027 練術の修行
5歳だ。数年に一度しか取れるチャンスのない山菜で、とにかく人手が必要だからと俺も駆り出されたことがある。その時にはあの山で婆さんの小屋を見付けることが出来なかった。近付いてはいけない道があって、その道の先だったんだ。
俺はあの後、すぐに5歳の頃からやり直しを始めた。記憶が鮮明になり、当時の意識が強く前に出てくる。体の年齢に合わせてやや精神が幼くなってしまうのは、ある程度仕方ないのだろうか。
山菜取りを抜け出して俺は獣道を駆けのぼる。子供の体力は意外と多い。恐らく体重がまだ軽くて、筋肉量とバランスが良いんだ。木々をかき分け、地面を蹴り、駆け上った先に道が開ける。
10年後よりはほんの少し緑の範囲が多い広間。地面の抉れも少しだけ減って見える。恐らくこの後他の子どもたちが弟子入りして、もっとボコボコになるんだ。
「おや」
小屋に近付くと、婆さんが扉を開けた。まるで俺が近付いてくるのをわかっていたかのようなタイミングだったが、俺を見る反応は意外そうであった。
「誰かがあたしを探してやってくるのがわかったんだが……まさかこんな幼い子供だとはねぇ」
婆さんはこちらへ歩いてくると、俺の顔を見下ろす。気配を察知したのか……? いや、それにしても言っていることが不可思議だ。まるでこちらの心を読んでいるかのようで。
「ああ、読んでいるさ。気の色を見れば大体わかる。練術を極めればそれが匂いでわかったり、音として聞こえたり、だからあんたがあたしを探しているのはわかってたのさ」
「す、すごい……」
「それで?」
老婆は俺の頬を片手で掴み、目を見つめる。その後、15歳の時にされたように右手首を掴まれた。脈拍を計るような掴み方だ。やはり彼女はそれで何かを見ている。
しばらくすると手を放し、彼女はニヤリと笑った。
「あんた、面白い精神構造してんね。気も子供特有のブレばかりじゃなく、大人に似た静かさも持ってる。かなり訳ありだね
ぇ?」
俺は目を見開く。何かがバレている。どこまでのことがバレているのかわからないが、確実にただの5歳児ではないのは見破られてしまった。
「自分の資質が来年失われるのも気付いているようだね。この世への絶望感を抱いているようにみえる。それでいて何かを救う為にあたしの力を欲しているようだ。歪んでいるねぇ、かなり面白い具合に」
「……大体正解。俺は練術を習いたい! 救いたい子がいるんだ!」
老婆は一瞬眉を動かして表情を険しくした。しかしまたニヤリと笑う。
「その歪み、気に入った。あんたが練術を使いこなせるかはあんた次第。基礎くらいは教えてあげようじゃないか」
「! ありがとうお婆さん!」
礼を言って頭を下げた。直後、後頭部に衝撃を受け顔面が地面にめり込む。
「お婆さんじゃない。トーキさんとお呼び!!」
……呼び方が癪に障ったようだ。俺は地面の中で、この婆さんにいつか泡を吹かせてやろうと心の中で――。
「反抗すんじゃないよ。早速修行始めるからね! あんた、名前は」
「……リドゥ。リドゥール・ディージュ」
「あい、じゃあ付いてきな! リドゥ!」
心が読まれすぎている。少なくとも反抗心など、感情は確実に読まれている。
ルーンもこんな風に心を読んでいだろうか……。いや、彼はそこまでの雰囲気はなかった。多少感情に敏感だっただろうが、彼にここまで鮮明に心を読まれた感じはしない。
トーキ婆さんは俺の手を引いて小屋の中へ連れていく。台所だけで半分は占めているその小屋は、ベッドとテーブルのみ置いてあり、そのどれもがボロい木で出来ていた。15歳で入った時より広く見えるのは、やはり子供の視点だからだろう。
彼女は床を何やら探ると、そこに床下収納が現れる。思ったより広い。子供くらいなら余裕で入り込めるほど広い。その中からぼろ切れのような物を取り出すと、俺に放り投げた。
「これは練術の修行着だ。多少古いが、自然と調和するにはその服が一番いい。着替えな」
広げてみるとかなりボロボロだ。道着のように見えるそれは、肩のところと横っ腹の辺りがビリビリに破れている。下も膝のところや太ももが見えてしまう。あまりにボロい。
「ほんとは素っ裸の方がいいんだ。あんたもそうするかい?」
「い、いやこれでいいです」
老婆はケタケタと笑うと、またも床下を探り始めた。その間に俺はいそいそと服を着替える。練術は子供しか修行を始められないだけあって、服のサイズは多少大きい程度だった。ただ長年放置されていたらしく少し匂いが……。
婆さんはその後自身の道着を取り出すと、それに着替えて俺を外へ連れ出した。
山の中を進み、しばらくすると水の音が聞こえてくる。滝だ。嫌な予感がする。
「まずは体を洗い流しな!」
「洗い流す勢いじゃねえ!!」
轟々と響く水の勢いは、岩を打ち付け、そこに大きな穴を開けていた。鍾乳洞などでは水の滴りが何千年という時を経て穴を作ったと聞くが、これはそんなものじゃない。恐らく数年で穴を貫通する勢いだ。
「いいかい、リドゥ。この水は地下水脈を吸い上げて山頂部分から流れてきていて、この連山全ての水がここに集結しているんだ。最終的にこの水は女神の神泉にも流れ着くもので、それはそれはありがたいものなんだよ」
「とは言っても流石に無理があるよ!」
「連山の水脈を通ってきたということは、この水自体にかなりの気が含まれていることになる。それをあの勢いで浴びるんだ。悪い気が晴れて、自然のエネルギーを感じやすくなる」
滝は物凄い勢いだ。こんなもの大人でも首をへし折られる自信がある。抵抗する俺を担ぎ上げ、トーキ婆さんは滝の下まで進む。滝壺はかなり深いらしい。大半の水はその中に吸い込まれ、一部飛び出た大岩に水が跳ね返る。それがまた針のように俺の頬を刺す。
ミストは心地よくて今はそこら中に設置するのが流行だ、といつかの時代に街の人間が言っていた。馬鹿言うな、と今の俺なら叫ぶだろう。細かくなった水の粒がどれ程痛いのか、皆理解した方がいい。
「とりあえず10秒だ。10秒経って生きてれば修行を付けてやるからね」
婆さんはまだ俺を認めていなかったらしい。つまりこれが入門試験なわけだ。俺は恐怖なのか寒さなのかわからないものでガタガタ震える。逃げ出したくて身をよじるが、婆さんの右腕に腰ががっしりと掴まれて全く動けない。
水がぶち当たる岩までやってくる。そこに来るまでにもうかなり濡れてしまい、体温も奪われ、針のような水で体がチクチク痛む。婆さんは不意に俺を放り投げる。
突如来る浮遊感。空が青いのが、遥か下方を流れる川の水面から確認できた。先程まで春の陽気でぽかぽかとしていた。山菜取りは大変だけど、本当に美味しいんだ。煮て食うもよし、揚げて食うもよし。それがまた酒に合い、その時ばかりは村に冷遇される俺でも輪の中に入れた。そんな懐かしい気持ちを感じる青い空。
心地のよい浮遊感が終わる――
「――あがががががが!!」
重い。痛い。重くて痛い! 水の重みとその勢いで内臓がひしゃげそうだ。うつ伏せで放り投げられた俺は、背中から大量の質量を浴びることになる。
10秒だ。10秒生き残れ。ネメアの攻撃で腹を裂かれても、身を貫かれても意識を保った俺だ。滝の10秒くらい耐えられないでどうする! この先に俺は練術を習得するんだ。意識を保て!
重み、苦しみ、痛み。襲われ続ける感覚に時間が圧縮される。とっくに10秒経った気がするが、視界の隅で婆さんが指を折っているのが見える。三本……まだ3秒なわけあるか!!
とは思うものの思考のパニックさに対して、視界はゆっくりとクリアに世界を捉えている。時間が遅い。1秒が無限に感じる。
そもそも俺は何のためにこんな目に遭っていたんだったか……ああ、練術だ。練術は何のために……何かを救うためだっけか。それも何のためにだったか。ドラゴン……?
そうだ、ドラゴンを倒したかったんだ。もうここにドラゴンを誘き寄せて水量で倒せばいいんじゃないかな。そうだよ、その作戦で行こう。火を噴かれても水だし。大丈夫だろう。よし15歳に戻ってドラゴン戦をやり直しをしよう。青い画面が表示され――。
「おい、生きているかい!!」
婆さんが俺の頬をペシペシと叩く。滝から引っ張り上げられている。体が妙に温かい。
力を振り絞って声を出し、こくりと頷く。
「よし大したもんだ。休憩しながら早速修行を始めるよ」
「……え?」
「自然と一体になるんだ。なんでもいい、とにかく一体になろうと強く思うんだ。今のあんたは疲労で意識が朦朧としているが、逆に雑念がない状態でもある。……いいから早く思いな!!」
老婆は俺にそう言うと、どこかへ去ってしまった。
後を追おうと手を動かすがピクリとも動かない。またも嫌な予感がして首を下げ、目線を下にやる。
俺の体は土に埋められていた。土って温かいんだなと思った。