98_ただの教導では済まさない
目が覚めた瞬間、まず感じたのは重さだった。
胸の辺りがやけに温かい……いや、温かいというか、柔らかい何かがぴったりと密着している感触に恐る恐る視線を向けると、見慣れた白髪が乗っかっているのが見えた。
俺の胸元に顔を埋めるような形で、完全にくっついて眠っている。
ぼやける頭に、昨日何があったのか記憶が蘇って来る。
昨晩は同じベッドに入って、そのまま一緒に寝て……いや待て、おかしい。
寝る前は何かされるくらいならと思い、逃げられない程度に腰を抱いて眠ったはずが、今朝起きたら俺が完全に抱き枕状態にされている。しかも吐息がこそばゆい。
聞こえてくる規則正しい寝息に申し訳なさを覚えつつ、とりあえず起き上がろうとした所で、クレアの拘束が強まった。
―――こいつ、絶対起きてるだろ。
「クレア、クレア、起きてるだろ? 腕と頭どけてくれ」
「……ん……オキタさま……」
小さく呟く、その姿にグッと来た。護衛の仕事を引き受けてさえいなければ、いっそこのまま抱きしめて二度寝に入ってもイイかなとか思うくらいに。
正直な所、関係を持っているのに何を我慢する必要があるのか?
いっそ堕落して、爛れた日々を送ってもいいのではないか?
そうも思うが、あくまでもこの2週間は護衛契約を結んだ身だ。対価を貰っている以上、公私の分別はしておかなければ傭兵稼業の信頼に関わる……なんて考えは、仕事はやらなければならないという、ありきたりな義務感に従っているだけだ。
クレアはそんなことを気にしないだろうし、馬鹿正直に護衛として雇ったつもりじゃない。それは昨日嫌と言うほど理解させられた。
とはいえ、俺だって悶々したこの気持ちを我慢しているのだ。
クレアのことは好ましく思っているし、一緒に居たい。
それとは別で、ラビットの傭兵であり続けたい。
けれど、この二つは絶対に両立しない。どちらかを選ぶしかない。そして、選ぶものは既に決めてある。クレアはそれを知っているから、俺が堕ちたら絶対に手放さないだろう。だから俺は、この2週間は分別のある行動を心掛けるしかないのだ。
「おーい、起きろ。朝だぞ」
頭を軽く叩いてやると至近距離でトロンとした目が合った。
「……ふふ、おはようございます」
寝起きの声、しかも距離ゼロの上目遣い。
このあざとらしさよ。堕としに来ていることが分かる俺だからこそ、この状況に耐えられることが出来る……はず! 耐えろ、朝の起立現象!
「―――準備して出勤しようぜ。今日は教導の日だろ?」
「あら、残念……我慢出来なくなっても良かったのですよ?」
「あーあー、聞こえねー」
こんな生殺しを続けられたら、本当にダメになるって言ってるだろ!!
◇
コロニー・エスペランサ。帝国軍や企業本社、企業警備部門の艦船ドッグを多数備えた、首都バレンシア星系最大のスペースコロニーだ。
一般市民が娯楽を求めて通うセントレアコロニーとは違い、エスペランサコロニーは帝都に住む人たちが働きに向かう場所、とでも言えばいいだろうか。
仕事に向かう人たちとは逆方向、宇宙港まで車で向かう。彼らは普段は別のコロニーに住み、星域内を行き交う連絡船で職場まで来ているのだろう。確か、5分に1本くらいの間隔で出ているんだっけか。初めて首都星系に来た時にエリーが言っていた気がする。
「こちらです、オキタ様」
「そっちは―――ラビットⅡが建造されていた専用区画か。もしかして、此処から先は全部セクレトが管理する区画なのか?」
「はい、セクレト・アスティエロの本社もありますから。一応、Aランクの機密区画なのですよ?」
なら俺はいいのか? クレアの横顔を覗き込むと、にっこりと笑い返された。
今更部外者を気取るつもりもないが、護衛任務中に何度セクレトの規模に驚かされるんだろうな。
「……ん? あの一際デカい艦影、アスチュートか」
宇宙港から伸びる桟橋の先には、クレア旗下のセクレト第二艦隊が整然と並んで停泊していた。流石に40km級になる弩級戦艦はその殆どを宇宙空間に晒しているが、むしろその姿がセクレトという企業の異常さを醸し出している。
「御三家とはいえ一企業の警備部門、それも数あるうちの一部隊が帝国軍分遣艦隊以上の戦力を保有してるってのもおかしな話だよな。輸送船団の護衛も自前なんだろ?」
弩級戦艦は帝国でもそう見れた物じゃない。俺が前に居た基地にも配備されていなかったし、主要な星系に一隻あるかないかくらいだろう。
「はい、あの船は輸送船団の護衛に使うには少々大きすぎるので、普段は戦艦や巡洋艦で護衛艦隊を組んでいます。アスチュートは運用費も馬鹿になりませんし、大規模な紛争地域に船団を派遣するとき以外は、ああして停泊しております。
……アリアドネのストレスが溜まるとあの船がアップグレードされるので、それはそれで面白いのですけれど」
「それはそれでどうなんだ……?」
突拍子もないと噂のハイデマリーの義姉だから、それくらいはやるのか? ハイデマリーにも当てはまることだが、突拍子もない奴にトンデモない技術力を渡したらダメだろ。
そうやって何でもない話をしながら進んで行くと、一つの部屋に辿り着いた。
クレアは促すように俺を扉の前に誘う。この部屋の中に、今日俺が訓練する隊員がいるのだろう。
さて……クレアには前もって伝えてはいるが、俺は帝国軍に居た頃も、座学メインでの教導をやった経験がない。俺の仕事は実機とシミュレーターで隊員を扱くことで、間違っても教導なんて大それたものじゃない。言語化が苦手だから、座学はクロに任せていたし。
だから今日は少し緊張しているが……クレアには、カッコ悪い姿を見せたくない。
大丈夫だ、ちゃんと資料は用意したから問題ない。ネクタイを締め直し、意を決して扉を潜ると―――
『起立! オキタ中尉に対し、敬礼!!』
帝国軍かと見間違う勢いで、上官に対する敬意をもって迎え入れられた。
……は? 俺、いま傭兵なんだけど?
そう思うも、つい反射的に返礼してしまう自分が一番タチが悪い。
全員が全員、眼が蘭々と輝いている。
俺は傭兵だ。その立場を舐めて来る連中もいるだろうと予想していたが、そんなことはない。目の前にいる連中は今日、本気で何かを掴みに来た。そんな眼をしている。
「休んでくれ」
号令一つで着席する、総勢20名程の隊員たち。その動きは帝国軍の正規部隊と変わらない。
部屋の隅にある椅子に座ったクレアに視線を向けると、”してやったり”という様に微笑まれた。
あー……これは、完全に仕組まれていたようだ。
ただのアドバイス役じゃない。本気で鍛えて欲しいと言う空気が、この部屋に満ちている。
俺は小さく息を吐いて、再度隊員たちを見渡す。
「初めまして……と言いたい所だが、顔見知りが多いな。グラナダでの一件では世話になった」
正直な所、簡単に座学だけで終わらせるつもりだった。
机上シミュレーションでもして対応力を測り、改善点を伝えることで今後に繋がる何かを得て貰うつもりでしかなかった。
「本日の訓練希望者たちで間違いないな?」
ただの傭兵からのワンポイントアドバイス。そのつもりだったのに。
「改めて名乗る。元、帝国宇宙軍メリダ星系外縁方面艦隊第88TSF連隊、オルトロス中隊リーダー、オキタ中尉だ」
そう名乗ると、隊員たちの目がさらに真剣になる。
「今日は、お前たちに戦場で生き残るための動きを叩き込む」
一瞬、間を置く。
「覚悟はいいか?」
全員が無言でうなずいた。胸の奥で、昔の自分が目を覚ますのが分かった。
「喜べ。お前らの態度に敬意を表し、今だけは帝国軍の頃と同じやり方を取らせて貰う」
身体で覚えさせる。メリダ式教導をその身に叩きこんでやる。




