乾いた音が部屋に響く。評議会の面々が音の発生源を見ると、コーサは不遜な態度を崩さず指を天井へと向けた。
「議長、発言の許可を」
「許可する」
コーサは椅子にもたれ掛かり、足を組んで、サイファーを指差す。
「勘違いするなよ、ヴァン・サイファー」
コーサの声に、硬質な響きが混じる。
「この宇宙に存在するものは、すべて評議会の管理下にある。星も、民も、兵器も、思想もだ」
それは理念ではない。事実と信じ切る人間の断言だ。そしてそれは、此処にいる評議員の総意でもある。
「例外など、在りはしない」
「そうでしょうな。
では―――グラナダ星系で遭遇した、あの艦隊も?」
唸るようなコーサの発言をあっさり受け流し、サイファーは話題を切り替えた。
会談室の温度が、目に見えて下がる。
「ふん、純白の艦隊の話か」
コーサは鼻で笑った。
「白一色の要塞群。識別コードなし、起源不明。だが、未だ帝国に牙を剥いてはいない」
「制圧予定リストには入っている」
「予定、ですか」
「当然だ」
両手を広げたコーサは胸を張る。
「あれがどれほど異質であろうと関係ない。帝国の宙域に存在する以上、最終的には我々のものになる。あれらの存在が理解できないのであれば、理解できる形に解体すればいいだけのこと」
帝国にはそれだけの力があると言い切るコーサに、サイファーは静かに問いを重ねる。
「触れた瞬間に、触れた側が壊れるとしても?」
数秒の沈黙。ただし、その沈黙は今までの比ではない重みがあった。
たかだか一企業のC.E.Oに過ぎない者が、生意気にも帝国に意見をする。サイファーの発言に評議会の面々は不機嫌な様子を隠さなかった。
「帝国が壊れる。そう言いたいのか」
「いいえ」
サイファーは静かに首を振る。
「壊れるのは、触れた側の秩序です」
コーサを含め、評議員たちは失笑した。その秩序を作っている者を目の前にして、何を言っているのかと。
サイファーは卓上のデータに視線を落とす。そこに写る未完成の商品は、サイファーにとっても無視できないログを残している。
「アレは、今回の傭兵とよく似ている」
「ほう?」
「命令できない。再現もできない。だが、確実に存在している」
サイファーの発言を受けてなお、コーサは姿勢を崩さない。
「存在しているなら、枠に入れれば良い」
「枠に入れた瞬間、歪みます」
「歪ませなければいい」
「その歪みが、帝国全体に波及するとしても?」
サイファーは更に一歩踏み込んだ。
あれらを舐めていると足元を掬われかねないことを、自身の商品を葬られたことで知っているから。
コーサの目が細くなる。怒りではない、楽しげな優越感だ。
「帝国はその歪みすら修正する側だ。今までも、そしてこれからも」
疑いはない。彼ら評議会にとって、帝国とは自分たちそのものなのだから。
「では、提案を」
「聞こう」
「彼を“管理対象”として扱わないでください」
議長はその発言に眉を上げる。
「特別扱いか?」
「例外扱いです」
「理由は?」
「管理しようとした瞬間、あなた方は彼を壊す」
「ずいぶん言うな」
「純白の艦隊に、未だ手を出していない理由と同じです」
議員たちは沈黙し、顔を見合わせて何かしらの意思疎通を行っている。やがて納得したようにひとり、またひとりと立ち上がり、部屋を去っていく。
「貴様は面白いな、ヴァン・サイファー」
「そうでしょうか」
「未知を未知のまま置いておけ、という主張がな」
最後まで残っていたコーサは背を向けながら、言い捨てる。
「その傭兵には試練を与えろ。覚醒した適合者、あの程度ではあるまい」
「どのような試練を?」
「貴様がアレを放っておけと言ったのだ、好きにしろ」
コーサは扉の前で振り返り、念を押す様にサイファーに詰め寄った。
「だが覚えておけ。帝国は、扱えないという結論を許さない」
扉が閉まる。
一人残された部屋の椅子に座りながら、サイファーは思う。
(あれを“枠に入れられる”と思っている限り)
(この国は、白にも、あの男にも―――まだ触れる資格がない)
同じ時刻。
別の場所で、父と娘の通信が静かに終わろうとしていた。
盤面の歪みは、まだ誰の目にも見えない。




