外伝 アスラン 18
屋敷に帰りつくころには太陽が傾いており、美しい黄昏の景色が広がっていた。
昔はこんな景色どうとも思わなかったのに、最近ではまるで世界に色がついたように色鮮やかに見えるようになった。
「不思議だな……」
馬車が屋敷につき、自分がこの屋敷に帰ってくるのが当たり前だという認識でいることにも驚く。
変える場所。
家。
そうしたもの一つ一つが、僕の中に不思議な感情を芽生えさせる。
「あれ……先生?」
馬車の扉を開けると、そこには仁王立ちでこちらを見つめる先生がいた。
その表情を見て、僕は一瞬で背筋が寒くなる。
怒っている。
嫌な汗が、背中を伝って落ちていき、何かを自分は間違えたのだと思った。
手がガタガタと震え始めて、自分はどうしてこんなに恐ろしいのだろうかと、今まで味わってきた恐ろしさとはまた別の何かを覚える。
先生が……先生が怒ったということが、いや、僕に対して怒っていると言うことがとてつもなく恐ろしいことに感じているのだ。
「ご、ごめんなさい」
僕の口はそう発していた。
何を謝ってているのかは分からないけれど、怒られたくなかった。
いや……僕は。先生に、嫌われたくないのだ。
捨てられたく、ないのだ。
それを自認して自分がいかに愚かなことを考えているのかと恥ずかしくなった。
「アスラン……ん? アスラン?」
「ごめんなさい。先生、ごめんなさい」
息が吸えない、苦しい。喉の奥がひゅうひゅうとなり、締め付けられているようだった。
その場に膝をつくと、先生が焦った様子で僕の背中をさすり始めた。
「どうしたのだ!? アスラン! レイブン! 医者を! 医者を呼ぶのだ!」
「かしこまりました!」
だめだと思うのに、意識が遠のいていく。先生に、謝らなきゃ。
許してもらわなきゃ。
捨てられたくない。
「……強いストレスにより、過呼吸を起こし意識を失ったものと思われます。安静にすれば大丈夫でしょう」
医者の言葉に、ガートレードは安心したように息をつく。
「強いストレス……王城で何かあったのだろうか」
ガートレードがそう呟くと、傍に控えていたレイブンが口を開いた。
「坊ちゃまは、ガートレード様のことを見た瞬間に、表情が変わったように思いますが……」
医師は現在屋敷に仕えている専属医であり、アスランをこの屋敷に引き取ってから毎回診療をしている医師である。
医師はこれまでのアスランの様子を踏まえて、ガートレードに告げた。
「過呼吸を起こす前、ガートレード様はどのような様子でしたか?」
「私か? 私は……少し問題があって、アスランを叱らねばと思い、待っていた」
「……おそらく、それに気づいたのでしょう。聡い子です。人の感情を読む」
「だ、だが、私は一言も発していなかったのだ。それにそんなに強く怒るつもりもなかったのに」
医師は微笑むと、アスランの方へと視線を移して言った。
「この子は今、少しずつ感情を得、そして不安や喜びや親しみ、貴方との信頼関係を築いているのでしょう」
「信頼関係……」
「そうです。ですがこれが難しい。……この子は怒られたイコール、貴方に捨てられるかもしれないという不安を強く抱きストレスに感じたのではないかと、そう私は予想します」
「そんなことするわけがない!」
ガートレードの言葉に医師はうなずく。
「ええ。ガートレード様はそのような方ではありません。ですがこの子は……この子の中の世界はそうではないのでしょう。意図も容易く捨てられる……これまではそれが当たり前だった。けれど……強いストレスを感じたということは、捨てられたくないと、そう強く思えたのでは? それは……それはとてもこの子を愛おしく思うには十分なことかと」
医師の言葉に、ガートレードはアスランへと視線を移す。
「この子は……ここにいたいと思ってくれているのだろうか」
「どうでしょうか。あくまでも私の予想ですから、よく話をされてみてください」
「……ありがとう」
「いいえ。滅相もございません」
医師はそういうと立ち上がり、部屋を後にする。
ガートレードは眠るアスランの細く小さな手を握り締めた。
そして改めて、ガートレードは覚悟を決めたのだった。
「ん……あれ……ここは……」
アスランの瞳がゆっくりと開き、瞬きを繰り返す。
そんなアスランを見つめながらガートレードは言った。
「起きたか。気分は? 大丈夫か?」
傍にガートレードがいることに気が付いたアスランは慌てて起き上がると、何かを言おうと口をはくはくと動かす。だが、その表情が一気に曇り、うつむく。
何を考え、思っているのだろう。
「アスラン、どうした?」
「……ごめんなさい」
その言葉に、ガートレードは首を横に振る。
「私こそすまない。不安にさせてしまったのだろう?」
ハッとするように、アスランはこちらに顔を向け、それからまた伏せる。
ガートレードは、アスランには直接的な言葉でしっかり伝えなければだめだとこの時、はっきりとわかった。
「アスラン、不安に思うことはないんだ」
ガートレードの言葉に、アスランは驚いたように顔をあげ、そして唇を噛んだ。
その表情は、アスランの本心を得るのが容易くないと理解するには、十分だった。
だからこそガートレードははっきりと告げた。
「アスラン、いいか。これだけは覚えておくといい。私は君を裏切らない」
「え?」
「絶対だ。これが覆ることはない」
アスランの瞳がゆっくりと見開かれた。
「……絶対?」
「あぁ。絶対だ」
ゆっくりと、アスランがうなずいた。
それを見てガートレードもなずく。
「覚えておいてくれ。いいな?」
「……は、い。先生」
ガートレードはうなずくと、深呼吸をしてから姿勢を正した。
「では、アスラン。いいか」
その雰囲気に、アスランもベッドの上で姿勢を正す。
「はい」
ガートレードは腕を組むと言った。
「女装をして、お茶会に参加するのはダメだろう」
「……え?」
ガートレードは、アスランが委縮しないように、負担と不安を与えないように、それでも、ダメなことはだめだと伝えようと、親とはどう導くものなのかと悩みながら、そう口を開いたのであった。
アスランの心の成長と
ガートレードの親としての成長
正解はないけれど、そんな二人の成長も見守っていただけたら幸いです(/ω\)








