二十六話
アイリーンの変わりように私が動揺していた時、横にいたアスラン様が私の手をぎゅっと握る。
突然どうしたのだろうかと慌ててアスラン様を見上げると、アスラン様は私のことをじっと見つめて、声を潜めて言った。
「シェリー嬢。相手に何があろうと、君とは関係のないことだ。今の感情に流されてはいけないぞ」
その言葉に、私はハッとした。
今の一瞬で私の心の中はアイリーンに何があったのか心配で埋め尽くされていた。習慣とは怖い物だと思いながら、私は呼吸を整える。
私は私の人生を歩む。
アイリーンはもう一人の大人で、彼女を支えていくのは、私ではなく彼女の横にいるヨーゼフ様だ。
「すみません。ありがとうございます。アスラン様」
アスラン様は私の瞳をじっと見つめながら、囁くような小さな声で呟く。
「君はもう、君のことを大切にする相手と生きていくべきだ。……君のことを大切にしない人物の元へは帰らないでくれ」
懇願するようなその言葉に、私はドキリとする。
勘違いしそうになるので、もうやめてほしいと思いながら、私は小さく息を吐いた。
「……はい。私あれからちゃんと考えました。もう私達はいい大人。だからそれぞれの道を歩んでいい。私はもう、あのかび臭い部屋に戻りたくないです」
「かび臭い部屋?」
暗く、ただ眠る為だけに帰るひっそりとした小さなかび臭い部屋。あの部屋にいい思い出などない。
けれど、アスラン様のお屋敷は違う。
皆が私のことを笑顔で受け入れてくれて、お布団はふかふかふで、美味しい物も食べさせてもらえて、そして何より、アスラン様がいる。
いつかは出て行かないといけないかもしれない。
けれど、あのかび臭い部屋にだけは戻らない。
「はい。幸せなんてひとかけらもない、寂しい場所には、戻りません。私は、私は……アスラン様の……」
傍にいたい。
その一言を言いたくて、でも言えなくて、私が息を呑んだ時、久しぶりに聞く声が耳に入った。
「お姉様、元気そうね」
「お久しぶりです。シェリー嬢」
私は振り返り、そこに立っているヨーゼフ様とアイリーンを見た。
久しぶりに見る二人に、私の心臓は、ドクドクと脈打つのを感じた。
一瞬でその場の空気が薄くなるような、息がし辛いようなその感覚に、自分は今緊張しているのだという事に気付いた。
アイリーンと話すことにも、ヨーゼフ様と話をすることも、私にとっては緊張することなのだという事実に、自分で驚いてしまった。
私はなんと言葉を返そうかと思ったけれど、言葉が出てこない。
すると横に立っていたアスラン様が先に口を開いた。
「初めまして。ローグ王国魔術師アスランと申します。シェリー嬢は現在私の専属採取者をしていただいています」
その言葉に、アイリーンは驚いたように目を見開き、ヨーゼフ様は知っていたのだろう微笑んだまま頷いた。
「アスラン殿。初めまして。レーベ王国王子ヨーゼフ・レーベと申します。あぁ、今だけアスラン殿の採取者をしているのですね」
「は、初めまして。お姉様がお世話になっております。私は妹の聖女アイリーンです。ですが残念ですわね。お姉様はレーベ王国に帰りますから、専属は解消ですね」
さも当たり前のようにそう言った二人に私は驚いた。
何を言っているのであろうか。私はアスラン様の専属をやめるつもりはない。
「お久しぶりです。あの、何を言っているのです? 私は今後もアスラン様の専属採取者をする予定ですが」
すると、アイリーンが私の腕をぎゅっと掴んで、それから怒るのを我慢している顔をして、笑顔で言った。
「帰ってきてお姉様。お姉様がいないと困るの」
「そうですよ。アイリーンのこの姿を見てください。シェリー嬢がいなくなって酷く寂しい思いをしたのでしょう。姉である貴方はアイリーン嬢の傍にいるべきでしょう?」
まるでそれは決められていることで、それが当たり前のように放たれた言葉。
私は、その言葉で、はっきりと見切りをつけることが出来た。
今、アイリーンはおそらく困っていて、だから私に帰ってきてと言っている。そこに私の意思も、私のことを思う気持ちも、一つもありはしない。
私は今までこんな人たちの為に、使われてきたのだなと、客観的に感じることが出来た。
「……それ、私にメリットはある?」
今までアイリーンと過ごしてきて、メリットデメリットで物事を決めたことはない。
妹であるアイリーンを、姉であるからというだけで守ってきた。
愛情があった。
けれど、もうアイリーンは小さな子どもではなく庇護するべき相手でもない。
「は?」
一瞬、アイリーンがいらだっているのが表情に現れた。
人前では猫かぶりの妹。そして、人前ではすました表情を浮かべているけれど横にいるヨーゼフ様は自己顕示欲の高い男性である。
二人がいらだっていることが私には肌で感じられた。
「シェリー嬢。よかったら別室で話をしよう」
「今から舞踏会が始まるのに、それは難しいでしょう」
ヨーゼフ様の提案を、アスラン様が即座に断りを入れた。
アイリーンは私の腕をぎりっと握った。
「ねぇお姉様、お願い。妹の私のお願いを断るわけないわよね?」
妹、妹、妹。
姉、姉、姉。
姉妹。
私の中で、鎖でがんじがらめになった姉という形が、静かに崩れ落ちていくのを感じた。
アイリーンの手に自身の手を重ね、そしてやんわりとアイリーンの腕から逃れると、私は首を横に振った。
「もうお互いにいい大人だわ。貴方は妹でとても大切だった。貴方がいてくれたから、私は頑張れた。けれど……貴方にとって私はそうではなかったでしょう? 私は私を大切にしてくれる人の傍で、これから人生を歩んでいくわ。貴方はもう関係ない。……本当はね、仲の良い姉妹でいたかった。けど、今の関係性はおかしいし、貴方にとって私はおまけで、そして邪魔で大嫌いな相手でしょう?」
私は笑顔でさよならを言う決意をした。
「さようならアイリーン。大切な妹。これからはもう別々に道を歩むけれど、貴方のことを大切に思っていたことは本当よ。でも、これからはもう違うの。ばいばい」
アイリーンとヨーゼフ様が驚いたような表情をしている間に、私はその場からアスラン様の腕を引いて離れることにした。
二人は隣国の来賓という事でその後すぐに他の人達に声かけられ対処しなければならなくなり、追いかけてくることはなかった。
私はアスラン様の手を引いて飲み物を置いてある場所へと移動すると、息を吐いた。
「はあぁぁ。緊張しました」
「頑張ったな」
「はい……ふふふ。なんだか、バカみたいですね」
「どうした?」
「さっきの二人の言葉聞いて、なんだか、虚しくなりました。多分、二人にとって私は楽に使える道具でしかないんでしょうねぇ。そんな雰囲気でしたもん」
自嘲気味に笑ってしまうと、そんな私にアスラン様は飲み物を取ると手渡してきた。そして、私が持っているグラスに自分のグラスを重ね、笑顔で言った。
「そんな二人と決別できた君に乾杯」
私は驚き、グラスを見てそれからアスラン様を見つめて、笑ってしまった。
「はい。ふふふ。乾杯」
「乾杯」
緊張から喉が渇いていたのだろう。
喉を通った果実水がのどを通っていく瞬間、清々しい気持ちになった。
私はレモンを輪切りと氷、シロップを混ぜて飲むのが好きです。こう爽やかな気持ちになりたいときには最適な飲み物だと思っています(*´▽`*)
まぁ、炭酸ジュースも大好きなんですけれどね(●´ω`●)
ちなみに本日12/7~魔法使いアルル発売日なのですが、田舎民の私の地元書店に届くのは、明日だろうなぁと。発売日でも書店に並ぶのを見ることが出来ない作者です。あの、もしも、もしもね。書店で見かけた方がいましたらTwitterで呟いてもらえたら嬉しいです。実感できるので(/ω\)