104_彼が戻る理由になる
クレア視点ラストです
訓練が終わった頃、コロニーの空気はすっかり夜のものに変わっていた。
朝がそうだったように、今度は帰宅のため宇宙港へと向かう人混みとは逆方向へ、私たちを乗せた車が走っていく。
先程まで耳を満たしていた警報音や通信のノイズ、あと阿鼻叫喚は噓みたいに消えて、その分思考が内側へと戻って来る。
横目でオキタ様の顔を覗き見る。
訓練終わりにシャワーを浴びていたからか、それとも戦闘訓練の余韻か。火照っている頬は、まだ訓練時の興奮が収まっていないように見えた。
それが何だか色っぽく見えて直ぐに視線を外したが、感覚が過敏になっている彼は気付いているようで、でも気付かないふりをしてくれた。
一日の終わりは何時もの様に車を降り、彼とのいつも通りじゃない夜が始まる。
扉を開く認証音。ロックが完了すると、外界と遮断される。
ここからは二人きりの世界。期間限定の望んだはずの毎日。なのに今日は少しだけ、その音が重く感じられた。
エレベータに乗り、私の居室に戻って来た。同時に、ここが彼の詰所でもある。
護衛対象と護衛。その関係性を理由に、同じ空間で暮らした3日目の終わり。
「お疲れさまでした」
「お疲れ。……よし、この部屋も異常は無さそうだな」
彼は部屋に入ると、まず周囲を確認する。
異常があれば、きっと私の方が先に気付いてしまう。護衛が護衛としての立場を失ってしまう、ちょっと歪な関係。彼もそれは分ってのことだろうけど、真面目に此処にいる理由付けをやっているようで少し可愛い。視線が壁をなぞり、窓を確認し、最後に私へ戻る。
「教導はご満足いただけましたか?」
「久しぶりに昔に戻ったみたいで楽しかったよ。
アイツら、思った以上に根性あるのな。吐くのもシミュレーター降りてからだったし、最後の方は何か掴んだような奴もいたしな。
教導はあまり得意じゃないつもりだったけど、やってみると案外行けるんだなって気付いたよ。
……何か飲物持ってこようか。何が良い?」
「冷蔵庫の中に水が入っているので、そちらをお願いします」
ソファに座る私の隣に、オキタ様が水の入ったグラスを持って座る。二人並んで大きなソファに座り込んだ所で、ようやくオキタ様の肩の力が抜けたのが分かった。
それでも彼は最後の一線を崩さない。
訓練場にいる時も、こうして室内にいる時も、隣にいるようでいない。彼の境界線は常に自らの外側に引かれている。
私たちの関係性が進展したあの夜、リターナ様と迫った時もそうだった。一枚一枚鎧を剥がしていく中でも最後の最後まで抵抗して……その後は、その、凄かったけれど。
良い意味でプロフェッショナルとしての矜持なのだろう。私はそれすら好ましいと思っている。
他人に不用意に踏み込まない距離。今もそうだ。私を護衛対象として扱いながらも、自分からは私生活には触れない姿勢。
気遣い、ではないのだろう。この人は、無自覚のうちに他人と最後の一線を超えないようにラインを引いている。
オキタ様のそれは、まるで自分がいつ居なくなってもいいような備えに見える。
「シャワー、お先にどうぞ。その間に夕食を準備させます」
そう言うと、彼は一瞬だけ眉を上げた。
「んー……家主よりも前に浴びるのは悪いだろ。軽くは流してきたし、後でいい」
「ダメです。身体のメンテナンスも護衛の仕事ですよ?」
「……分かった、じゃあ先に入ってくる。実はちょっとだけ疲れてたんだ」
オキタ様がシャワールームへ向かい扉が閉まると、少し遅れて水音が部屋まで響いて来る。
聞きなれない音。誰かと一緒に暮らしている実感をかみ締めるように、私は足を抱え込んでソファに横になった。
この生活はいつまでも続かない。私の望んだ毎日は、ラビット商会が戻ってくれば終わりを告げる。仲間が帰ってくれば、彼は直ぐにでも私から離れていくだろう。
ならいっそ―――暗い感情を頭を振って弾き飛ばす。彼が悲しむことは本意じゃない。
ふと、彼が掛けて行った服に視線が流れた。
脱いだ上着。無造作に置かれた手袋。濡れたブーツの跡。
異性を自分の家に上げている。昨日は何も思わなかったはずなのに、やけに生々しく感じられた。
ズルしているから知っている、一方通行ではないこの気持ち。
どちらが先に我慢の限界を迎えるか、楽しみながら毎日を過ごそうと思っていた。けど本音を言うと、私はズルをしているから、最後の一線だけは彼から超えて欲しかった。
私の内側だけで完結するはずだったそれは、今日明確に形を持ち始めた。
2週間の契約。その間にこの関係を進めたい気持ちはあったけど……もう私の方が我慢がきかない。
シャワーの水音が一定のリズムで続く。
それを聞きながら、昼間の彼の姿を思い返す。
一般的とは言えない無茶な判断。躊躇のない行動。結果としてそれは、誰かを守るために自分を削っている。
危うい、何度そう思ったか分からない。そしてその度に思ってしまう。
いったい、誰が彼を止めるのだろうか?
死なないで。誰かがそう言わないと、彼は必要になったら躊躇いなく命捨てるだろう。
つい先日にあったG.Eとの戦闘でもその傾向は見て取れ、苦悶の表情を浮かべた商会の主もそれを否定しなかった。
そして質が悪いことに、戦闘面でオキタ様を助けられるはずの私の友人は、それすらも肯定している。あの恋に盲目な無表情娘は、オキタ様のやることなすこと全部受け入れるつもりでいるから全く役に立たない。
だったら、私が彼を引き留める。戦場とは無縁な私が、彼の命に口を出すなんて傲慢なのはわかっている。
守りたい、そんな綺麗な言葉で誤魔化すつもりはない。私が欲しいのは、あの人の帰って来たいと思える理由だ。
ふとした一瞬だけでいい、私を思い出してさえくれれば。ただ私の存在が、彼の最後の行動を一瞬でも遅らせられるのならそれでいい。それだけで十分だ。
水音が止んだ。
数秒後、扉が開き、彼が戻ってくる。
濡れた髪、ラフな部屋着。緩んだ目元は、彼が警戒心を解いている現れだろう。戦いの匂いが薄れた分、距離が縮まったような錯覚を覚える。
「上がったぞー」
「はい。……なんだかこのやり取り、夫婦みたいですね」
私の軽口でむせた彼を尻目に、シャワー室へと入る。少し熱めのシャワーを浴びている間も、思考は止まらなかった。
もし、このまま彼を行かせてしまったら。
護衛任務が解かれ、隣にいる理由が消えたら。
取り返しのつかない事態になった時、私に悔いは残らないのか?
同じ屋根の下、同じ生活音を出し、同じ時間帯を過ごす。期間限定の関係で終わらせるつもりは、もうない。私から崩そうと思っていなかった均衡は、もはや存在しない。存在させてはならない。役割という名の薄い壁は全て取り除く。
シャワーを止め、タオルで髪を押さえながら、私は胸の奥に沈む感情から目を逸らさないようにした。
それでも、怖い……ここで踏み込めば、もう戻れない。
それでも……彼は選べない。だから私が選ぶ。
私が選んだこの気持ちを、彼の中に残す。
この気持ちを、私たちの関係を曖昧なまま終わらせたくない。
タオルを一枚だけ身に纏い扉を開ける。彼はソファで寛いでいた。
私の姿を見たオキタ様が、驚きでソファから跳ね上がる。
「服を着ろ!」
「いいえ」
顔を真っ赤にしての命令口調。羞恥心があるのは私も同じ。どちらの顔が赤くなっているかなど、もうどうでもよかった。
私は彼に近づく。
一歩ずつ。
彼の顔が、私の腕に届く範囲まで近づく。
頬を包むと、彼の身体が一瞬だけ強張ったのが分かった。
顔を逸らされたが、それでももう一度こちらを向かせる。絶対に逃がさない。
もう止めない。
「クレア……」
名前を呼ばれる。いつもと同じ呼び方なのに、今日は違って聞こえた。
「駄目なんだ、それは……俺は……」
「選べない?」
「……そういう言い方は、卑怯だ」
言葉を被せるようにすると、今度は目だけ逸らされた。
「……ズルだろ、それ。嘘つけないじゃないか」
「だったら、本当の事を声に出して下さい」
彼の口が開くより先に、私は一歩だけ距離を詰めた。
背伸びをして、ほんの僅かに顎を挙げる。何をされるか理解した瞬間、オキタ様は何か言おうとした……その唇を、私は塞いだ。
深くも長くもない、ただ逃げ道を与えないための口づけ。
触れた瞬間、呼吸が僅かに乱れた。それで十分。唇を離しても距離は離さない。近すぎて、視線を外せばぶつかってしまいそうなほど。
「選ばなくていいです。でも、必ず戻って来て下さい。貴方が安心できる場所は私がご用意します。だから、私に貴方を待つ権利を下さい」
これはお願いじゃない。選ばれなくていい。未来を約束しなくてもいい。その代わり、忘れる事だけは許さない。そう思わなければ、きっと私は踏み出せない。
「……俺じゃ、お前には釣り合わない。お前を支えられない男は、お前の傍にいるべきじゃない」
「関係ありません。私が決めたのです。私が欲しいと、そう思ったのです。例え父であっても、この決定に文句は言わせません」
彼の服の裾に指を掛けて、ほんの少しだけ身を引く。すると彼は反射的に体制を崩し、私を支えようとしてソファの縁に触れた。
重心が傾く。その流れのまま、今度は私が彼の手首を取った。
力を込める必要はなかった。彼は抵抗しない。
代わりに、私は彼の胸元に額を預ける。
「大切なのは、お互いがお互いをどう思っているか。立場とか、義務とか、そんな体裁なんてものではなく」
震えそうになる声を隠しながら。
「男と女が一つになるために必要なのは、もっと単純な衝動でいいはずです」
彼の腕はまだ迷っている。抱き寄せるでも、突き放すでもなく、宙に浮いたままの力。その曖昧さが、逆に私の背中を熱くした。
私が考えるべきだった。私が言葉を選ぶべきだった。これは一線を越える行為だと、ちゃんと理解してから動くべきだった。
でも。
彼の呼吸が近い。シャワーの名残りの湿った空気が、まだ髪から落ち切っていない。視線が絡んだその一瞬で、思考は全部遅れた。
私の方からまた一歩、距離を詰める。それだけで彼の喉が小さく鳴った。
ああ、と思う。
ここで引けば、きっと彼は助かる。私は何事もなかった顔で笑って、今までの様な形の無い関係に戻れる。
でもそれが、どうしても出来なかった。
唇に触れる直前、彼が息を止めたのが分かった。
拒絶じゃない。ただの躊躇。だから私は、その隙間を埋めるように、口付けた。
軽く、確かめるみたいに。
それなのに。触れた瞬間、胸の奥がひどくざわついた。
これは計算じゃない。支配でも、駆け引きでもない。
ただ欲しかった。
「……っ」
短い息が、彼の方から漏れる。
その音だけで、私の中の何かが決壊した。
三度目は、もう迷わなかった。
唇を重ね、少しだけ深くする。彼の肩に指をかけると、今度は彼の方が耐えきれなくなったみたいに、私を引き寄せた。
腕の中。胸に押し付けられる体温。
規則正しいはずの鼓動が、わずかに乱れている。
ああ、駄目だ。
この人は、私のせいで戻れなくなる。そう分かっているのに、止まらない。
キスが解けた時、私たちはほんの少しだけ離れた。
額が触れる距離。吐息が混じる距離。
「……クレア」
名前を呼ばれる。
それだけで、胸が締め付けられた。
私は彼の服の裾を掴む。
意図なんて、考えていない。
ただ、この場から逃がしたくなかった。
「……行きましょう」
どこへ、とは言わなかった。
彼も聞かなかった。
視線が一瞬だけ泳いで、それから諦めたように細くなる。
その表情を見た瞬間、胸の奥に別の感情が芽生えたのを、私は見ないふりをした。
欲しい。触れたい。離れたくない。それだけのはずなのに。
ベッドの縁に触れた時、ふと頭の隅で思う。
――ああ、これで。
今夜の記憶は、彼の中に残る。
この温度も、呼吸も、私の名前も。
それが彼の足を、ほんの一瞬でも止めるのなら。
この行為が欲望だったのか、それとも最初から逃がさないためのものだったのか。その答えを出すのは今じゃない。
私はただ、彼の背中に腕を回した。
「……ありがとう」
これにて完堕。
最後の方、フェチ過ぎてゴリゴリにテンション上げながら書いてました。なーにやってんでしょうかね。
それもこれもリタの回を中途半端に濁した反動です。もう逃がさねぇぞとやり切りました。
特にクレアについては中途半端な役柄だったので、数話かけて過去から現代まで追い掛けるように内面を書いてみました。ちょっと前に出した設定集に向けて、これで少しは解像度が上がれば良いのですが。画像はちょい幼すぎますが…
私は気持ち悪くも自己満しているので問題ありませんが、100話以上続くこの話を読んで頂いている皆様に少しでも満足頂けると、私はより満足できます。
次回からは主人公視点に戻ります。太陽が黄色い、や~っちまったなぁ!となる所から。信じてお留守番させたハイデマリーの心境や如何に。




