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【短編版】オタクに厳しいギャルが大人気Vtuberであることに気づいた俺は、特定ギリギリの赤スパを投げて復讐することにした

作者: あの

連載版開始しました。↓のURLか作者ページから飛べます

【連載版】オタクに厳しいギャルが大人気Vtuberであることに気づいた俺は、特定ギリギリの赤スパを投げて復讐することにした

https://ncode.syosetu.com/n2251hw/


「ねぇーキモオタ。パン買ってきてよw」



 お昼時。のほほんとした平和な雰囲気が満ちる教室に、なんとも無慈悲な言葉が響き渡った。


 声の発信源は俺の目の前。



「あの、長津田(ながつだ)……俺そういうのやりたくないっていうか」

「長津田?」

「アッ……長津田さん。あのぅ……パシリとか、俺的にはあんまりよくないっていうか」

「パシリ? いや、お願いしてるだけじゃん。勘違いしないでよ」



 今は昭和でも平成でもない。令和。令和だ。にもかかわらず、目の前の美少女は俺──相模 蓮也(さがみ   れんや)になんとも古風なパシリを要求してくる。


 長津田 由奈(ながつだ   ゆな )。同じ高校生であるはずなのに、まるで芸能人のようなオーラを放っている彼女は、カーストのトップに君臨する女王。持ち前のコミュ力と欧州ハーフの美貌は彼女を女王たらしめており、俺たちのようなカースト下位(奴隷階級)は口答えをすることすら許されない。


 しかし。俺も男だ。こんな金髪ギャルにへこへこしているようじゃ心が廃る。

 


「あのな──」

「早くしてよ」

「は、ハイッ」



 鬼のような眼光に射すくめられ、気づけば俺は駆け出していた。背後でゲラゲラと笑い声が聞こえる。



「オタクくんがんばれ~!w」



 陽キャ集団のNo2である淵野辺(ふちのべ)みうが野次を飛ばす。普通に惨めで泣きそうだった。



 俺はダッシュで買ってきた献上物を陽キャ集団に差し出すと、そそくさと自分の席に戻った。



「だ、大丈夫!?」



 唯一の友人である(りょう)が心配そうに声をかけてきた。が、その目が俺の手にある小銭に移る。

 

 

「その小銭は……?」

「おつりだ。お駄賃だって」

「優しいのか厳しいのかわからないね……」



 長津田(ながつだ)は頻繁に俺をパシるが、余ったおつりはくれることが多い。しかしいくら小銭をくれようが俺をパシリにした事実は消えない。まぁ、他の連中はそもそも金すら払わないこともあるので長津田は相対的にはマシな方だが。


 先月ギターを買って金欠の亮は羨ましそうに俺を見てくるが、俺はこいつに言いたいことがあった。



「お前も見てたなら助けてくれよ」

「え、嫌だよ。パシられるの嫌じゃん」



 亮はちゃっかりしてる。俺と同じ日陰者のくせに、気配遮断が巧妙でまったく目をつけられないのだ。あと俺が責められてるとこっそり野次飛ばしたりするし。楽器も上手いからコイツのキモオタっぷりを知らない人間からは結構モテたりもする。あれ? こいつ敵じゃね?



「こんな時はま~や様の配信でも見て落ち着こうよ。ほら、昨日のアーカイブ」

「そうだな……」



 俺の機嫌が悪いことに気を遣ったのか、亮はスマホを取り出して我らが絶対神の動画を開いた。


 猫神(ねこがみ)ま~や♡。それは我らの絶対神の名前だ。


 2年前に突如として現れた個人Vtuber。巧みなワードセンスと狂人じみた行動からカルト的人気を博し、今ではその登録者は200万を超える。その異常な人気っぷりから、Vtuber発展のマスターピースである「バーチャルYouTuber四天王」の後釜ともいえる「バーチャルYouTuber三幻神」の一人として知られている。挨拶は「はろはろにゃ~♡」。


 亮が差し出してきたイヤホンの右耳を借り、俺たちは昨晩のアーカイブを視聴し始めた。どうでもいいけどこのイヤホンをシェアするの、なんかカップルみたいで嫌だな。



「やっぱま~や様だよな……」

「うんうん。声を聴いてるだけでアドレナリンが放出されるというか……」



 アーカイブを見ながら俺たちキモオタがま~や様談議に花を咲かせていると……



「なにあれキモっ」



 ツインテメンヘラ(命名:俺)こと淵野辺(ふちのべ)がそう言い放った。かなり大きめの声で。多分、俺たちに聞かせるためだろう。



「ねぇ、ユナぴもそう思わん?」

「え?」

「ほら、あのVtuberってやつ。めっちゃキモない?」

「あー……」



 不思議なことに、長津田はすぐさま同意しなかった。普段なら「キモすぎるからダイナマイト爆破かなんかしてブルドーザーで片した方が良い」ぐらいは言いそうなものだが、どうにも歯切れが悪い。



「現実じゃなんもできないブスたちが、ネットでオタクたちにチヤホヤされてるんでしょ?」

「まぁ……」

「やる側も見る側も地獄っていうか。みう、ああいうのに時間と金を使う人間理解できんくてさぁー」



 淵野辺(ふちのべ)は罵倒を続ける。


 正直反論したい。けれど、そんなことをしても無意味だ。「キモオタ」というレッテルが張られている以上、こちらがどれだけ正論を言ったところで戯言以上の意味は成さないだろうし。


 それより、不思議なのが長津田の態度だ。どういうわけか──その視線は所在なさげに動いていて、額には汗が浮かんでいる。どこか苦しそうだ。いつもの女王然とした態度とは正反対のように思える。

 


「そう思わん? ユナぴ」

「でも……別に誰にも迷惑かけてないし。いんじゃない?」



 長津田の言うことはもっともだ。彼らは誰にも迷惑をかけていない。嫌なら見なければいいのだ。全人類がその精神を身に着けるだけで争いごとの8割は減ると思う。


 が、淵野辺さんは残り2割の戦争を起こしちゃうタイプの人間らしく、一向に退くことがない。



「いやいや。キモすぎて迷惑なんだが?w」



 泣いた。やめてよ。思わず反論しそうになるが、怖いので動かない。絶対に。


 同意を求められた長津田は、まるで身を裂かれる痛みに耐えているような表情のまま──



「ははっ……たしかにそうかもね。結局、Vtuberなんてただの絵だし……」



ガタン! 俺は無意識のうちに椅子から立ち上がっていた。



「ハァ……ハァ……絵……?」

「?」

「取り消せよ……!!! … 今の言葉……!!!」



 いきなり反抗的な態度をとってきた俺に、淵野辺と長津田が胡乱な目を向ける。


 一触即発の空気を感じ取った亮が俺の裾を掴む。



「乗るな蓮也(れんや)! 戻れ!」

「あいつ、ま~やちゃんをバカにしやがった……」

「蓮也!!」



 別に俺のことは馬鹿にしてもいい。パシってもいい。あと亮のことも馬鹿にしていい。


 けど……「絵」は。「絵」は禁句だろ!!! 


 俺はづかづかと2人に近づく。



「なぁ長津田。淵野辺。ちょっと語ってもいいか?」



 いきなりハキハキと喋り始めたキモオタに、二人は「なんだコイツ……」みたいな目を向けてくる。 



「まぁダメだって言われても語るんだけどな」



 「じゃあ聞くなよ……」みたいな目。奇遇なことに俺もそう思ってた。


 そんな視線を意識の外に追出す。そうして一言。



「いいか! ま~や様はただの絵じゃない!」



 俺は両腕を腰に当て、応援団長さながら語りだす。



「キモすぎてぴえんなんだが……」「え、声デカ……」

「たしかに絵は重要だ。完成度の高いモデルは見てるだけで癒されるからな。でも、それだけじゃダメなんだ。トーク力。トーク力あってのモデルなんだよ。その点、ま~や様は完璧だ。一見アホで話が通じない狂人っぽさを出しながらも、ある時は人間の知性の限界を試すような深淵な発言をする。アホさの裏に見え隠れする知性。そのギャップが俺を狂わせる……!」

「ガチきしょなんだが。ユナぴ、やばないコイツ?」

「……そ、そうだね」

「それに声! そんじゃそこらの声優に劣らぬ、蠱惑的で甘ったるい声……最高! 正直俺の語りじゃ伝えきれない部分もあるから、帰ったら配信見てくれると嬉しい。あ、配信じゃなくてASMRでもいい。DLs○teで買えるから。先週発売された『ま~や♡の甘々耳かき』もおススメだけど、個人的にはデビュー一週間後に気の迷いでアップしたらしい『【耳舐め2時間】飼い猫ま~や♡の耳舐めご奉仕』が最高傑作だな。まぁ、本人にとって黒歴史らしくもう配信されてないんだが。俺は初日に購入して複製したファイルを複数クラウドに分散保存してるから聞かせてやれないこともないけど、それはま~や様の権利を不当に侵害する行為に当たるからやっぱりナシだ。再アップされることを祈ってるんだな」

「オタクくん必死過ぎて草なんだが。ユナぴ……ユナぴ? 顔赤くない?」

「……な、なんで知ってるのコイツ!? 投稿から一時間で消したはずなのに……!!」

「まぁ、声とかトークとか、そこもすごいけど。ま~や様の一番の魅力はそこじゃない。心。心だよ。ま~や様は心が綺麗なんだ。デビューから一度も配信時間が遅れたことがないし、スパチャ読みも誰一人漏らさない。Twitterでもリプライには全レスしてるし……天使っていうのかな。殺伐とした資本主義社会に君臨した一翼の天使。それがま~や様なんだ」

「おーいユナぴ。ガチで赤すぎでしょ。風邪? 保健室行く?」

「だ、大丈夫だから!」



 長津田の顔は赤熱化した鋼のように赤くなっていた。あれか? インフルか? ちゃんとワクチン打っとけよ。これだから陽キャは……。



「ね、ねぇキモオタ。もうわかったから。いい加減黙って──」

「は? まだ半分も語ってないんだけど」

「はっ、半分!?」

「とにかくだな。俺が言いたいのは────ま~や様愛してる!!! 心の底から!!!」

「いっ──いい加減にしてっ!」

「きょえっ」



 長津田は俺の襟を掴むと、腕をクロスして思いっきり締め上げてきた。思わず翼竜みたいな鳴き声を上げてしまった。



「ほんとに──ほんっとにキモい!! こんな公衆の面前で愛を叫ぶなし!! バチャ豚!! 死ねば!!?」



 どたん! げしっ!


 解放されて床に転げ落ちた俺を長津田が踏みつける。


 普通に考えてイジメじゃね? これ。まぁ俺もイジメ認定されるぐらいキモい演説した自覚あるからなんも言わんけどさ。それより一部の男子連中が羨ましそうにこちらを見ていたのが普通にホラーでした。


 

「オタクに説教されて耳が汚れた。最悪……」



 亮のところまで逃げ帰った俺が制服についた埃を払っていると、長津田は当てつけのようにそう呟いてきた。心なしかその顔は赤い。早く病院行ってくんねぇかな。



「あ、ユナぴ。ランオブ聞く?」

「えっ! 聞く聞く~!」



 女王の家臣こと淵野辺が、スマホに差し込んだイヤホンを長津田に差し出す。どうやら好きなアーティストの曲を聞かせて俺の汚言を耳から洗い流そうという魂胆らしい。泣きそう。



「まーたランオブだよ」



 きゃいきゃいと騒ぎ立てる陽キャどもを遠巻きに見ながら、俺は呟いた、


 Landing(ランディング) Object(オブジェクト)、通称ランオブ。年齢、性別職業、全て不明。年前に突如としてネット上に現れ、数々のヒット曲を生み出してきたの覆面アーティスト。チャンネル登録者数は1000万を超え、日本だけでなく世界中でフィーチャーされている。お年寄りから子供まで、あらゆる世代に人気のアーティストだ。


 つまりは、匿名性とかいう作曲にはなんら影響しない属性に価値を見出してしまう、頭の緩いミーハー向けアーティストとも言い換えられる。



「あんなヤツのどこがいいのかね」



 俺はランオブのことを心底嫌っている、いや、憎んでいるので、つい悪口を言ってしまう。


 その点、亮は俺と同じ逆張りオタクだから賛同してくれるだろう。やっぱ持つべきものはキモオタの友人だな。腹立たしいことに、亮は顔だけなら超がつくほどの塩顔イケメンなんだが。


 同意を求めて亮を見ると、なんだか申し訳なさそうな顔をされた。



「亮?」

「いや……実は、ボクも結構聴くんだよね。ランオブ」

「はぁ? 見損なったわ」

「いやいや! 別に普通でしょ!……ていうか、どうして蓮也はそんなに嫌ってるの? ランオブに肉親でも殺されたってぐらいの反応だけど……」

「……実際、殺されたんだよ」



 亮はそれをジョークととらえたらしく、半笑いでこちらを見てきた。


 ……あながち嘘でもないんだけどな。



────────



 放課後。俺は体育倉庫の清掃活動に勤しんでいた。


 どうやら永遠の二番手こと淵野辺さんは今日の俺の態度が気に食わなかったらしく



「あ、罰として体育倉庫の掃除な~!」


 

 とか自分の掃除を押し付けてきた。俺はそれに二つ返事でOKしてしまったワケ。


 フン……別にビビッてなどいない。ただ善意でOKしてあげただけだから。ほんとに。「断ったらオタクくんが告ってきたって言いふらす」なんて脅しに屈したわけでは断じてない。ない。ないから、泣いてもないから。


 それに、嫌なことはそれだけではない。



「……なんでお前までやってんの」



 視線の先には、なぜか運動マットを折りたたんでいる長津田がいる。



「別に?」

「別にって、お前な……」



 どういうわけか、俺が体育倉庫に向かっていたら「アタシも手伝う」とかわけのわからないことを言い始めたのだ。当然キモオタに拒否権はないからこうして一緒に掃除をしている。


 ぶっちゃけ、気を遣うから帰ってほしいんだけど。


 そんな俺の内心なんてつゆ知らず、長津田はボソっと呟いた。



「……アタシなりのお礼。これでもう貸し借りはナシだから」

「か、貸し借り? 意味不明なんだけど」



 なに? いきなり貸し借りとか言い出してくんのマジで怖いんだけど。ウシ〇マくんかよ。


 俺はコイツに貸しを作った覚えはない。まぁ、日ごろのパシリとかは貸しといえなくはないけど、それにお返しをするほど長津田は殊勝な人間じゃないはずだ。


 手元の腕時計は6時を過ぎていた。30分からま~や様が配信を始める。こんなカスみたいな仕事をしている場合じゃない。



「なぁ、そろそろ6時だし。解散しないか」

「え────はぁ!? 6時!??」



 長津田は心底驚いた様子。



「あ、アタシ帰るっ! 片づけよろしくっ!」

「はいはい」



 倉庫の端にあったカバンを引っ掴み、長津田は急ぎ足で倉庫を出て行った。


 俺も後に続こうとするが、黒い箱が落ちていることに気付く。長津田の忘れ物だろう。


 拾ってみると、それはランオブのアルバムだった。1年前、活動休止の直前に発売されたアルバム。思わず眩暈がした。


 俺は舌打ちして、長津田の後を追いかけた。正直膝で2つ折りにしてやりたい気分だが、一応、他人のものだしな。


 校内に戻ると、閑散とした廊下をぐるぐると歩き回っている長津田がいた。なんだあれ。陽キャの行動はわからんなぁ……。 



「やばい、遅刻しちゃう……でも、家に帰る時間なんてないし……!」



 そんなことをブツブツ呟いていたが、ハッと顔を上げた彼女は突如廊下を走りだした。俺も後を追う。


 彼女が入っていったのは空き教室だった。こんなところに何の用が? 疑問に思った俺は、扉についた窓から教室内を覗き見る。


 電灯が外された薄暗い室内。年季が入った薄茶に変色した学習机の上で、長津田は一心不乱にノートPCを操作していた。


 横には……USBマイク? あと、白色の箱……モバイルルーターのようなものも見える。


 声をかけようと思ったが、あまりに真剣な様子だったので憚られた。


 いったい何をしているんだ? 


 あ、もうそろそろま~や様の配信が始まる時間だ。とはいえ長津田の様子も気になるので、俺は右耳だけイヤホンを指して配信画面を開いた。運のいいことに、ちょうど配信がスタートするところだった。



「はろはろにゃーん!」『はろはろにゃーん!』



 いつもの挨拶が聞こえる。しかし違和感があった。


 うん? ま~や様、音ズレしてないか? 



「今日は歌枠の予定だったけど、機材さんがご機嫌ななめだから質問コーナーにするにゃ。ごめんにゃ~!」

『今日は歌枠の予定だったけど、機材さんがご機嫌ななめだから質問コーナーにするにゃ。ごめんにゃ~!』



 許すにゃ~!!!


 機材トラブルという不測の事態でも、内容を変更して配信してくれるま~や様マジ柔軟性の塊。これもうスライムだろ。というか、ま~や様の歌枠はどういう訳かランオブの曲しか歌わないから個人的には質問コーナーの方がありがたい。


 にしても、イヤホンしてない左耳からも音が聞こえるなんて、最近の音ズレも進化してるんだな。おじさん関心しちゃったよ。ははっ。


 ……。


 …………。


 あまりにも不快で荒唐無稽な現実をシャットアウトする為、俺は両耳にイヤホンを付けて音量を最大にした。



『あ、スパチャありがとに゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!』



 あまりの大音響にま~や様の声が歪んで聞こえるが、現実をシャットアウトするには一歩足りなかった。



「あ、スパチャありがとにゃ~ん!」



 扉の向こう側。ノートPCの前の長津田が……長津田が! 満面の笑みで! ま~や様と一言一句違わぬ言葉を!! 喋っているではないか。


 あれか。長津田はま~や様の配信にシンクロして物マネする趣味を持ってるのか。なるほどね。これならま~や様=長津田 という方程式は崩れる。俺も自宅で配信見てるときは挨拶に合わせて「はろはろにゃ~ん!!」って叫ぶし、まぁおかしいことじゃない。


 安心した俺は教室から離れようとして、不幸にも足を滑らせてしまった。思わず転びかける。


 ガタン! 響く足音。不思議なことにイヤホンからもそれが聞こえた。


 俺は泣いた。



────




 俺は走った。日が暮れた街を縦横無尽に走り、一緒に頭にこびりついた不快な現実を汗と一緒に流しきってしまおうと頑張った。しかし、現実の二文字はその大きさを増すばかりで、抵抗すればするだけ俺の意識を侵食していった。


 たどり着いた公園で、蛇口の水を頭からかぶる。


 水道水の冷たさでヒートアップしていた頭が冷静さを取り戻す。すると、無性に腹が立ってきた。


「なにが『はろはろにゃ~ん♡』だよ……!」


 おい、長津田。昼間は教室でオタクを虐げておいて、配信ではそのオタクたちに媚びを売っている。それどころかスパチャで金を搾り取っているわけだろ? それって裏切りじゃないか。



「許せねぇ……許せねぇよ俺……!」



 俺は決意した。長津田ユナ……いや、猫神ま~や♡に罰を与えることを。


 あまりにも大きいショックと全力疾走のアドレナリンに破壊された脳を働かせ、罰の内容を考える。


 正体をネットにバラす? いや、それは洒落にならない。別に殺したいほど憎んでいるわけではないのだ。ほどほどに痛い目にあってもらえればそれでいい。



「スパチャありがとにゃーん♡」



 流しっぱなしになっていたスマホからま~や様……いや、長津田の声が聞こえた。スパチャ……そうだ、これだ。


 特定されないギリギリの情報を含んだスパチャを送って長津田に心理的な負担をかける。これなら罰としてぴったしだ。ていうかやばい。めちゃめちゃ面白そ…………クソッ、なんて過酷な罰なんだ!


 俺だってこんなことしたくねぇよ! こんなま~や様を傷つけるよな真似っ。でも……でもよ! 仕方ねぇんだ……。


 金額は……まぁ5万でいいか。金ならいくらでもあるし。


 俺はウキウキでYoutbe用の口座に入金し、満面の笑みで送る文章を考える。まぁ大勢の目に触れるものだし、キモさを抑えて真面目な感じで行くか。


 ワクワクを抑えきれない俺は、つらつらとスマホに文章を打ち込んでいく。


『ま~や様の飼い犬

 ¥50000


ま~や様観察日記 幸せスクールライフ編01


夢を見たんだ。幸せな夢を。俺とま~やは幼馴染で同じ高校に通ってる。幼馴染だから登下校はいつも一緒。

いつもみたいにイチャイチャしながら二人で登校すると、妬んだクラスメートが野次を飛ばしてくる。「お熱いねぇ、お二人さん!」ってね。まぁ、よくあることさ。

そんなかわいそうな野次に見せつけるかのように俺は耳元で囁く。「愛してるよ、ま~や」。照れたま~やは俺の首を絞めた挙句足蹴にして罵るんだ。「公衆の面前で愛を囁くんじゃないにゃっ!」ってね。

やれやれ、困ったお姫様だぜ……(続く)』



 俺は高鳴る鼓動が導くまま、投稿ボタンを押した。


 突如として出現した赤スパに気が付いたま~や様は、



『この怪文書はどういうことなのにゃ……あまりにもキモすぎて鳥肌がぶわぁってなったにゃん……』



 今日の昼の出来事を盛り込んだ自信作だったのだが、普通にキモすぎて俺の意図は気付かれなかったらしい。しょんぼり。



『キモすぎ』『5万払って送る内容がこれかよ』『死んだほうがいい』『敗戦国の末路』



 コメント欄は大荒れだった。やめてよお前ら。傷つくだろ。俺は静かに泣いた。





 翌日はテスト返しだった。といっても俺は成績のいい方なので、ぼんやり外を眺めながら今日送るスパチャの内容を考える。



「おい長津田。もう少し頑張れ」

「はぁい……」



 眼鏡をかけた数学教師が呆れた目で長津田を見る。どうやら点数があまりよろしくなかったらしい。



「ちょ、ユナぴ16点て! やばみざわ超えてやばみ湾なんだが!」



 長津田が席に戻ると、テスト用紙を見た淵野辺が半笑いでそう言った。



「う、うっさいなぁ! つーか、アンタの教えてきた範囲が間違ってたからでしょ!」

「自己責任なんだが~?」



 あ、これにするか。



 

 夜。ま~や様のゲーム配信にて。 



『ま~や様の飼い犬

 ¥50000


ま~や様観察日記 幸せスクールライフ編02


ヤッホー

今日はテスト返しだったネ。僕は96点だったけど、ま~やちゃんは赤点⁉️‼️

配信大変だけどお勉強はサボっちゃメッ!だゾ(^^)/

おじさんも鬼じゃないから、今度勉強教えてあげるネ(*´ω`*) 

明日も元気にガンバロウ(^^♪ (続く)』


『うわ、ガチで反応し辛いタイプのやつがきたにゃ……にゃ?』



 昨日と同じくドン引きされたが、今日は少し様子がおかしい。どうやら気が付いたらしい。スパチャを読み上げたま~や様は、5秒ほど無言になった。

 


『にゃ……なんでもないにゃ』



 が、ここは流石のプロ。すぐさま通常モードに戻り、配信を再開する。



『……は、配信続けるワン』



 冷静かと思ったらめちゃくちゃ動揺してた。




 翌日。長津田は少し様子がおかしかった。教室につくなりキョロキョロと辺りを見回し、まるで何かにおびえているようだ。


 かわいそうに。一体誰が長津田を追い詰めたんだ……許せねぇ! 正体を現さない悪漢に復讐を誓っていると、亮が登校してきた。



「あ、蓮也。おはよー」

「はろはろにゃ~ん♡」



 挨拶返しは大事だよね。


 びくぅっ! 長津田の肩が大きく跳ねた。あと蓮也が心底気持ちが悪いものを見る目で俺を見てきた。



「それ、ま~や様への侮辱?」

「いや? 賛歌だな」

「ならいいや。許すよ」



 何様だよ……。





 五限目の体育。今日は跳び箱だった。とはいえ俺は運動も得意なので、ぼけーっと順番を待ちながらスパチャの内容を考える。



「次! 長津田!」

「はいっ」



 体育教師に呼ばれた長津田が跳び箱に向けて疾走する。が、



「うぇぇっ! ムカデいるんだが!?」



 淵野辺が叫んだ。どうやら虫が出たらしい。



「ひぇっ!?」



 それに驚いた長津田が跳躍の瞬間にバランスを崩す。



「いったぁ……!」



 コケた長津田は普通に痛そうだった。かわいそうに。


 ……あ、これにするか。

 




 夜。今日は雑談配信だった。



『ま~や様の飼い犬

 ¥50000


ま~や様観察日記 幸せスクールライフ編03


とびばこ(笑)』



『にゃ……』



 俺の赤スパを見たま~や様は黙ってしまった。それからしばらくして……



『き、今日の配信はここまでにするにゃ~』



 さすがのま~や様も事態の異常さに気が付いたらしい。配信を切ろうとするが……



『と、思ったけどやっぱり続けるにゃ』



 どうやら決めた配信時間は守るつもりらしく、そのまま続行した。そこから先、ま~や様は一切ボロを出さず、動揺した様子もなかった。


 プロ意識たけぇ。さすがま~や様だぜ……。


 



 翌日。



「ねぇ、アンタ?」

「は?」



 登校した俺を、長津田が険しい顔でそう問い詰めてきた。



「ねぇ、正直に答えて。最近の……ほら、配信の。あれ、アンタなんでしょ?」

「え? いや、何言ってるかわからないんだけど」

「!? ち、違うの?」

「違うも何も、俺と長津田さんって関わりないし……つーか、マジで何言ってるかわからないんだけど」



 俺のポーカーフェイスに騙された長津田は、狐につままれたような顔で席に戻る。席といっても他人の机で、モデルのようにすらりとした脚を組んでそこに腰かけているだけなのだが。真っ白なふとももが眩しい。



「あ~イライラする……」



 正体の見えぬ敵に監視されている不安は相当なものだろう。だが、俺は攻撃の手を止めようとは思わなかった。どちらかが倒れるまで終わらない……これはそういう戦いなんだよ、長津田。


 俺がニヒルなオタクスマイルを浮かべていると、再び長津田が歩み寄ってきた。そして一言。



「ねぇオタク。パン買ってきてよ」

「は、はぁ?」

「なに? 逆らうの?」



 この女……!


 体育倉庫の掃除を手伝ってくれたから、ちょっとは見直してやったのに、人間、性根というやつは変わらないらしい。


 まぁこのパシリはイライラしてるから頼んできた節もあるので、そうすると回り回ってスパチャで追い詰めた俺のせいと言えなくもないのだが、そんな不都合な事実は知らないにゃ~。


 やはり罰。この女には罰を与えねばならない。


 長津田は財布から500円玉をとりだす。



「ほら、買ってきて」



 長津田から500円を手渡された俺は、手のひらの金を一瞥し、わりかしデカめの声で呟いた。



「チッ、青スパかよッ……」



 空気が凍った。いや、正確に言うと凍ったのは長津田だけで、隣の淵野辺は「青スパ? なにそれ」みたいな顔をしている。


 長津田はたっぷり10秒ほど沈黙し、ぎぎ、とさび付いたロボットのように動き出す。



「い、今なんて言った?」

「いや、別に?」

「別にじゃないでしょ別にじゃ。え、もしかしてアンタなの? ねぇ」

「質問文が短すぎて意図がわからないな。まぁ、とりあえずパン買ってくるよ」

「あ、みうのもよろ~。クリームパンと串カツコロッケで」



 しかし淵野辺みうは金を出さない。こいつが一番の性悪女だな……と思いながら教室を出ようとすると、長津田はガシッと俺の肩をホールドした。



「ねぇ、逃がすと思った? 待ってよ。ちょっと話そ」

「い、痛いにゃ~ん……」

「オイ!!!」



 長津田は俺の首根っこを乱暴につかむと、そのまま教室の外へとドナドナしていった。痛い、痛いってば!


 連れてこられた先はあの空き教室だった。



「こ、こんなところに連れ込んで……私をどうするつもりっ!?」

「黙って。お願いだから。ねぇ、今そういうネタはどうでもいいの。話、聞いて」

「ごめん」



 目がマジだったのでふざけないでおく。



「え、アンタなの? 私の配信であの赤スパ投げてきたヤツ」

「私って……あ、大人気美少女Vtuber『猫神ま~や♡』のことか?」

「フルで言わんでいいから」



 今の返しから赤スパの犯人が俺であると気が付いたらしく、長津田は眉間にしわを寄せ、力強く俺を睨んできた。



「やっぱりアンタだったの!? ほんと最低。信じられない。邪悪。バチャ豚!」

「そんな酷いこといっていいのかにゃ~?」

「ぐぅっ!」



 そうだ。己の無力さを実感するんだ長津田。


 俺が猫神ま~やの正体を教室でバラせば長津田の人生は終了する。校内新聞では「あの女王の正体は美少女Vtuber!?」との見出しが躍り、昼の校内放送では歌枠のアーカイブが流れる。そうしてカーストトップを追われ、「あ、Vtuberの人じゃんw」を後ろ指を刺され続ける学生生活を送らなければいけないんだからな。学校にファンが押しかけでもしたら、下手すれば退学という可能性もありえなくはない。



「お、お願い! このことは誰にも言わないで!」

「『お願い!』? なぁ長津田。人にものを頼むときは言い方ってものがあるよな」

「ぐぅっ……お。お願いします」

「違う違う。なぁ、長津田は猫神ま~や♡様なんだろ? わかるよなぁ……?」

「さ、さいってー……!」



 長津田は顔を赤くし、顔をうつむける。そのまま蚊の鳴くような声で……



「お、お願いだにゃん……」

「あぁ~!? 声が小さくて聞こえないなぁ!」

「お、お願いだにゃん!!」

「……」

「その笑顔やめて! 満面の笑み! ムカつくから!」



 うんうん。生ま~や様の声が聞けて満足。スマホをタップして録音を終了する。


 というかアレだな。頼んでもないのに両手で猫耳ジェスチャーをしてきたあたり、長津田ってひょっとしてアホの子なのか?


 俺から取り上げたスマホを床に叩きつけた長津田は「もう十分でしょ」みたいな目線を投げかけてくるが、何か勘違いをしているらしい。



「まぁ、許さないんだけどな」

「はぁ?」

「当たり前だろ。これまで散々偉そうに振舞ってきて、自分だけは助けてほしいとか虫が良すぎるだろ」

「そ、それは……」



 自分で言うのもなんだが、これは正論だ。本格的なイジメとまではいかなかったものの、長津田はカースト下位の人間を散々こき使ってきたのだ。それ相応の報いを受ける必要がある。



「そうだな……配信の収入全部俺にくれるなら考えなくもないが」



 俺は長津田を試すつもりでそう言った。ま、絶対渡してこないだろうけど──



「いいよ」

「は?」

「別に、お金ならいくらでもあげる」

「お前……」

「その、なんだったら……え、えっちなこともしていいから。だからお願い。私が配信者だってこと、誰にも言わないで」



 教室に沈黙が満ちる。彼女の悲壮なまでの覚悟に、冗談半分で話していた俺は言葉が出ない。


 そ、そんなのってないペコじゃん……これじゃまるで、俺が悪役みたいじゃないか。



「べ……別に、はじめからバラすつもりなんてねぇよ」

「え」



 そうだ。別に脅すつもりも、それで得をしようとも思っちゃいない。俺はオタクだけどクズではないからな。



「ちょっと痛い目見てもらいたかっただけだからな。配信のスパチャも……ああいうのはもう送らない」

「……いいの?」

「まぁーな。これまで配信を楽しませてもらったのは事実だし、俺は今でもま~や様の信者だから……あ、でも、ああいうパシリとかは勘弁してくれよ。こっちだって辛いんだから」

「う……わかった」

「ならいい」



 どうやら俺が脅してくると考えていたらしい長津田は呆気にとられた様子で間抜け顔を晒している。そんな彼女に俺は背を向け、教室の扉を開く。



「あ。一つだけいいか?」

「なに?」

「さっきの『え、えっちなこともしていいから……』ってところ、ま~や様ボイスでやってくれないか? 一生のお願いだから」

「しっ────死ね! バチャ豚!」



 後ろから首を絞められた挙句足蹴にされて罵倒された。なんかデジャビュ。





 あの日以来、俺と長津田は空き教室でたまーに話すようになっていた。内容はま~や様の配信についてだったり、クラスの様子だったり、くだらない雑談だ。


 本人もリアルでVtuberのことを相談できる人間がいなかったらしく、こんな形とはいえ両方の顔を知っている俺は話し相手として都合がいいらしい。まぁ、俺もま~や様と同じ声帯から奏でられる音を聞けて満足だからWin-Winなのだが。


 夕暮れに染まる空き教室で、今日も長津田と俺は話し込んでいた。



「あ、今日歌枠の配信あるから。もう帰るね」

「歌枠……またランオブの曲か?」

「もち」



 不思議なことに、ま~や様はここ1年間、配信でランオブ以外の曲を歌ったことがない。



「前から疑問だったんだけど、他のアーティストの曲歌わないのか?」



 そう問いかけると、長津田は即答した。



「歌わないよ。絶対」

「なんで」

「……言いたくない」

「そっか……」



 まぁ、俺も嫌がる人間に理由を聞くほど野暮な男じゃない。



「なぁ長津田。クラスのLINEグループに今日の配信リンク張ってもいいか? みんなにま~や様の美声を知ってもらいたいんだ」

「あーはいはいわかった! 喋るから! 喋ればいいんでしょ!」



 どういうわけか話す気になってくれたらしい。ラッキー。



「信者だから、アタシ。Landing Objectの」

「それは知ってる。教室での話聞いてたらわかるし」

「え、勝手に人の話聞いてんの? キモすぎなんだけど」

「お前ら陽キャさんが馬鹿デカ声で喋ってるから聞こえてくんだよ。つーか……信者でも、それしか歌わないのはやりすぎだろ」

「ランオブ以外の曲を歌ったら、それはもうアタシじゃない。だからアタシは歌い続ける。……それだけ」



 なんとも不快な話だ。



「……わけがわからないな。あんなアーティストのどこがいいんだよ」



 自分でも驚くぐらい卑屈な声が漏れた。



「……なに? アンタ、ランオブのこと嫌いなの?」

「別に嫌いじゃない」

「へぇ」

「大っ嫌いなだけだ」



 過去に戻ってランオブを殺せるのなら、俺は迷わずそうするだろう。


 しかし、長津田は俺の心情なんて知らない。いつもの無遠慮な態度でこちらを批判してくる。



「え、マジでありえないんだけど」

「好き嫌いなんて俺の勝手だろ。第一、あんな顔も名前も出してない野郎のどこがいいんだよ。まともに人とコミュニケーションも取らずにただ曲を上げ続けて……そんでもって無言で活動休止とか、ただのオナニー野郎だろ」

「ッ、馬鹿にしないで!」



 襟を掴まれる。思わぬ力強さに、ひゅっと息が漏れた。



「アタシは……猫神ま~やは、ランオブのお陰で配信出来てるの。あの人がいなかったら今頃引退してたと思う。いや、絶対そう」



 その言葉を聞いて、心臓が締め付けられるような感じがした。


 喜び? いや、違う。この感情は恐怖だ。また俺の知らないところでLanding objectが誰かに影響を与えている。それを制御できないことへの恐怖感。


 冷や汗を浮かべる俺をよそに、長津田は俺の目をまっすぐに見つめる。



「……語っていい?」

「……勝手にしろ」

「ま、やめろって言われても話すつもりだったけど」



 じゃあ聞くなよ。この前の意趣返しだろうけど。


 長津田はぽつぽつと語り始めた。



「……確か、一年前だったかな。あの頃、すっごい調子が良かったの。登録者も増えて、いろんなライバーともコラボ配信とかして……毎日が楽しかった。こんな日々がこれからも続くんだって思ってた」



 一年前。奇しくも、俺が音楽活動を辞めた時期と一致している。



「でもね。それからしばらくして、有名な男性Vtuberとコラボ配信したの。……それがいけなかった」


「どうも彼は私のファンだったらしくて、コラボ配信でグイグイ接してくるの。私は何も思わなかったんだけど、向こうのファンはそれが気に食わなかったみたいで」



 俺はその話を知っていた。ま~や様は過去に一度大きな炎上を起こしている。男性Vtuberとのコラボをきっかけに両者のファンが対立。はじめは小さな火種に過ぎなかったが、当時は珍しかったVtuberという存在に目をつけたアフィブログやら炎上系Youtuberが真偽不明の噂話をバラまいたのだ。


 曰く、二人はニコ生時代からの知り合いで裏で同棲している。


 曰く、今回のコラボは猫神が無理を言って通したものであり男性側に非はない。


 曰く、この炎上は大手事務所が個人潰しで仕掛けたもらしい。


 ま~や様のような個人Vtuberには、事務所のような後ろ盾がない。つまりは真偽不明の情報がばらまかれた時、それを公的に否定してくれる存在がないことを意味する。となれば炎上は終わらない。結局、事態は男性Vtuberが引退することになるまで終わらなかった。


 振り返ってみればどれも嘘だと思える噂話ばかりだったが、「大手事務所が個人潰しに動いた」という話は一定の信ぴょう性があると俺は思っている。というのも、「鹿沼台(かぬまだい)うみ」という大手に所属するVtuberが炎上を煽るような発言を度々繰り返していたからだ。



「あることないことSNSに書き込まれて……アタシであるはずの『猫神ま~や』が、どんどん私から離れて行って……なんか、めっちゃ怖かった」



 めっちゃ怖かった。飾らないその言葉が、逆説的に事態の深刻さを伝えてくる。



「リスナーの為に時間を削って、体力だって消耗して……こんなに頑張ってるのに、どうして信じてくれないの!? って、もうメンタルボロボロでさ。な~んか全部馬鹿らしくなって、配信辞めちゃったんだよね」



 ま~や様は一か月間配信を休止した時期があった。たぶんその時期のことだろう。

 


「そんな時、Landing Objectを知ったの。一切メディアに出ないで、ただひたすらに曲を作り続ける覆面アーティスト。落ち込んでるときにあの人の曲を聴いて、めちゃめちゃ救われた。アタシの好みドンピシャだったし、なにより……ランオブの精神? 生き様っていうのかな。それがすっごい好きだった」

「生き様(笑)」

「茶化さないでよ。……知ってる? ランオブって一回だけインタビュー受けたことあんだよね」



 知ってる。あれはランオブが有名になって調子に乗っていた頃。有名テレビ局からインタビューのオファーがあったのだ。



「年齢とか、職業とか、これまでの経歴とか……インタビュワーが色々質問するんだけどね。ランオブ様はずっと無言。な~んも答えないの。でも、音楽を作る動機だけはちゃんと答えたんだよね。なんて言ったと思う?」



 正直答えたくないのだが、他人からその言葉を聞くよりも自分で言ったほうがマシだと俺は判断した。 



「……『好きでやってるだけだから』」

「そう! なんだ、知ってんじゃん。実はファン?」

「なわけないだろ」



 当時のLanding Objectサマは中二病真っ盛りで、それはもう痛々しいやつだった。


 「ミステリアスな俺、かっこいい……」とわけのわからないアイデンティティにとりつかれ、ネット越しのインタビューでもアノニマスのマスクとか付けてたし。「インタビューで一言しか喋らない自分、異端すか?w」とか考えてたっけ。


 あ、やばい。思い出すだけで背中がチクチクしてきた。やめてー! 勘弁してー!



「ふーん。まぁいいや。とにかくね。アタシ、その言葉を聞いてビビってきたの。登録者とかアンチとか、そんなのはどうでもいい。アタシは好きだから配信するの。それでファンが幸せになってくれればよし。嫌な奴は見なければいい。けど、そんなアンチたちですら笑っちゃうぐらい楽しい配信をしてやる! ってね」



 理解はしたが、素直に認めることは出来なかった。



「でも、ランオブは楽曲作りから逃げた」

「……」

「色んな人を踏みつけて有名になったくせに。ファンが楽曲を待っているのに。勝手に消えて……無責任なヤツだと思わないのか?」

「思わないよ。だって、そんなの本人の勝手じゃん」



 そこには一片の躊躇いもなかった。心の底からそう思っているのが伝わってきた。


 そこで俺は、長津田がま~や様であることを再認識した。どこまでもまっすぐで、芯の通った力強さがある。俺とは正反対だ。


 長津田は腰かけていた机からぴょいっと降りると、窓際に歩いていく。妙に綺麗な後ろ姿だった。



「とにかく。アタシの目標は一つ!」

「も、目標?」

「うん! ──もっともっと有名になって、リスナーに笑顔を届けて……いつかランオブに『ありがとう』って伝えんの!」



 また、心臓が締め付けられる感覚。けれど、それは恐怖ではなかった。もしかしたら──



「って、時間大丈夫か?」

「え──やばっ!! 絶対間に合わないじゃんこれ!!」

「お、今回も質問コーナーに変更か」

「っ──いや。PCとUSBマイクは持ってきてるから、カラオケから配信する。じゃーね!」

「お、おう」



 確かに近場にカラオケはあるけども。なんというプロ意識の高さ。さすがま~や様だぜ……。







 翌日。


 登校して教室に入ると、小さな違和感があった。うまく言葉にできないが、普段の教室とは違う雰囲気。


 まぁ俺のような世捨て人からすれば教室の様子なんて知ったこっちゃない。亮の登校をぼけーっと待っていると……



「おっは~」



 長津田が登校してきた。


 ……昨日の歌枠、なんやかんや最高だったな。やっぱりランオブの曲はいただけないけど。さすがま~や様だぜ。


 彼女を目で追っていると、俺はさっき違和感の正体に気付いた。


 淵野辺だ。彼女の様子がおかしい。いつもは朝からケタケタとやかましい笑い声をあげているのに、今日は無言。彼女だけじゃない。淵野辺を中心にして教室の隅で固まっている数人の女子全員が、不敵な笑みを浮かべて長津田を見ていた。


 

「……みう?」



 彼女もその違和感に気が付いたらしい。


 問いかけられた淵野辺は、獲物を見つけた獣のような嗜虐的な笑みを浮かべて──



「おはよ。ま~やちゃん」



 ……は?


 気づくと、取り巻きの女子たちもクスクス笑っている。



「ちょ、やめなよみう~」「ま~やちゃんがかわいそうだってばw」



 不味い。突如として訪れた緊急事態に、俺は固まらざるをえない。


 長津田も同じようで、その翡翠色の瞳が不安げに揺れている。言葉が出ないままそうして数秒間固まり、苦笑いを浮かべながら……



「な、なんのこと……?」



 取り繕った言葉は、どう考えても弱すぎた。



「とぼけないで欲しいんだが~?」

「と……とぼけるって。何の話?」

「ユナぴ、昨日カラオケ行ったよね」

「……そうだけど」

「みうたちもいたんだ。そのカラオケ」



 ──そういうことか。


 昨日、長津田は配信に遅刻しないため近場のカラオケから配信をした。そこを──運悪く、淵野辺たちに見られてしまったのだ。



「な~んかコソコソしてたから、こっそり後をつけたの。部屋の中を覗いてみたら──」



 そう言って淵野辺は嗜虐的な笑みを浮かべ、取り巻きの女子たちに視線をやった。突如として生まれる爆笑。俺はそれを見て、ぴくりとも笑えなかった。


 悪女。マジでガチのクソ女だ。


 別に気付いたなら黙っていればいい。むしろ友人ならそうするのが当然だ。にもかかわらずこうしてクラスメイトの前で──まるで知らしめるかのように語っているのは、淵野辺は長津田に悪感情があるから。


 思えば片鱗はあった。


 例えば、数学のテスト。長津田は淵野辺に教えてもらった範囲が間違っていたと言った。


 例えば、一昨日の跳び箱。あれだって、淵野辺の不自然なタイミングでの一言が招いた事故だ。


 例えば、これまでの全て。誰かをやり玉に挙げるとき、淵野辺はいつも長津田に同意を求めていた。まるでわざとヘイトを集中させるように。


 

「え、なんで隠してたん? ちょっとユナぴ、教えてよ~」



 淵野辺はああ見えて文武両道だ。友人も多い。彼女からしたら、その美貌とトーク力だけでカーストトップに居座っていた長津田がさぞ憎かったことだろう。他の女たちも、大なり小なり嫉妬があったのだと思う。


 だから引きずり下ろす。弱みを見せた長津田を徹底的にバカにし、カーストの順位を逆転させようとしている。


 このまま行けばその思惑は成功するだろう。当たり前だ。いかに長津田のコミュ力が高かろうと、一度明らかになった真実を隠すことは不可能だ。詰み。



「勝手にやってろよ……バカが」



 自業自得だ。確かに淵野辺も悪女だが、長津田もカーストトップに居座るために強権的な態度をとってきたのだから。恨みを買っていてもそれは身から出た錆だ。


 別に、俺には関係ない。


 しかし、どういうわけか俺は彼女たちから目が離せずにいた。



「あ、アタシは……その」



 長津田は必死に言い訳を探す。しかし、事ここに至ってはそんなものは無意味だ。


 淵野辺はそんな彼女を見下すように小さく笑い……



「ねぇ、あんなの止めなよ」

「え……」

「配信でオタクに媚びて、スパチャ?だっけ。お金貰ってるんでしょ。なんか援交みたいじゃん、それって」



 どこまでも露悪的に責め立てる。しかし、誰も止めようとしない。後ろの取り巻きはニヤニヤ笑っているだけだ。



「……違う! あれは……視聴者と配信者がお互いをリスペクトするための機能で……そもそアタシはお金目当てで配信なんて──」

「違わないんだが〜? 結果的に金貰ってんならそういうことでしょ。ていうかリスペクトて。どんだけ美化すんだっつーの。キモオタから搾取してるだけなのに」



 長津田の表情が歪む。



「アタシのことは悪くいってもいい! でも、視聴者のことはやめて!」

「はァ……? 何言ってんの。ただの金づるとしか見てない癖に」

「違う!」

「違わないだろ!」



 淵野辺が激情を剥き出しにしてまで長津田を否定する。まるで年幼い少女のように。


 俺はそれに小さな違和感を覚えるが、それも一瞬のことだ。淵野辺は小さく嘆息すると、いつもどおりの笑顔を顔に貼り付けた。そして────



「正直に言うね。ユナぴ、キモいんだよ」

「みう……」

「これまで散々『アタシはオタクじゃないです』みたいな顔してきて、実はあんな配信してたなんてさァ……」



 どれだけ長津田が口を開いても、その言葉が聞き入れられることはない。当たり前だ。彼女たちの間では「キモい配信をしていた裏切り者」というレッテルが貼られてしまっているのだから。


 それがどうしようもなく痛ましくて──けれど、俺は無理やり目を閉じた。知らない。俺は何も知らない。


 淵野辺は嘲笑を止めない。そして──



「絵畜生のくせに女王様気取ってたとか、マジで笑えるんだが?w」



 ガタァン! 気が付くと、俺は机を蹴飛ばしていた。


 周囲の視線が一斉に俺に注がれる。

 

 ……たしかに長津田は最悪だ。外見がいいからって調子に乗ってるし、平気で人をこき使う。この状況に陥ったのも本人の注意不足。擁護の余地なんてない。


 でも──それでも、あいつはプロだ。Vtuberという存在に真摯に向き合っている。


 あいつがVtuberであることを誰にも言わないでくれと俺に頼んできた理由は、きっと保身のためだけじゃない。画面の向こうにいるファンのことを心底想っているからだ。「長津田ユナ」という現実がVtunerである「猫神ま~や♡」を侵食すれば、きっとファンは不快に思う。身バレを喜ぶファンなんていない。


 もし自己顕示欲と金銭のためだけに配信をしているのなら、配信収入と自分の体を好きにしていいなんて言うはずがない。不測の事態に備えて、重くて仕方のない配信器具一式を毎日カバンにいれて持ち運ぶなんて狂人じみた真似もしない。


 そんなプロ意識の高いま~や様の信者である俺。


 俺がやるべきことは──きっと決まっている。



「借りるぞ、亮」

「え……」



 登校してきた亮が背負っていたアコースティックギターを強引に奪い去る。持つべきものは軽音部の友人だな。


 そうして俺は教卓まで歩き、教室を見渡した。



「あー、長津田。ちょっと語ってもいいか」

「え……」

「まぁダメだって言われても語るんだが」



 突如として現れたキモオタに、淵野辺が「なんだこいつ」みたいな目を向けてくる、あの時と同じだ。違うのは、長津田が泣きそうな瞳でこちらを見ていることぐらい。



「えー、ごほん。皆さんに、一つ伝えたいことがあります」



 注がれる好機の視線。まーたキモオタがハッスルしてるよ、と誰かが呟いた。そこから生まれる嘲笑。教室は一瞬にして元の騒々しさを取り戻した。


 そんな雑音をかき分けるかのように俺は弦を鳴らした。錆びついていた指先が、急激に感覚を取り戻していく。


 ウォーミングアップを終えると、教室は静まり返っていた。


 俺は考えた。すでに漏れてしまっている長津田の正体を隠す方法。全員の口止めをする? いや、そんなこと不可能だ。まず誰が知っているのかが不明だし、一人でも約束を破ればすべて崩れ去る。


 なら、方法は一つしかない。


 俺は息を吸って、決定的な一言を口にした。



「『Landing Object』、ランオブってアーティストいるでしょ。アレ、俺です」



 長津田由奈の正体より、さらにセンセーショナルな情報を明らかにすればいい。解決策はそれだ。



 絶対にするつもりがなかったカミングアウト。しかし、後悔。緊張。羞恥。そんな感情は一切湧いてこなかった。


 代わりに、ぼんやりと昔のことを思い出していた。昔と言ってもたかが1年前だが。


 ……あの頃、ランオブの人気は絶頂だった。街中のあらゆるモニターからMVが流れ、多くの若者は俺の曲に魅入られていた。ランオブは神。ランオブの曲に人生を救われた。毎日新曲を楽しみに待っている──数えきれない程の称賛が、SNSを通じて俺のもとに届いていた。


 しかし、その状況で俺が感じたのは喜びではなかった。恐怖だった。


 Landing Objectという存在が俺を離れて、一人でに動き出してしまったかのような不気味さ。俺はただ楽曲を作っているだけなのに。それだけのことしかやっていないのに。何人もの人生に影響を与えてしまっている。そして、それはもう止めることができない。


 怖くなった。俺の作った楽曲が誰かの人生を救った。それならきっと、どこかに俺の曲によって壊されてしまった人もいるんじゃないのか。俺は自意識過剰なオタクだから、そんな荒唐無稽な考えを否定できなかった。


 そして、それは現実となってしまった。



「私、曲作るの辞める」



 思い出すだけでもゾッとする。俺が壊してしまった人は、俺に音楽を教えてくれた姉さんだった。


 姉さんはピアニストとして数々のコンクールで入賞し、将来を有望視されていた。所属する音楽大学では特待生で、レコード会社の役員でもある父親からも期待されていた。


 だからきっと、彼女が俺に音楽を教えたのは間違いだった。


 中学に上がった頃、趣味が欲しいと言った俺に姉さんは優しくピアノを教えてくれた。


 俺は姉さんが好きで好きで大好きでたまらなくて、褒めてもらいたくて音楽を勉強し続けた。そしてやがて作曲にも手を出した。


 音楽を作れば姉さんが俺を見てくれる。だから俺は作曲が大好きだった。


 俺が──Landing Objectという存在が彼女のプライドを傷つけ、修復不可能なほどに歪めていたことに気がつけなくなるほどに。



「私は凡人」


「蓮也に私の気持ちなんてわからない」


「私、曲作るの辞める」


「死んじゃえばいいのに」



 彼女は心を病んでしまった。きっと今でも俺を憎んでる。


 そうして俺は気付いた。気が付いてしまった。これまで意識することのなかった、俺の音楽によって壊されてしまった人たちの存在に。


 音楽で人を救えるなんて幻想だ。けれど、音楽で人を壊すことはきっと難しくない。


 だから俺は引退した。誰も救えない代わりに、誰も壊すことはない。


 アンプもギターもハイエンドPCも全部破壊し、ガラクタだらけになった自室に閉じこもる日々。()()()()()()()()も、俺は一度も楽器を触っていない。歌を歌ったこともない。


 だけど──



『アタシの目標は一つ!』


『もっともっと有名になって、リスナーに笑顔を届けて……いつか、ランオブに『ありがとう』って伝えんの!』



 あんなにまっすぐなことを言われたら、俺も黙っているわけにはいかないよな。



 ギターを構える俺を、淵野辺が睨みつけてくる。



「ら、ランオブ? なにバカみたいなこと言ってんの。オタクくんさぁ……」

「なぁ淵野辺。前にも言ったよな」

「……なにを?」

「Vtuberは絵じゃねぇんだよ」

「は……?」

「心だ」



 呆気にとられる彼女をよそに、俺は再びギターを鳴らす。


 ウォーミングアップを終えた俺の指が弦の上を滑る。奏でられるリズムに任せるがまま、俺は歌いだした。



「────♪ ──!」



 作詞も作曲も即興だ。けれども俺は止まることはない。当たり前だ。俺はランオブ。かつて日本の頂点を戴いたアーティスト、Landing Objectなのだから。


 はじめは物見遊山で聞いていたクラスメイトたちも、気が付けば皆、息を呑んで俺の演奏を聴いていた。扉からは演奏を聴いた他クラスの人間も顔を覗かせている。



「……!」



 見れば、亮が異星人と遭遇したかのような目をこちらに向けていた。悪いな、後でギター返すよ。


 やがてCメロが終わる。まだだ。こんなのはLanding Objectじゃない。ラストのサビに差し掛かる。俺は指先の痛みに耐えながらサビを歌いきる。そしてケースから二本目のピックを取り出し、小指と薬指に挟む。突如として現れる重奏に教室がわっとどよめいた。


 これがLaning Objectの真骨頂。2つのピックによる演奏は有名アーティストをもってしても表現不可能と言わしめた秘技中の秘技であり、俺がランオブであることの証明でもあった。


 そして最後の転調。俺は2つのピックを宙に投げ捨て──



「────俺はま~や様を愛してるッ!!! 心の底からぁぁぁぁぁッ!!!」



 肺の空気をすべて出し切るまで叫び続ける。そうして生指で最後のコードを弾き終わり、俺はギターを置いた。


 皆、呆気に取られていた。人だらけなのに沈黙に満ちた教室が、どこか異質に見えた。



「本物……?」



 誰かが呟いた。せき止めていたダムが決壊するかのように、皆、口々に話し始める。



「本物だ……!」「は、ありえなくね?」「でも聞いただろ。あんなコード進行、マジもんじゃなきゃありえねぇよ」「ランオブだ……!」「ていうか、ま〜や様って誰?」「知らん」「だ、誰か録音してた人いる!?」



 ざわめきに包まれれる教室。そこに猫神ま~やという単語は存在せず、ただ復帰したアーティストに関する話が躍っているだけ。当たり前だ。ま~や様の登録者150万は多いが、さすがに1000万の前では霞む(最大限のイキり)。 



「蓮也……」



 喧噪の中、長津田がこちらに歩み寄ってくる。俺と彼女、視線が交錯する。


 これは……あれか。



「長津田──」



 あれだろ。感極まってキスしてくんだろ? 俺知ってる。でもどうしよう。俺が好きなのはま~や様であって長津田ではないのに。でもまぁ、長津田もよく見れば可愛いというか、翡翠色の瞳とかきらめくブロンドヘアーとか魅力的で──



「──こんな公衆の面前で愛を叫ぶなし!!」

「きょえっ」



 心底恥ずかしそうに顔を赤くした長津田が、俺の襟首を掴んできた。


 こうして、朝の動乱はなんとも締まらない終わり方となった。首は締まったけど。笑えねぇ。






 放課後。空き教室。



「いや、やっぱ首絞めんのはナシじゃね?」



 保健室で貰ってきた氷嚢を首にあてた俺は、申し訳なさそうな顔をした長津田を責める。



「し、仕方ないでしょ! あんな──あんな恥ずかしいことされたら、女の子はみんな首絞めるに決まってんじゃん!」



 決まってないだろ……。


 とんでもない女の子論を語られてドン引きする俺。そんな俺をよそに、長津田は両腕を頬にあててもじもじと喋りだす。



「ほ、ほんとありえない。あぁいうのは……その、こうやって二人の時にさ……」

「うん? わかった。──ま~や様愛してる!!! 心の底から!!!」

「あっわわわっうるさいうるさいうるさい! 黙れ! バチャ豚!!」



 再び襟を掴まれかけるが、俺はそれをぬるりと回避。なんども絞められて踏まれていたら氷嚢がいくつあっても足りないからな。



「あ、淵野辺のことだけどな」

「……みうがどうかしたの」

「金輪際、秘密は洩らさないってさ。他の女子たちもそう言ってた」



 あの後、俺は淵野辺を筆頭とする女子たちに口封じをした。口封じはLanding Objectの知名度を使った強引なものだったが、まぁ、自業自得だろう。


 それより、淵野辺。アイツにはまだ何か違和感がある。彼女の言った「絵畜生」という言葉はネットスラングだ。配信界隈にそれなりに詳しくないと知らないはず。少なくとも普通のJKは知らないだろ……衛門でもない限り。


 すると長津田の一言が、俺の思考を中断した。



「……なんで、そこまでしてくれるの?」

「は?」

「アタシは……蓮也に酷いこといっぱいしてきたのに。なのに……」



 長津田は泣いていた。翡翠色の瞳からぽろぽろと涙が零れている。


 ……なんで泣くんだよ。全部解決したのに。女ってやつはわからんね。


 俺は彼女にハンカチ……がないのでティッシュを差し出しながら、当たり前の答えを口にした。



「そんなの、ま~や様が好きだからに決まってるだろ。……心の底から」



 聞かれるまでもない。俺はずっとそう言っていたし、その気持ちが揺らいだことは一度たりともない。


 長津田はその答えを聞いて固まった。お目目をパッチリ開いたままたっぷり十秒硬直して、それからぼんっ!と瞬間湯沸かし器もびっくりな速度で頬を染めた。



「その……アタシも」

「うん?」

「アタシもっ! 蓮也のこと好き! 大好き! 心の底から!」



 長津田は赤に染まった頬のまま、まっすぐ俺を見つめる。


 えっと。……うん。

 


「……ごめん、無理だわ」

「……は?」

「いやだって……俺たち、話し始めて1週間とかだし。そもそもお互いのこと知らないし」



 いきなり告白とか、陽キャさんこっわ……。


 確かに俺はランオブで、長津田がこの1年、その存在を心の支えとして配信活動を行っていたことは事実だ。でも、だからといって交流して1週間しか経っていない相手に告白するってどうなの? それとも俺の恋愛観が大和撫子すぎるだけ?



「え、ちょ、は? なんで? え、絶対OKするところでしょこれ」

「は?」

「え? た、だって、私のこと好きって言ってたじゃん!?」



 どうにもディスコミュニケーション。意思の疎通が図れていない。



「……あっ!」



 そこで俺は長津田のしている誤解に気が付いた。



「あのな……俺が好きなのはま~や様で、お前じゃないぞ」



 「猫神ま~や♡」の中身が長津田であることに疑いはないが、それは長津田=猫神ま~や♡ということではない。うん、どう説明すればいいかな。ガンダムに乗ってるのはアムロだけど、アムロはガンダムじゃないだろ? つまりはそういうことだよ。


 俺はわかりやすい例えを交えて、丁寧に説明してやった。


 長津田は口を半開きにした放心状態でこくこくうなずき、そして── 



「ほんとキモいんだけど! バチャ豚! 死んじゃえ!」



 い、痛っ。頸椎骨折はシャレにならんから! と俺は首を庇うが、いつまでたっても襟が絞められることはなかった。


 代わりに──ばすん!と、長津田は俺の手にお札を渡してきた。



「……え、なにこれ?」

「ジュース買って来いって言ってんの! キモオタ!」



 え、パシリに逆戻り? 


 断りたいが、頬を真っ赤にして涙目になっている長津田の頼みを断れるわけがない。あまりにも可哀そうすぎて。俺の説明不足で失恋させたみたいなもんだしな……。



「仕方ねぇな……」



 氷嚢を首にあてたまま、俺は空き教室を後にしようとする。すると、長津田に呼び止められた。



「その……蓮也」

「なんだよ」

「……ありがと」



 小さな声だったが、確かに聞こえた。


 それを聞いて、俺は。思わず何も言えなくなってしまった。


 ……。えっと。その。



「ち、違うだろ」

「え」

「そこは『ありがとにゃ~ん♡』だろ! プロ意識が足りねぇんだよ……!」



 そう言われた長津田は



「うっさい! 早く買って来い!」



 またもや顔を赤くしてそう叫ぶのだった。




 だいぶ歩いて、自販機の前。渡された1000円札を入れようとすると……



「諭吉さんじゃん……」



 どんだけテンパってたんだよあいつ。いや、気づかなかった俺も人のこと言えないけどさ。



 仕方がないので教室に戻ると、長津田は姿を消していた。カバンがないから家に帰ったらしい。


 人をパシっておいて帰るなよ……。一万円札、返すの面倒だな。他人から金を預かっている状況というのは、なんというか落ち着かない。


 だからといってどうしようもないので、俺は家に戻った。


 時刻は6時半。スマホを開くと、ちょうどま~や様が配信を開始したところだった。



「……長津田」



 配信画面を眺めながら、彼女の名前を呟く。薄暗い部屋の隅にある、ヒビの入ったアンプと根元から折れたコンデンサマイクがその音を拾うことはない。


 俺は一年前、長津田を救ったらしい。


 でもな。


 違うんだよ。お前だけが救われたわけじゃないんだ。


 俺もお前に救われたんだ。


 姉さんが心を病み、家を出て行ってからの1か月間。俺は死んだも同然の生活をしていた。腹が減ったら買ってきたジャンクフードで腹を満たす。眠くなったら寝る。誰とも会うことはない。一日中、暗い部屋でぼーっとスマホを眺めるだけの日々。


 そんな時、猫神ま~やを知った。大炎上し、四方八方から批判されながらも頑なに配信を続けるVtuber。


 炎上。きっと色々な人を傷つけたのに、それでも配信を続けられる精神に俺は惹かれた。それは俺ができなかったことだから。姉一人を傷つけたショックですべてを投げ捨ててしまった俺に、炎上しても活動を続ける彼女は輝いて見えた。だから俺はま~や様の信者になった。


 ……それはきっと、俺にないものを持つ彼女を崇拝し、過去の自分から逃げようとしていただけなのかもしれないが。


 それでも、ま〜や様のファンとして配信を追っていく内に……俺の心の傷は塞がり、まともな日常生活を送れるようになった。学校にも登校し、高校受験もして、そこそこの進学校にも合格した。きっと彼女が存在しなければ、俺は今も暗い部屋に閉じこもっていたかもしれない。


 しかし。どれだけまともな生活を送れるようになっても、俺はLanding Objectという存在から目を逸らし続けたままだった。


 あいつはそんな俺をまた救ってくれた。形はどうであれ、再びLanding Objectとして活動していくきっかけは長津田が与えてくれたのだから。


 俺たちは一年前、お互いを救いあっていた。そうして今日も同じことを繰り返した。


 だからきっと、俺も『ありがとう』と伝えるべきなのだ。さっきは気恥ずかしくて誤魔化してしまったけど。



「恥ずかしくてやってらんねぇな……くそ」



 ふと机の上を見ると、さっき受け取った1万円札が視界に入った。


 そこで俺はあることを思いつく。


 ……あ、これにするか。


 俺は配信画面を開き、文章を打ち込んだ。

 


『ま~や様の飼い犬

 ¥10000


 こちらこそありがとう』


 

 俺は投稿ボタンを押し、スマホの電源を落とす。そうして大きく伸びをすると、クローゼットに保管しておいたギターの修理を始めた。




淵野辺の正体に気付いたアナタは名探偵か神奈川県民。


最後まで読んでいただきありがとうございます!


↓にある☆☆☆☆☆☆から評価いただけると嬉しいです! 正直な評価で構いません。ブクマでもうれしいです。


連載版開始しました。↓

【連載版】オタクに厳しいギャルが大人気Vtuberであることに気づいた俺は、特定ギリギリの赤スパを投げて復讐することにした

https://ncode.syosetu.com/n2251hw/


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― 新着の感想 ―
普通に面白かったです。 お姉さんとの関係修復できると良いですね。
[一言] 鹿沼台さんにも特定赤スパが襲いかかるんですねわかります
[気になる点] 姉と淵野辺の関係が気になる
感想一覧
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