二十一話
来月はローグ王国の建国祭が行われる予定であり、通常であればレーベ王国からは毎年国王陛下が来賓としてやってくるのだという。
ただ、今年は返事が遅いと感じていたところに、ヨーゼフ王子とその婚約者であるアイリーンとが参加するという旨が送られてきたのだという。
ジャン様はそこでアスラン様に目配せをする。一体なんだろうかと思っていると、アスラン様は少し考えたのちに口を開いた。
「私から話してもいいか?」
ジャン様が頷き、私は何だろうかと思っていると、アスラン様が口を開いた。
「本当は話すかどうか悩んでいたのだが……ジャンが受けた呪いは、どうやらレーベ王国から裏ルートで流されていた物の中に、混ぜられていたらしい。ジャンは希少な物が裏ルートで流れてきたことを不審に思い、それを調べていた際に現物を確認していたところ呪いを受けたらしい。その物事態は特殊魔石のように見えたようだ」
「混ぜられていた? え? 待ってください。それって、私が採取した物が裏ルートで売られていて、その中に、呪いの掛けられていた物が、混ぜられていたということですか?」
私が驚いていると、アスラン様は頷き、ジャン様も口を開いた。
「特殊薬草や特殊魔石が裏ルートにて流入しすぎているのが気になって内密に調べていたんだ。現物を見る過程でそのことに気が付いたのだが、すでに触った後で、あのざまであった。だが、あれが民間の場になくて良かった。もしあったならば、死者が出ていたであろう」
「ちょっと待ってください。どうしてそんなものが」
「……聖女の力を反転させた呪、そんな物、魔術を中心とするローグ王国では生み出せるものではない。現在レーベ王国から裏ルートで流されてきた物だということは確定している。つまり、何者かが悪意を持って、ローグ王国へ紛れ込ませたことになる」
「民間に渡った場合、原因が分からず、混乱に陥った可能性もあります。しかも一見して見ればただの毒のようにも最初は見えたので……これは……つまり」
「下手をすれば何かに付着していた毒だと判断され、その特殊魔石事態はそのまま他者に渡り、死者だけが増え、ただの魔術師であればそれを解くことさえできずに混乱しただろう。そして、魔術師ではどうにもできないなどと判断されたならば、隣国へ助けを求めることにもなったかもしれない。また他の国からは魔術師でも分からない毒があると変な噂が立てば、国自体にも影響が出ていたかもしれない」
それを聞いて私はぞっとした。下手をすれば死者が出る。そして、何が原因か分かっていなければ死者はその後も増えたかもしれない。
「……すみません。元をただせば私の妹が流出してしまったものが原因で……どう償えばいいのか」
その言葉に、アスラン様は震える私の手を取っていった。
「それは違う。君は悪くない。君が償う必要はない。おそらく君の妹のアイリーン嬢が取引していた相手がこのような事態を引き起こしたのだろう。そしておそらく思惑があっての行為だろう」
「無自覚にこのようなことは出来ないだろうしな」
ジャン様の言葉に、私は体をこわばらせた。
ということは、アイリーンはその陰謀へ協力したことになる。
「とにかく、今回の一件はかなり問題がある。現在レーベ王国側の知り合いを通じて確認を取っている」
ジャン様の言葉に私は頷き、どっと疲れが押し寄せるのを感じた。
「今日はこの辺にしよう。とにかく、事実確認とどのような思惑だったのか黒幕を突き止めるために今後は行動をしていく。聖女アイリーンも関わっているのだろう。シェリー嬢、妹のことも心配だろうが、連絡は取らないでほしい。取った場合、君も関与していると疑われかねない」
アイリーンには連絡を取る気はなかったので、私は小さく頷いた。
その場はそこでお開きとなったが、私の気持ちは沈んだままであった。
アイリーンのことも心配で、私はアスラン様と一緒に王城の渡り廊下を歩きながら、ため息をつき、足を止めた。
罪に問われるのだろうか。それとも情状酌量の余地はあるのだろうか。
「シェリー嬢」
「え?」
顔をあげると、アスラン様が心配そうに私のことを見つめており、すっと手を伸ばすと、大きな手が、私の頭をぽんっと優しく撫でた。
その瞬間、ぶわりと自分の中に渦巻いていた不安が涙となって溢れてくる。
こんなところで突然泣いてはだめだと思い、ぐっと唇を噛む。
「……少し触れるぞ」
「え?」
片手で頭を抱き込むように引き寄せられ、胸に顔を埋める形になった。
このままでは涙で服を濡らしてしまうと慌てて離れようとしたけれど、アスラン様は私の頭をぽんぽんと撫でた。
「君は、悲しいことや不安なことがあった時、いつもそうやって唇を噛んで堪えていたのか?」
「え? あ、いや……その……昔から癖で……」
幼い頃から、嫌なことや悲しいことがあった時、妹のアイリーンのように人の腕の中で泣くことが出来なかった。
だから、これは昔からの癖。
「私は、君が堪えているのを見る度に、今まで感じたことのない程の怒りを覚える……それなのにシェリー嬢はその原因であるアイリーン嬢を未だに……感情とは、難しいものだな」
私はアスラン様の言葉に、一瞬身を固くした。
見透かされているなと感じた。
裏切られていても、虐げられていたことが事実でも、それでも私はやっぱり小さな頃の自分の後ろをついてきていたアイリーンが忘れられていない。
でも、もうアイリーンも一人の大人で、私の庇護がいらないことは分かっている。
大人なのだから、自分のことは自分の責任だ。
以前アスラン様の呟いた言葉を思い出す。
本当に呪いのように私にはアイリーンを守ることが植え付けられている。
「……たった一人の……家族ですから……」
家族なのだから。たった一人の妹なのだから。
そう思っていた。
「シェリー嬢。君の人生だ。これまで君は立派に姉を務めてきたのだろう。だが、もう解放されもいいのではないだろうか」
「ですが……」
「家族を捨てることは、罪ではない」
「え?」
私が顔をあげると、アスラン様は私の瞳をじっと見つめてはっきりと言った。
「家族という肩書を盾に君は傷つけられる。これまで、どれほど傷を負っても、君は家族だからと受け入れてきたのだろう。だがはっきり言う。それは君の為にも相手の為にもならない」
私はその言葉をじっと聞いていた。
「君は傷つく必要はない。もし君を家族なのにと非難してくる者がいたならば、私がそんな者達から守ってやる。だから、もう傷つかないでくれ。そして妹にも気づかせるべきだ。姉は妹の為に存在しているのではないという事を」
アスラン様の瞳をじっと見つめながら、私はずっと、心のどこかで、ずっと思っていたことを、口にした。
「姉を……やめてもいいのでしょうか……」
お姉ちゃんだから我慢しなきゃいけない。
ご飯がなくても、妹を飢えさせてはいけない。自分が我慢すればいい。
辛い、眠たい、苦しい。でも私はお姉ちゃんだから、妹の笑顔の為に頑張らなくちゃいけない。
これまでずっとそうやって生きてきた。けれど、ずっとずっと、私だって誰かに助けてほしかった。
ずっとずっと、お姉ちゃんだからと必死になって、苦労を吐露することも悪いことのように感じてきた。
お姉ちゃんはやめられない。家族なのだから仕方がない。
涙が溢れて前が見えなくて、ぽたぽたと落ちる涙の止め方さえ分からず、私は嗚咽をこぼしながら心の奥底にあった思いを吐き出した。
「妹を……妹を嫌いに、なりたくなんて、なくて、でも、でもでも、でもぉぉぉ」
苦しくて、呼吸が上手く出来なくて、裏切られたことを楽しいことで上書きして忘れようとしてもやはりずっと心の奥底には残っていて。
苦く、心の中が重たくなる何かがずっと、底にあった。
アスラン様が私のことをぎゅっと抱きしめた。
「君は優しすぎる。……家族を捨てることは罪ではない。君の人生は君のものだ。もし他人がとやかく言っても気にするな。そんな奴は私が払いのけてやる」
「うわぁぁあぁぁあぁっぁっぁぁあぁ」
叫ぶように、嗚咽をこぼし、涙が溢れた。
心の底にあった思いが溢れ、鳴き声と共に外へと押し出されていくような気がした。
アスラン様はそんな私の背中を、優しく擦っていてくれた。
シェリーは、やっと声をあげて、泣くことが出来ました。