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079 別れの覚悟


 ぞくり、と突然嫌な感覚が背中にへばりつく。

 目の前ではソリスが男たちを捕らえており、ルーンが何やら魔法を使いリーダー格の頭に手を当てていた。

 俺の後ろには棺の群れ。遺体が多数置かれており、さっき覗いた時もそれ以上の変わった様子はなかった。

 だが。


「女神の神託者かァ。ギャハハハハハハハ!!」


 それは悪意に満ちた声だった。

 耳障りで、恐ろしいほどに人間と掛け離れたものを感じさせる。


「使えねえ人間だが、魔石が破壊されたと聞いて見に来てみれば――」


 俺はゆっくりと振り返る。


「――こォんなガキにやられちまうとは、人間ってホント使えねえナァ」


 声を失う。

 明らかに異形の見た目。捻じ曲がった角、紫がかった肌。瞳は黄色く濁っており、その瞳孔は蛇のように縦に開いている。

 口元から覗かせる牙は明らかに肉食獣のものと同じで、二メートルはあろうかという身長は、圧倒的な威圧感を放っていた。

 悪魔だ。俺たちが想像する神話上の存在。直感的にそう思った。


「まァ~尻ぬぐいも俺の仕事の一つだしナァ~? おーいガキども」


 悪魔が俺たちへ手を伸ばす。にこやかな笑みを浮かべているが、そこにはどす黒い感情が渦巻いていた。

 声を掛けられて、二人は初めてそいつを見た。


「フレア!」

「炎装! らあああああああああ!!」


 ソリスとルーンは既に動いていた。炎を纏った剣で悪魔に斬りかかる。

 俺はメーネの遺体を抱きよせ、ゆっくりと立ち上がる。


「悪ィが、遊びに来たわけじゃないんでナァ!」


 悪魔は欠伸をしていた。

 そして頭を掻きながら、反対の手でソリスの攻撃を受け止めた。

 ヤバイ、と直感した俺は練術を使用して最高速度で逃げる。


「ファイア」

「――ッ!?」


 悪魔が呟いた。

 直後俺の背中から爆風が押し寄せる。なんとか扉の外に出ていた俺は、その勢いのまま広間に放り出された。

 背中が焼け爛れているのか、痛みで意識を保てない。

 既に扉の中にいた二人の生命を感じることが出来ず、何が起きたのか理解できない。

 俺は薄れる意識の中、画面を表示させる。


「ん? お前――」


 悪魔が俺を見つけると、次の瞬間には傍に立っている。奴は何者かの首を掴んでいる。焼け焦げてその体はもう何者かわからないが、真っ赤な髪がハラリと落ち――!

 俺は一心不乱に画面に触れる。


「お前、まさか女神の転生者か――」


 悪魔が呟くと俺の指を踏み潰す。

 痛みに悲鳴をあげるが、俺はギリギリ間に合っている。

 光が溢れる。




「今すぐ逃げろおおおおお!!」


 俺は魔の導きの制圧を終えた部屋に向かって叫ぶ。


「未来から戻って来たのか!」


 ルーンが俺を見て言った。俺は頷くと、メーネを抱えたまま部屋の外へ走る。

 直ぐに広間へ出て、地下通路を抜ける。小屋の外までやって来ると、森の奥で禍々しい魔力が渦巻き始めていた。

 俺はメーネの遺体をそっと木に腰かけるように座らせる。


「何かが現れた! リドゥ、あれは何だ!」

「わからない。だけど人間じゃなかった。……何より、ソリスとルーンが一撃で殺された!!」

「……!」


 俺の言葉に、ソリスが何かビリビリとしたものを放った気がした。

 怒りか、恐怖か、はたまた全く別の感情か。彼女の感情が揺れた波だけが伝わり、その表情を見ることが出来ない。


「リドゥ、この未来も多分失敗よ」

「……うん、そうだね。あんな奴が現れた時点で、僕らの負けだ」


 二人が俺に言った。


「いいかい、リドゥ。今から僕たちは死ぬ気で特攻をかける。ソリスが数秒時間を稼ぐ。その間に僕が奴の正体を分析する。君はその情報を持って過去をやり直せ」


 ルーンが俺の肩を掴んで告げる。その瞳の奥に覚悟が宿り、一切の有無を言わせない気迫を感じさせた。


「嫌だ! 俺はそんな力の使い方をしたくない! 前に言っただろ! 例え敵を倒す為に二人を犠牲にしなきゃならない時が来たって、俺は二人を傷付けたくないって!!」

「……リドゥ」


 俺はルーンの手を離さない。

 その様子に、ソリスも俺の肩に手を置いた。


「ダメよ、諦めなさい。アタシが一撃で殺された相手でしょ。今のアタシたちでは勝てない。アンタはとにかく、アタシたちが助かる未来を探しなさい。……それがアタシたちを傷付けないことに繋がるわ」

「違う! それはやり直した後の二人だ! 今、この瞬間を生きている二人にはもう会えないんだ!! 頼むからやめてくれよ!」

「ダメよ」

「ソリス――!」


 実に合理的だ。この未来を諦め、二人を見捨てて、望む未来の為に徹底して利用する。それが最も合理的だと。

 頭では分かっている。だけど心がそれを認められない。

 それはとても悲しいことで、二人が望む未来の為にメーネすら傷付けることを厭わなくなった姿を思い出させる。だが、それ以外手がない程絶望的な状況だということも、わかっている。

 駄々をこねる子供のように、俺は二人に向かって嫌だと叫ぶことしか出来ない。

 唐突に、ソリスが俺を抱きしめた。


「アンタが今のアタシたちを大事に思ってくれるなら、アタシたちの想いを持っていきなさい」

「そうだね。ここでお別れなんだ。せめてお礼くらい言わないとね」


 あやすようにルーンが俺の頭を撫でた。

 そして二人が俺の目を見て告げる。


「アタシがメーネを傷付けるような結末にしないでくれてありがとう。ずっと冷静じゃなかったアタシたちを止めようとしてくれて、ありがとう。アタシがメーネを諦めて、家族愛を捨てるようなことをしないように、アタシを止めてくれて、ありがとう」


 ソリスが一言ずつ噛みしめるように言った。


「僕も。自棄になっていた僕から、全力でメーネを守ってくれて、ありがとう。僕たちは見たよ、リドゥの力でメーネがただの操り人形じゃなくなっていたところを、僕たちは……見た、よ」


 ルーンの声は震えていた。


「アンタの選択は正しかったわ、リドゥ。アタシたちの心を救ってくれてありがとう」

「やり直した先でもまだまだ面倒を掛けるかもしれないけど、これからもよろしくね」


 気付けば俺は大粒の涙を流していた。二人の別れの言葉に、俺は返事が出来ない。

 禍々しい魔力は俺たちを探し、もう少しでこちらに気付くかもしれない。事態が俺たちの未来を許さない。

 この別れは必然で、逃れられないものだと、とうとう俺の心も認めざるを得なくなってくる。


「う゛ん゛!」


 涙ながらに頷くと、また二人が俺を抱きしめてくれた。


「さ、行くわよルーン」

「ああ……。絶対にリドゥを生かすぞ……」


 二人が剣と杖を構える。

 俺は涙を拭いて二人の背後に立った。


「今から何回もやり直すことになる。ルーンの情報を過去のルーンに伝えて、情報を集めていくの。出来るわね」

「わかった」

「アタシはきっと何回もアンタの目の前で死ぬことになる。だけど心を痛めないで。折れちゃダメよ」

「……わかった」


 ソリスが俺に背を向けたまま告げた。

 そのまま数十秒が過ぎる。

 ぞくり、と俺たちに悪寒が走る。見つかった。


「見付けたぞォ、テメェらが結晶を破壊しやがったんだナァ!」


 悪魔が再び現れた。


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