067 傷付いた心
「ごめん、リドゥ。気を遣わせたね」
「いや……」
南区へ戻ると、いくらか平静を取り戻したように見える二人が深い穴を埋めていた。
『黒い人形の何かたちに』、土を被せられていく。それが何であるか分かっているが、俺は直視することは出来なかった。
ルーンは俺が気を遣って外へ出たと思っているが、気を遣ってなんていない。俺は今、自分に湧いた義務感を優先しただけだ。二人の気持ちに寄り添うこともせず、ただ情報を集める方へと行動を移しただけに過ぎない。
俺は二人の作業を手伝いながら、西区で見てきたことを共有した。
「ルーン、この街で何が起きてると思う」
俺が訊ねると、彼は生気の失せた暗い目を少し伏せた。
「魔女と言う存在が、きっと認識阻害をしてるんだと思う。南区を全滅させ、西区も半分以上崩壊させたうえ、更にエスク全体に認識阻害まで掛けているんだ。もし一人でやっているなら恐ろしいまでの魔力と魔法適性だよ」
僕なんか敵わない程ずっと。と彼は付け加えた。
ルーンは震える手でスコップを振る。ドサリ、ドサリと鳴る土が、俺たちの心まで重く埋めているように感じた。
彼の魔法の才能は、魔法に詳しくない俺でもわかるほどかなり突出している。フレアやライトニングなどの呪文を、敵対する魔の導きの連中が長い詠唱をしていたことを覚えている。それを彼は一切の詠唱なく、魔法名だけで高威力を発揮させる。
そんな彼が敵わないと言うのだ。その強さは俺の想像を遥かに超えているのかもしれない。
「ここの様子から察するに、その魔女はまだこの街にいる。僕たちが認識阻害にやられないうちに、早くそいつを倒さないと」
「そうだな……きっとまた西区が襲われると思う。破壊の痕跡があっちは比較的マシだったけど、何度も襲撃したのか、崩壊具合にバラつきがあった。そしてその波はまだ止まっていない」
俺は西区の様子から想像したことを語る。俺の勘なんてどれ程当たるか知らないけれど、ルーンも納得したようだった。
……俺は未だ黙々と土を掛け続けるソリスに目をやる。
「ソリス……」
彼女はルーンと同様に憔悴しきった様子だったが、目線が落ち着かず、彼よりも更に何か気がかりがあるように見えた、
その様子を見たルーンも伝播したように落ち着きが無くなる。
「二人とも……」
今まで見たこともないような悲痛な表情に、俺は胸の奥が握られるような感覚になる。
ソリスがルーンに目をやる。それに気付いたルーンが目を逸らす。しばらくそんな風にしてよそよそしい雰囲気で時間が過ぎたが、やがてソリスが小さく口を開く。
「ねえ、メーネは」
緊張によってか、黙り続けていたからか、掠れ切った声で彼女は言った。
メーネ。俺にはわからない単語。
「メーネの遺体はなかった……君も探したんだろ」
「……うん」
遺体、というからには誰かの名前であることは察せられた。
二人にとってその関係は知り合いなのか、知人なのか、或いは……。
「メーネは僕の妹なんだ。歳が離れてる分、すごく可愛くてね」
俺の様子から察したらしいルーンが告げた。妹のことを思っているらしく、苦しそうに微笑んだ。
兄弟同然に育てられたというソリスにとっても同じらしく、彼女もルーンと同じ表情を浮かべていた。
そのメーネの姿が今は見えない。ルーンもソリスも必死に探したことは窺える。だが、その姿はどこにもない。
幸か不幸か、遺体は見つからず行方不明。生存確率が少し上がったように感じる一方、やはりその行方に二人は不安を募らせる。
「生存者は南区にいないのかな……」
誰に訊ねる訳でもないルーンの言葉。雫が滴り落ちるように、ポツリと言葉だけが地面に吸い込まれた。
……俺はこの言葉に答えることが出来なかった。知らないからじゃない。俺は俺の能力によって既に生存者がいないことは確認していた。
この惨状を見た瞬間から、練術によって人の気配を探るのは当然だろう。故に俺は何も言わない。何も言えない。
「……そうか」
俺の方をチラと見たルーンが消えるような声で呟いた。
長身の魔法使いの少年は、俺の反応だけで全てを察したようだ。薄々わかっていた事実。だがありもしない希望に彼は縋り付きたかったに違いない。
今俺が何も言えなかっただけで、その空虚な希望は完全に潰えてしまっていた。
ただただ申し訳なくなり、俺も顔を伏せた。
「……こんなものかしらね。お父さんとお母さんも、皆これで少しはゆっくり眠れると思うわ」
掠れた声でソリスが言った。
深く開いていた穴は、今完全に埋まっていた。
宿に付くまで、俺たちは一言も交わすことがなかった。部屋には大きなベッドが二つ。間に合わせの為にどこかの部屋から持ってきたであろうソファベッドが一つ。
いつもなら誰がどのベッドを使うか、ソファベッドの貧乏くじを誰が引くかで仲良く言い争ったりするけれど、今の俺たちにはそんなことをする余裕はなかった。
交代でシャワーを浴びる。ソリスの寝間着姿にほんの少しだけ癒されつつ、俺たちはベッドに手を掛けた。大きなベッドを押し、ガンっという音と共に二つを繋げる。
誰が何を言うでもなかったけど、俺たちはその選択をした。
「……」
悲しかった。寂しかった。心細かった。胸の奥が締め付けられる感覚は未だ衰える様子はなくて。きっと二人も同じだった。
三人の中でも比較的冷静で、ほんの少しだけ余裕のある俺が二つのベッドの真ん中、その繋ぎ目の上に寝転んだ。
俺の両脇に二人が寝転ぶ。
「ん」
ポン、と俺の腹の上に何かが置かれる。
触れてみると、柔らかな手。
俺は黙ってその手を握ると、反対の奴の手を掴み、同じように俺の腹の上に置かせる。
三人の手が重ねられ、ぎゅっと握られる。震えるその手を俺は空いた手で撫でてやると、両脇から静かな嗚咽が聞こえた。
いつもは俺のことを引っ張っていく、頼りになる手が、震えている。いつもは俺のことを助けてくれるその声が、震えて揺れて零れそうになる。
俺は我慢が出来なくなり体を起こすと、二人の方に向き直り、その肩を抱き寄せた。
「リ、ドゥ……」
どちらかが俺の名を呼んだ。
我慢しなくていい。悲しい時は思い切り泣けばいいんだ。二人の辛さを受け止められるのは、今はきっと俺しかいないから。
そう呟くと、二人が俺に抱き着いた。
俺たちの心は何よりも暗く、黒く、冷たくなっていた。だけど、三人で寄り添う合うと温かかった。
部屋の中に溶けるように、俺たちの心が少しずつ解れていく。少しずつ、少しずつ、大きな悲しみによって苦しい感情が、ほんの少しずつ溶けていく。
この日二人が初めて俺に弱さを見せた気がした。初めて他人に甘えているところを見た。
俺は今、二人の本当の仲間になった気がした。




