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042 魔炎の痕跡


 俺が首を傾げていると、二人に連れられて尋問室を出る。


「女神の神託者(しんたくしゃ)はその名の通りよ。神の声を聞き、その|命≪めい≫を授かった者の総称。アタシ以外にいることは知っていたけど、神託者に会ったのは今回が初めてだわ」


 ソリスのような人物は神託者と呼ばれる存在らしい。彼女が女神の声を聞いたのは知っている。アスラが聞いたというのも、その実力からして間違いないだろう。

 神託者か……そのような人々はどれだけいるのだろうか。


「それで、ルーンはどうしたんだ?」

「|魔炎≪まえん≫というものを君たちは知らないよね」


 俺とソリスは頷く。


「魔炎。ネメアのような概念的魔性の魔物や、高濃度の魔力を持つ存在から、その力だけを取り出した能力……と言えばわかりやすいかな。正確には少し違うけど。ほら、リドゥは覚えてないかい? ネメアが僕の魔法を片手で打ち消していたのを」

「……言われてみればそんなことしていたかもしれない」


 あの時は必死だった為詳細は思い出せない。ただ俺が一手投じたタイミング、ネメアの右手を封じた際には左手に向かってルーンが魔法を放っていたのは覚えている。

 そうだ。確かにネメアは魔法を打ち消していた。


「つまり、あのクラスの魔物が使う魔力の総称のようなものだよ。人に触れれば災いとなり、その存在はただ呪いと化す。一説によると魔王が使う力だとも言われている」

「魔炎……それをアスラは受け取ってしまい、それで破壊衝動に身を焼かれることになったのか……」

「そうみたいね。ただし、彼は神託者だった」


 ソリスが続ける。


「女神の声を聞いた者は人間の中から一つ能力が秀でた者。それはきっと武術や剣術以外においてもそうで、それこそ信仰心を集めることの出来る教会のトップはもっと違う能力を認められて神託者になっている。だけど、アタシたち神託者に共通する能力が一つだけあるのよ」


 彼女はその細い指を一つ、俺の目の前に立てる。傷一つないきめ細かな肌。綺麗な形の爪。俺は話を忘れかける程じっと見てしまう。

 慌てて首を振って続きを促す。


「その能力って?」

「魔物の魔力に対して著しい抵抗力を持つこと、よ。まあそんなの、その辺りにいる物相手に発揮しているかどうかなんて判断つかないし、それこそネメアに体を引き裂かれでもしないとわかんないわよね」


 彼女はそう告げると顔の横で両手を開いた。わからない、といったポーズだ。

 あくまで例え話としてソリスは言っているが、俺の脳裏には彼女が死にかけた光景がフラッシュバックする。

 ソリスは俺を庇った。ネメアの呪いによって永遠の痛みに苦しんでいたはずなのに、それでも俺に気を遣い続けた。……今回の戦いでもそうだった。俺のせいでソリスは二度命を落としていることに、俺はどうしようもない苦しさを覚える。


「リ、リドゥ? きゅ、急にどうしたの」

「へ? あ、ご、ごめんなさい!!」


 気付けば俺はソリスの手を取って握っていた。温かく、柔らかなその手に俺は涙が出そうなほど胸が締め付けられる。

 いつもの調子で行けば怒られて殴られそうなものだが、彼女は顔を赤くして慌てるばかりで手は飛んでこない。……ルーンのにやけ顔だけは例外ではなかったようだが。


「ネ、ネメアにもしやられていたらソリスはどんな風に抵抗力を発揮するんだ?」


 話を戻す。


「まあ……痛みの度合いはかなり薄くなってるでしょうね。呪いの影響を受けながらも、もう少しだけ意識を強く保てたりはするかも」

「なるほど……」


 確かにそうだった。俺がネメアの呪いを受けた時は、急速に意識を失いかけていた。

 それなのに彼女がネメアにやられてしまった時、ソリスは激しいはずの痛みの中で俺を抱きしめていた。それは彼女の強靭な精神力に由来するもので間違いないだろうが、なるほど。神託者による抵抗力も関係しているのか……。

 と。俺たちが話し込んでいたその時、中の様子が変化したのを俺は察知する。


「ソリス、ルーン!」


 俺が名を呼ぶだけで二人は尋問室に飛び込む。あまりの二人の速度に若干遅れた俺は、中の光景に驚愕する。

 アスラが魔炎に覆われ、ソリスの剣を右手で、ルーンの雷撃を左手で受け止めている。

 なんという状況だ。たった数瞬でここまでのことになるのか。

 尋問をしていた職員は額から流血こそしているものの、比較的軽傷なようだった。


「リドゥ、君しかいない! 何とかしてくれ!」


 ルーンとソリスが同時に俺を見る。

 俺は既に気を集中している。ただ、どんな技を繰り出すべきなのか。

 殴るのか、蹴るのか、体を砕くのか、気を放つのか。

 いや、迷うな。さっきまでのアスラは悪人に見えなかった。彼を攻撃することが目的ではない。魔炎を弾き飛ばすことに集中するんだ。


「練術……」


 自然の気が俺の体内へ流れ込み、その力を全て制御する。俺の右手の平に光が集まる。高濃度、高純度の気が、やがて球状になっていく。

 俺はその光球を手に包んだまま、アスラの体に押し込む。


「吹き飛べぇ!!」


 魔炎に光が吸収される。しばしの沈黙の後、アスラの体が跳ねる。

 様子が変わったことに気付いた二人がそれぞれの矛を納める。


「ぉぉぉぉぉおおおおおお!!」


 アスラの体から叫びと同時に光が放射され、黒いオーラが吹き飛んでいく。魔炎は四方に飛び散り、部屋の隅で蠢く。ソリスがそれを斬るが効果はない。ルーンが高濃度の魔力を込めた光を放つと、いくらかが消滅する。

 魔炎はアスラの体に戻ろうと蠢いている。俺は彼の体に練術の気を送り込み続け、それを阻害する。練術の膜でアスラの体を守るイメージだ。

 少しの時間が経ち、ルーンが全て消滅させると、俺たちはようやく一息ついた。


「魔炎は簡単には消滅しないようだね……リドゥの練術も相当の純度だったけど、僕もかなりの純度を込めた光魔法を使ったよ。……流石に少し疲れた」

「そうみたいね。魔炎は宿主に帰りたがるみたいだし、完全に消滅させないとダメか……」


 つまり、俺たちが砂漠でアスラの魔炎を斬れたのはルーンのフレアの呪文を纏っていたためか。そしてその時斬ったとは言え消滅はしておらず、時間をかけて砂漠からこの尋問室まで魔炎は追ってきたというわけだ。

 なんて恐ろしい力なんだ。本当に呪いのようだ。


「神託者のアスラでこれなら、他の人にこれが憑いたらどうなるんだ……」

「考えるのは止そう……。とにかく今はアスラだ。彼が力を受け取った相手について、僕たちは知らなければならない」


 魔炎。ネメアクラスの魔物の持つ力。魔王の力。

 ソリスはいずれ魔大陸に向かうと言っていた。俺たちのこれから向かう先に、こんな力ばかりが立ちふさがるのだろうか。

 俺は形容しがたい不安を覚えている。


「ソリス、その顔は流石に不謹慎だよ――いや……リドゥもだ」


 俺は無自覚に言葉に出来ない高揚を抱えていることに、ソリスと目を合わせるまでは気付かなかった。

 ルーン曰く。

 俺は彼女と同じ目でそこに立っていた。



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