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043 捻じ曲がった過去、芽生え始めた感情


 あの後、アスラは体力を使い切ってしまったのか深い眠りについてしまった。ギルドには俺たちから報告を行い、彼の意志ではなかったこと、今はその原因を取り除いたことを伝えた。

 この街のギルド長と呼ばれる男性は難しい表情をしていたが、やがて頷き、彼を悪いようにはしないと言ってくれた。アスラが目を覚ましてから詳しい話をするそうなので、俺たちは一度この件からは離れることとなった。


「アスラが目を覚ましたら話を聞きに行くわよ。アイツが会った男の情報を聞き出さないと」

「もう、ソリスってば。僕らは一旦この件から離れるように言われたろ。それにリドゥのランクがまた上がるんだから、その試験もしないと」

「……アタシは今、不服よ!!」

「言わなくてもわかるってば」


 二人のやり取りに苦笑しながら、俺は机上の紙を拾い上げる。今回アスラを捕える際にソリスとルーンはもちろん、俺もかなり貢献したとして、またも異例の昇格試験が行われることとなった。

 試験の要項を眺めていると、ソリスが向かいの席からそれを取り上げた。


「なにこれ。対戦形式とは珍しいわね。なになに……昇格候補者が複数いた場合のみ執り行われる特別トーナメントで、上位二名のみがランク昇格となります。へぇ、面白そう」

「ソリスが出たら間違いなく一位になるだろうね。……なるほど、16人も一度に集まるなんて珍しいね。そりゃそんな人数に丁度良く依頼なんてないか」


 昇格試験は一般的に昇格ランクに相当する依頼を達成するか、ギルド長との対面試験となる場合が多い。実際俺がランク3に昇格する時はスモールドラゴンを討伐したし、ランク4でもそういう依頼があるはずだ。だが一度に16人。

 ギルド長はアスラの件で掛かりきりだし、依頼もそんな数用意出来ない。なので候補者同士をぶつけて強いものを昇格することにした、ということか。


「道具、武器、魔法等使用に制限はないみたいだね。リドゥは練術があるし、今回は余裕かもね。むしろ相手に大怪我を負わせないように気をつけないとね」

「あはは……そんなに余裕かな」

「自信を持ちなさい、リドゥ! アンタはちゃんと強い! そうでしょ?」


 ルーンとソリスが太鼓判を押してくれる。この二人にそう言ってもらえるのは大変光栄で、心強い。

 俺は微笑み、立ち上がると受付の元へ行く。記入済みの参加書を持っていくと、そこには先客がいた。


「ちょっとごめんなさい。これ、お願いします」


 彼の隣に立ち、受付に俺の書類の提出だけを行う。先客だった彼はこちらを睨みつける。そんなに怒るようなことか? …………って、こいつは。


「てめぇ……リドゥールか?」

「なんでお前がここにいる!!?」


 明らかに冒険者の格好をしていて一瞬気付かなかった。

 背中には大きなハンマーを背負っており、俺の知っている姿よりも幾分か引き締まった体つきになっている。

 だが間違いない。こいつは、この男は――


「ブリー……!!」

「よお、久しぶりじゃねえか。お前もあの村捨てて冒険者か? そういやブレイブも勇者だか何だかに選ばれて旅に出たらしいなァ~。もしかして俺も含めて、あの村は英雄の輩出するすげー村だったのかもなぁ! アッハッハ! んなわけねえか!!」


 俺の頭の中が混乱一色になる。何故こいつがここにいる。この男は30過ぎても村にいたはずだ。間違いなく、俺と同じで――。

 ブリー。俺の幼馴染でひ弱だった頃の俺を散々いたぶってくれた男。最初の体の時に俺を崖から落としたのもこいつ。

 この顔を見るだけで胸の奥の方がギリリと捻り上げられるような感覚になる。呼吸が浅くなる。吐き気もする。俺は気付いていなかったが、こいつにはかなりのトラウマを植え付けられていたらしい。


「んで? お前みてえなカスが、なんでこんな所にいんだよ。おい、よぉ弱虫リドゥールよぉ」

「お、お前こそ……なんでここに」

「あぁ!? お前が知らねぇ訳ねえだろうがよ!! あの日俺が村を出るのを見ていたのは、お前だけだっただろうがよォ!!」


 言われて気付く。思い出が書き変わっている。今までブリーのことなんて思い出すことなんてなかったから気付かなかった。

 改めてこいつの記憶を思い起こす。

 ブリー。幼い時から体が大きく、その自信から横暴な態度を取るようになる。ひ弱ではないはずの俺も彼に逆らうことはなく、されるがままにされていた。しかし、その態度も彼の両親が病によって亡くなるまでの間だけだった。

 両親が亡くなった彼は村に居場所を失くしたと思い込み、逃げるように村を出た。12歳で……。


「その姿を、この世界の俺は見送ったというのか……」

「思い出したかよぉ?」

「これは……いつのバタフライエフェクトだ……」

「あ?」


 奴に聞こえない程度の声で呟く。

 ブリーが冒険者になった世界に変わっている。しかしいつからだ。この体になった時か、練術を習得して戻った時か。

 この事象はかなり俺を不安にさせる。俺の手の及ばない範囲で世界が変わっているからだ。だからと言ってこの体を手に入れる前からなんてやり直せない。ソリスとルーンに出会ったことが無くなるのは絶対に嫌だし、練術でステラを救ったことも無かったことに出来ない。

 今のところブリーが冒険者になったことくらいしか変化はない。このままこの世界で良いのか、はたまた何かを変えるべきなのか。

 ブリーがしばらくこちらを睨み、俺のネックレスに気付く。何かを察したように俺の提出した書類を覗き見ると、こちらに顔を近付けてくる。……なんなんだ。なぜ心臓が凍りそうなほど恐ろしく感じるんだ!!


「てめぇも昇格トーナメントに出んのかよぉ? おい、リドゥールよぉ!」

「……そうだ。それがどうした」

「おいおいおいおい! このブリー様と同じタイミングで昇格しちまうとは運の悪い奴だなぁ! お前は俺がギッタギタにしてやらぁ!」


 ってことは。こいつもトーナメントに出場するってことか……。

 俺がしばらくブリーと睨み合っていると、後ろから誰かが肩を叩いた。


「何コイツ。リドゥ、どうしたのよ」

「ソリス……」

「あぁ!? リドゥール、てめぇの女か?」


 後ろから来ていたのはソリスだった。ルーンは来ていない。向こうの方でのんびりとコーヒーを飲んで目を細めている。

 ブリーはソリスに気付くと厭らしい笑みを浮かべて彼女の方へと行く。


「おぉい! かなりの上玉じゃねえかよ! おい姉ちゃん、こんなクズ放って俺と一緒に楽しまねえか!?」

「……口が臭いわね。服装も不潔。それに手入れされてない武器。濁った眼。アンタみたいなクズがよくリドゥをそんな風に呼べたわね」


 彼女の瞳が冷たく鋭くなっている。ブリーへの恐怖心に凍っていた心臓なんか完全に忘れて、俺は彼女の視線だけで飛び上がるほど震える。

 ちらと彼女がこちらを見る。冷たい目だが、呆れ顔で殴っていいかとジェスチャーを送る。

 俺がどうしようかと悩んでいると、ブリーがその手をソリスの方へ動かしていく。


「おいリドゥールなんか見てんじゃねえよ。こっち見ろってば――」


 ブリーがソリスの頬に触れ、その顔を向き直させようとした。その瞬間。

 ブチリ。

 と大きな音がした。


「――テメェみてえな薄汚え奴がソリスに触ってんじゃねぇ!!!」

「わお」


 ブリーが大広間の机をなぎ倒しながら吹っ飛んでいく。

 次の瞬間我に返った俺は、自身の振り抜いた拳に気付く。練術も使っている。

 隣ではソリスが小さく歓声を上げ、指先で拍手している。


「あ、お、俺……」

「リドゥー……ル。てめぇ、覚えてろよ……!」


 フラフラと立ち上がると、ブリーはそう告げてギルドを立ち去っていった。

 ああ、なんだろう。今胸の奥がスッとした気がする。長年背負っていた重い荷物を、今初めて下ろしたような気分だ。


「やるわね、リドゥ」


 声につられてそちらを見ると、ソリスがニヤニヤと笑っている。


「アタシが殴ろうと思った瞬間に、ぶっ飛んでいったのは見てて気持ちよかったわ! アタシより早くに殴るなんて、良い反射神経よ!」


 彼女が殴ったわけでもないだろうに、腰に手を当ててドヤ顔でそう評してくれる。

 一瞬自分でも何をしたのかはわからなかった。今までのどの時よりも無意識に早く、速く殴りつけた気がする。特に練術の発動速度が今までの比ではなかった。

 俺は元来誰かと争うのを好む性格ではなかったはずだ。この体になって、冒険者として数々戦う内に好戦的な気質が出てきているのは何となく自覚していた。だが、ここまでの攻撃意思を持つとは……。


「多分ムカついたんだな。ソリスの綺麗な顔にあんな奴の手が触れたから」

「なっ……。アンタ最近どうしたの、そんな変なことばっかり言って」

「あはは、何言ってんだろうな」


 俺は清々しい気持ちの中、普段なら出来ない態度を取っていた。

 気が大きくなっている。ソリスに対して憧れや尊敬を抱く気持ちが少し小さくなり、彼女を一人の女の子として見ている。

 最近薄く自覚し始めた感覚が込み上げる。


「…………アタシの為に怒るアンタの顔も、まあ、カッコよかったわよ」


 彼女がポツリと呟いた。

 俺はその言葉の意味を理解する前に、頭がショートしてしまった。




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