090 魔力の受け渡し、キス
「……本当だ。魔力が溜まっている」
寝室のベッドの上。ルーンがメーネの顔から手を離し、そう言った。
ソリスに蹴られた後、土下座しながら行った弁明。彼女はすぐにルーンを呼び、彼に検査をさせた。そして今その結果が出たという事らしかった。
俺は再びベッドに寝かされたが、今は体を起こして皆の様子を見ている。
「すごいね、リドゥ……よく見付けてくれたよ」
「ああ、練術を使って何とかな。で、これをどうすればいいんだ?」
ルーンが頭を下げようとするので俺は即座に静止する。礼なんていいんだ、とすらも言わない。仲間だから。仲間の大切なものをどうにかしたいと思うのは当然のことだから、礼はいらないし、そんな言葉すらいらないだろ?
俺の制止だけで伝えたいことは伝わったらしく、彼は薄く微笑んだ。
「出来ることは君の言ったように二つ。誰かに渡すことと、自分自身で制御できるようになること」
「でも、わたし魔法使えないよ」
「うん、僕もそう思ってた。だけど魔力の流れが滞ってるだけだとわかった今、それは間違いだったと言える。秘められた魔力の総量がお兄ちゃんにはわからないけど、メーネはきっと僕よりもすごい魔法使いになれるよ」
「お兄ちゃんよりも……?」
メーネが不安と期待の入り混じった目で兄を見上げると、彼は優しくその頭を撫でた。
その様子を見ていたソリスが顎に手を当てて訊ねる。
「現状魔力を受け入れるならルーンよね。もしかしてアタシが魔力を受け取れば、アタシも魔法を使えるのかしら?」
「まあ、使えると言えば使えると思うよ。だけどソリスは昔から魔力を使ってこなかったから、受け入れる器が育ってない状態みたいなものでね。そこにメーネの魔力を無理矢理詰め込むわけだから、きっと体に影響が出ると思うよ」
「そ。少し期待したけど残念だわ」
やれやれと言うようにソリスは首を振った。
「あと、やっぱり近親者の方が魔力の親和性は高いんだ。僕の魔法適正は母さんの血筋らしいし、遺伝によるところはかなり大きい。だから兄妹である僕たちの方が魔力の受け渡しはスムーズだし、簡単だ」
「そうなのか? もし他人同士ならどんな風に渡す必要があるんだ?」
「輸血くらい大掛かりなものになるね」
「……そんなレベルか」
ルーン曰く。
一時的に魔力を貸与するだけだったり、補充程度なら外部から手を触れる程度でも平気らしい。だが、今回はそんな簡単な規模ではない。
メーネが長年溜め続けてきた魔力。そして彼女自身の素質を丸ごと譲渡するようなものだという。そう言われてみると確かにとても大変なことを行うようだと、少し実感が湧いてくる。
それを簡単にするには血のつながりが一番手っ取り早いらしく、更にメーネとルーンにお互いに信頼関係があるという状態も大変都合がいいそうだ。
そしてその具体的な方法は?
「まあ…………キスだね」
「……キス?」
「うん、キス。だってメーネの魔力、口に溜まってるんだもん。そりゃ口から直接譲渡してもらうのがいいよね。人間の内側に触れるにあたって、最も簡単な場所でもあるわけだし」
妹とキスか……。17歳と10歳の兄妹。うーん……どうなんだろうか。
いやまあ、輸血よりはよっぽど安全だとは思うので、そっちを選択するのは間違いではないのだが。
「メーネの体から全部魔力が抜けてしまっても大丈夫なの?」
ソリスが訊ねる。キスのくだりを聞いてなかったのだろうか。
ごく平然と質問を投げかけている彼女に、俺は目を丸くしてしまう。
「大丈夫だよ。大体、全部譲渡なんて普通の人には出来ないからね。恐らく数分で必要な分はすぐに補充されるだろう。だからその間に、パンクしない内にメーネは魔力の操作を覚えよう」
そういうと、ルーンはメーネのベッドに腰かけた。
え、おい。今ここでキスするつもりか?! 友達のキスシーンを、しかも妹相手のやつなんてどんな顔してみればいいんだよ!
「さ、メーネ。少し恥ずかしいかもしれないけどキスしてくれ」
「うん」
メーネは別段恥ずかしそうにもせずサラリと頷く。ソリスもルーンも平然としており、俺だけが目を泳がせている。
少女の唇が兄の方へ近寄るのを察知し、俺は自身の目を手で覆い隠し、指の隙間からその様子を窺う。
「大袈裟よ、リドゥ」
「だって、キ、キスだぞ?」
「兄妹なんだから何十回としてるでしょ。……大体指の間から見てるし」
「いや、これは! うおおお待て待てルーン! おお……おお!?」
メーネが近寄ると、ルーンも顔を寄せる。気まずい、すごく気まずい。
しかしこう、なんというか。目が乾くほどその様子を見てしまう自分が何とも恥ずかしい。
徐々にお互いの顔が近付いていく。兄妹たちは顔色を全く変えず、平然と唇を寄せていく。
そして――そして!!
「ちゅ」
唇が触れる。
その直前。
ルーンがふいと横を向く。メーネは彼の頬に口づけをした。
頬。
頬だ!
頬じゃん!!
「頬よ。当たり前でしょ?」
「当たり前だったかも!!」
俺以外の三人はキスと聞いて頬にするものだと了解していたらしい。俺は一人騒いでいたのが恥ずかしくなり、一層大きな声で返事した。
ルーンの頬に唇を当てたまま、メーネは動かない。
練術を使用し気配を探ると、ルーンの体に物凄い魔力が満ちていくのを感じた。今までもルーンの体には強く魔力が流れていた。だが今はその比じゃない。
三倍ほどの力が彼の体に満ち満ちていく。
「よし、いいよ」
「ぷは」
ルーンが答えると、メーネは彼の頬から離れた。息を止めていたのか、彼女は可愛らしく空気を吐き出していた。
彼の様子からもわかるように、無事に魔力の譲渡が済んだらしい。
というか、口同士じゃないなら別に頬じゃなくても、手とかで良かったんじゃないのか。
「手でも悪くはないんだけど、一番は口同士だから、他人なら口同士の方がいいだろうね。出来るだけその形に近い方がいいんだ。魔力ってのは形式や儀式で特性を発揮するものだからさ、キスと言う儀式で僕へ素質を譲渡する行為、と捉えると少し意味が伝わるかな」
形式や儀式が大事らしいが、イマイチ俺にはピンと来ない話ではあった。だが、意味があったことは理解できた。
メーネを見ると、顔色が先程より断然良くなっている。
「うん、元気になったわね! 良かったわメーネ!」
「あは、お姉ちゃん苦しいよー!」
ソリスが妹を抱きしめた。ベッドの上で戯れる姉妹。ルーンがその様子を眺めながら告げる。
「これは一時的な手段に過ぎない。この機会だからソリスも魔力の器を磨いておこう。リドゥも……君は練術で充分広がっているかな。メーネ、今から言う修行を君はこれから続けるんだ」
そしてルーンが修行法を伝える。
それは練術を使用する時の感覚に近いもので、俺にはすんなりと理解できるものだった。練術と魔力の操作は近いものらしいが、発揮されるものがまるっきり違うようだ。
生憎俺は自身の魔力の操作を全くできない。それこそ譲渡してもらえば多少使えるようになるらしいが、ルーンとキスするのはごめんだし、輸血されるような作業も怖い。
しかし魔法は使えなくとも、器を広げるのは重要なようだった。もし仮に俺が膨大な魔力を背負う必要があった場合、俺は練術によって広がった器にそれを放り込めばいいらしい。ソリスにはその器がまだない為、彼女の体はパンクしてしまう可能性があるらしい。
必ず必要ではないが、あるに越したことはない技術。メーネには必須の修行を、俺たちは習った。
「魔力より筋力を鍛える方が性に合ってんのよね……」
ソリスがげんなりした顔で呟くので、俺は小さく笑いを溢した。
そういってこの修行を逃げ出していた様が目に浮かぶ。
「これで本当に全部終わったかな……」
三人が修行の要領を話している中、俺は枕に頭を落とし天井に向けて呟いた。
俺の体調もあるし、もう数日はこの街に滞在するだろう。この現在においてはたった三日程度しかこの街には滞在していないが、俺の感覚としては随分長くエスクにいた気がする。
長く、濃い時間を過ごしたこの街を離れる日は近いのだ。死霊術師たちは倒した。結晶もギクル連山に隠した。メーネの体調まで改善させる方法を見付けることが出来た。
エスクでやることを全て終えた今、本当にあの未来のソリスとルーンと別れるような気分になってきていた。
「……」
頭が重い。
俺は再び目を閉じた。




