56.シェレンスク包囲戦
北部戦線にて、帝国軍は小さな村や街を占拠しつつ、北部と帝国を結ぶ交通の要衝であるシェレンスクの包囲を試みていた。
シェレンスクは古くから王都と北部を結ぶルートの中継地として栄えていた。シェレンスクを押さえることができれば王都からの補給ルートが一層強固なものとなり帝国軍の北部における作戦行動の自由度が格段に上がることとなる。
すなわちシェレンスクがどちらの手に落ちるかはこの戦争の勝敗に大きな影響を与えることとなる。
ここまでおおきな敗北のない帝国軍はこのまま危なげなくシェレンスクを占領したかった。対する北部連合軍もシェレンスクが帝国の手に落ちるとなれば連敗が続くことになり、北部住民の士気が下がることになる。双方の思惑がシェレンスクでぶつかることとなった。
シェレンスクの南10kmにある丘陵地帯で両軍はぶつかることとなった。帝国軍は中央と右翼左翼に分かれる。左翼にはアームストロング中将、中央にはガムラン大将、右翼はマウザー大将が指揮する部隊がそれぞれ配置された。
北部連合もシェレンスクへの道を塞ぐように国境防衛隊の敗残兵やシェレンスク住民の義勇兵をかき集めた部隊を迎え撃つように配置した。
戦いは北部側の騎兵部隊がマウザー隊の横っ腹を突破しようとしたところから始まった。騎兵部隊はバリスタや弓兵に数を減らされたところを陣の内部に誘い込まれ包囲殲滅された。
好機と見た北部側は前進し始めた。帝国軍も迎え撃つべく前進したが、マウザー隊は騎兵の処理で出発が遅れ帝国側の陣形は大きく傾斜することとなった。
本来帝国軍は急拵えの北部軍を縦深陣形の中央軍で受け止めつつ練度の高いアームストロングとマウザーの両翼が包み込み包囲する目的であったが、マウザー隊が遅れたことで包囲は困難となった。北部側の精鋭である右翼とアームストロングの左翼が最初に衝突した。しばらく一進一退の攻防が続いたが次第に北部側が押され始めジリジリと後退し始めた。好機と見たアームストロングは一気に前進を命じた。
逆にマウザー隊は隊列を戻すのに時間をかけすぎたことなどにより、その間で北部軍に接近を許した。マウザー隊は計画通り前進できないまま北部軍と少々不利な地形でぶつかることになった。
中央は計画通り縦深陣形で北部軍を受け止めていた。とは言え、いいかげんに包囲が完成しないと損害が増えるばかりである。包囲を急ぐよう両翼に指示を送ったが、その後マウザー隊の現状を知ることになる。ガムラン大将は思い切った判断をした。
縦に深く配置されていた中央軍の後ろ半分を右翼の代替とし、無理やり包囲を完成させようとした。かなりの賭けになるが、ここで退いてしまうとシェレンスクの防衛はさらに強化され占領は遠のく。
マウザー隊は右翼に移動するガムラン隊に被害が及ばないように丘の上まで撤退し北部軍の左翼を釘付けにした。
中央は一気に苦しい立場に追い込まれた。単純に敵を受け止める人員が半減したことで徐々に押し込まれ始めたのだ。
だが、運の良いことに、戦功に目のくらんだ北部の兵たちはマウザー隊を深追いしていた。そのため北部側の左翼の戦力は薄くなっていた。右翼のガムラン隊はこれを押し込み包囲をある程度完成させた。押し込まれていた中央もこれを好機と捕え前進しはじめた。
マウザー隊は北部側の攻撃を受け続けた結果、丘を放棄し後退していった。さらに追い込もうと北部側が丘を駆け降り出したとき、突如として火の雨が降り注いだ。ヒュウヒュウと音を立て落ちてくる火は北部側の魔術師にとっても規格外のものであり北部側の左翼は壊滅した。
マウザー隊は攻勢に転じ北部の生き残りを撃破した。
包囲された北部の主力軍は全方向から押し込まれ大勢の犠牲を出しながらなんとか包囲を突破し、命からがらシェレンスクの街に逃げ込んだ。
その後、マウザー隊も合流し抵抗を続ける敗残兵を掃討していった。
これによりシェレンスク攻防戦の前哨戦は幕を閉じた。帝国側の勝利ではあったが、多くの兵士がシェレンスク市街に逃げ込んだことで攻城戦を行うことが確定した。ここで粘られれば北部からの増援が到着し逆包囲されてしまう危険性がある。所詮は面倒ごとを先送りした形となる。
ともかく帝国軍はそのままシェレンスクの包囲にかかった。




