068 魔女
次の日、俺たちは西区へ向かう。
状況を確認し、俺が昨日見た物に対する二人の見解を聞く。
「認識阻害の魔法って、大きく分けて二つの効果を与えるんだ。一つ目は見た物を見たと思わせない。二つ目は見た物についての認識を変える」
一つ目は言わずもがな。二つ目の効果についてもう少し深く聞いてみた。
「例えばこの惨状を見たとして、それについて特におかしなことではない、と思わせることが認識を変えること。更にそういう場合、現状が普段と変わらないという印象だけじゃなく、現状はいつもより安全だ、と思う場合が多い」
「おかしいわよね。普段より安全なんて思う機会なんて滅多にないのに、住人はその思い込みすら疑わない」
「自己の認識に対しての違和感すら抱かせないから、認識阻害の魔法は強力だ」
なるほど、と頷く一方で俺は昨日の光景に納得がいかない部分がある。
それは現場にいた老人が、俺に話しかけられた時だけ正常な反応を見せていたことだ。
認識阻害がそれほど強力なら、誰かに話しかけれられたとしてもその認識が元に戻るとは考えづらい。
「うん。だけど意外とおかしなことじゃないんだ。さっき言ったことは特定の個人に対して魔法をかけた時に起きる効果だ。でも今回はそうじゃない。現場を見たという不特定多数のエスクの住人が対象になる。個人に行うより広範囲に、条件を緩くして発動しやすくなってる。しかしその分穴が多い」
穴が多い、と言うのは今俺たちが認識阻害を受けていないこともその穴に含まれるらしい。
どういうわけか俺たちには一次接触時に掛けられる強力な魔法が効いていない。
「初めに深くかからなければ緩やかに侵食してくる魔法に対抗できる。僕が結界で、リドゥが練術で、ソリスが女神の加護でやっているそれだよ」
「え、対抗してたのか俺」
「加護なんて別に要らないのに」
無意識だった。
ソリスは何故か不機嫌そうにしている。
「練術によって対抗しているリドゥが声を掛けたこと、老人が戦火のど真ん中で強烈な記憶を焼き付けられていたこと、色々な要素が重なって、ほんの少しだけ意識を取り戻したんだと思う」
「そうか、なるほど」
俺の昨日見た老人に対する疑問は解消した。
「魔女が現れたと言ってたのよね」
「ああ、うん。二週間前に現れて破壊したって」
「魔女って存在がそもそもよくわかんないのよね……」
ソリスが顎に手をあてて首をひねる。
魔女。魔法使いの女、くらいの認識しか俺はしてないわけだが、そこに特に違和感はない。
「魔法使いがこの街を襲う理由がわかんないのよ。金目当てじゃないのは現場を見ればわかるし、強力な魔法を試したいならここじゃなくて近くの魔物で十分なはずよ」
「僕は何かの実験だという線はあながち間違ってはいないと思うよ。魔法を使う人間って往々にして実験をしたがるものだと思うんだよね」
僕もそうだし、と彼は付け加える。
「そこに悪意が乗れば人を襲う。だからきっと魔女が人を襲うことに『それ程深い理由はないんじゃないかな』」
「……そうかしらね」
ソリスは納得していなさそうだった。
その様子を見たルーンは眉を曲げて微笑んだ。
「何かがおかしい、と言う違和感を僕たちが抱かなくなったらいよいよ終わりだ。だからほんの少しでも何かを感じたらお互いに話すようにしよう」
「そうね」
少しでも違和感を抱いたら、か。
俺は少し考える。今も何か違和感があるように思う。何に対してか……街の様子じゃない。魔女に対して。
そうだ、魔女の話だ。ルーンの話になにか違和感が。
「なあ、ルーン。今、違和感があ――」
と、言いかけた時。
向こうの方で大きな物音が鳴った。
「ッ!」
突如、爆風が俺たちを襲う。
耐えられないほどではないが、俺たちは腕で顔を庇う。砂が目に入らないように細く目を開くと、向こうの方で爆炎が上がっていた。
「ソリス」
「ええ! 行くわよ二人とも!」
ソリスが飛び出していく。頷いた俺たちもその後を追う。
瓦礫を跳び越え、足場を見極めながら走る。
「『周りに人がいなくて良かったわ。』これなら避難の指示とか面倒なことをしなくて済む」
「そうだね。『死傷者もどこにもいない』みたいだ」
ソリスが周りの様子を見ながら言った。
それに同調してルーンが頷く。
「うお?!」
と、突然俺は何か柔らかいものを踏みつけたらしくバランスを崩して転倒する。
それに気付いた二人が少し前で立ち止まった。
「気を付けなさい、リドゥ。何かわからないけど、ここの足場、何故かとても柔らかい時があるわ」
「そ、そうなんだ。気付いていたなら先に言って欲しかった……」
「はは、『こういう事はよくあるからね。』気を付けていこう、リドゥ」
「……ルーン?」
まただ。何か違和感がある。
ソリスは違和感に気付いていない様子だ。ルーンの言葉に、所々に、なにかおかしなことが隠れている気がする。
違和感に気付いたらすぐに言うこと。ルーン自身が言っていたので、俺は口を開きかけたが、二人が先に走り始めてしまった。
ダメだ、さっきから言いたいことがあるはずなのに状況がそれを許してくれない。何の違和感だったのか、俺自身もすぐ忘れそうになっている気がする。
「ルーン、ソリス! 何かおかしい! 俺たち、きっと何かに気付いていない!」
二人が立ち止まる。俺が叫びながら追いつくと、ソリスがこちらを振り返った。
「……ええ、そうみたいねリドゥ。アタシたちは重大な勘違いをしていた」
その言葉に、ルーンが膝から崩れ落ちた。ソリスも顔色を悪くしながら額に手を当てている。
爆発の中心に人がいる。燃え上がった炎が影を作り、その表情は見えない。
「あれが、魔女……?」
明らかに魔法を使っている様子であるにも関わらず、俺には確信が持てない。
魔法使いではある。だが女かどうかが一瞬分からなかった。
「ルーン、ソリス、あれがそうなのか? だってあれは、まだ子供じゃないか……」
性別が判断できない理由。
マントのようなローブ。ただしその中の服装はこの街の一般市民と同じような格好で、体系から性別くらい判断できそうなものだった。しかし深めに被ったフードと影によって顔が見えないこともあるが、その体系が男なのか女なのか判断がつかない。
理由は明白。10歳程度に見える子供。
「いや、でも魔女だというなら女なんだろうな。早く止めないと……」
「リドゥ!」
「うわ!!?」
俺が剣を抜こうとした瞬間、座り込んでいたルーンが俺の手へと飛び掛かる。
「な、なんだよルーン! 戦わないと始まらないだろ! ソリスもなんか言ってやって――ぅ!?」
ルーンが掴む俺の右手。離させようと左手で彼の肩に手を置こうとして気付いた。
ソリスが俺の左手を掴んでいる。
「ふ、二人ともどうしたんだ。だって今目の前で街を破壊してて」
「――……ちがうんだよ、リドゥ」
「え、え?」
「ちがうんだよ!!」
ルーンが俺の目を見て叫んだ。
その目の奥にいつもの冷静さはない。必死さが滲み出ていて、なにかを我慢しているようにも見えた。
彼は右手を抑える手に力を込めた。絶対に剣を抜かせないとでも言うのか。
ソリスを見ると、彼女も同じような目で俺を睨みつけ、左手を握っていた。
「な、なにが……二人とも……」
まさか、と俺はごくりと唾を飲む。
認識阻害。
その魔法があの魔女の近くに寄ったことで作用し、俺たちの中での何かに影響したのか。
そしてその結果、二人は今俺を攻撃しようとしている……? それに抵抗しようとしてこの表情に……?
「……っ」
ルーンにならともかく、ソリスには力で敵わない。だけど二人が抵抗している今の内に、俺は体勢を整え直さなければならないんじゃないか。
そんな風に俺が考えを巡らせていると、ソリスが口を開いた。
「――なのよ」
爆音が広がり、彼女の掠れてしまった声ではよく聞こえない。
俺が拘束から抜け出そうと少し力を込めると、彼女は決して離さないようにぐいと俺の手を引っ張った。
バランスを崩し、眼前に彼女の顔が迫る。そして気付いた。
睨んでいたんじゃない、涙を堪えていた。
「あの子は、アタシたちの妹なのよ!!」
ソリスが叫ぶと、辺りが一瞬静かになった気がした。




