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016 ソリス、死す


「ソリス! ルーン! 俺が引き付けるからその隙に攻め込んでくれ!」

「無茶だ!」

「アンタには無理よ!!」


 幾度目かのセリフ。俺は重い剣を構えてネメアの元へ走る。何度も経験した通り、爪が俺を襲う。体をひねって避けると、奴の巨大な瞳が俺を捉えて口元を歪ませる。俺は更に剣を爪へ向ける。


「うおおおおおおおおお!!」


 声を上げて俺は剣を立てる。

 爪を押し込んで避けようとするな! 剣が折れていく時の感触を思い出せ、あの方向では駄目だ! 刃を立てたまま、ソリスのアドバイス通り爪の根元へ向かって剣を押し込め!

 激しい力により押し込められそうになるが、なるほどこの方向なら俺も爪の間に体をひねり込める。爪と剣の力が拮抗して、俺の後方へ凶器の刃が流れていく。奴の爪が地面に突き刺さると、俺の体は無傷でその場に立っていた。


「まさか……!」


 ルーンが驚いて目を見開いている。俺がやられたときには毎回このタイミングで魔法を撃ってたはずだが、避けきるとこういう風に行動が変わるのか。その代わり、ソリスが俺を助ける動きをやめている。剣を振りかぶったまま、ネメアの後方から凄まじい勢いで飛んで来ている。流石ソリスだ。判断が早い。

 彼女はこの機を見逃さない。遅れてルーンの雷撃がネメアに到達するが、片方の手で薙ぎ払われる。しかしもう片方は地面に突き刺さったままだ。

 つまり、今ならソリスの攻撃が通る。


「よくやったわ! リドゥ!!」


 彼女は口の端を大きく引き上げて笑い、ネメアへ斬撃を繰り出す。首を落とそうと狙ったらしかったが、猫特有の身体能力でそれを避ける。いや、それすらも彼女は見越していたのだろうか。

 ネメアの耳が宙を舞う。


「やっと一撃!」


 俺は歓声のように叫んだ。

 ネメアは悲鳴にも雄たけびにも似た声を上げる。明らかにダメージが入ったのは初めてだ。俺はすかさず距離を空けて二人の邪魔をしないようにする。


「ソリス、このまま捕獲しよう!」

「そうね!」


 よし、捕獲だな! この調子なら確実に捕獲出来るはずだ! だってさっきはもう少しで首を落とせそうに……ん? 捕獲??

 俺は根本的なことを失念していた。


「捕獲ってどうやんの!?」

「傷の概念そのものであるネメアが傷を負ったら、自身の能力が自分にも及んでしまう。その時に初めてネメアは能力解除と回復動作に入るんだ。そこを狙って呪文を唱えればいい!」

「呪文だな。ってことはルーンが行くのか!」


 俺がそういうとルーンは首を横に振った。ってことはソリスだろうか、と彼女に目をやると彼女も首を振っている。二人が俺を指さしている。…………え?


「いいかいリドゥ、僕とソリスは警戒されていて近くにいると回復動作に入らない。だから僕らで攻撃を加え続けて、チャンスが来たら手を止める。ヤツの回復動作は精々十秒程度だ。そのタイミングでしか呪文は有効じゃない」

「え、でも俺魔法なんて使えない」

「大丈夫よリドゥ。耳元で命令するだけだから。口裂け女にポマードと叫べば逃げるのと同じ理論よ!」


 ……その例えはどうだろう。

 言い終えると、二人は各々攻撃を仕掛ける。二人が攻撃の手を休める十秒間を狙って、俺は飛び込まなければならないのか。


「よし……」


 タイミング勝負なら大丈夫だ。何度かやり直せば成功する。

 ネメアが森を駆け抜ける。ルーンが氷の槍を放ち、ソリスがその背に斬りかかる。猫はギリギリでそれらを避けていくが、足取りは遅い。傷の痛みが尾を引いているんだ。やがて立ち止まると、二人を迎え撃つように向き直った。

 猛攻が繰り広げられる。


「リドゥ、今だ!」

「行きなさい!!」


 俺が二人に追いつくと、攻撃の手が休まった。ネメアもそれを察して丸くなっていく。回復体制に入った!

 残り九秒。俺はまだネメアに到達しない。

 残り六秒。俺はその黒い体に触れる。

 残り五秒。とにかく毛を掴んでその巨体を上る。

 残り四秒。登れ、上れ、昇れ! とにかくヤツの耳元へ!

 残り三秒。俺は耳を引っ掴んだ。

 残り二秒。俺は叫ぶ――――


「――――なにを?」

「伝え忘れてたああああああああああああああ!!!!!」


 一秒、〇秒。ネメアは再び起き上がる。俺は掴まりきれず振り落とされた。耳が再生している。その大きな瞳は、より明確な殺意を持って俺を睨みつけている。

 ネメアが俺へ向けて牙を向ける。俺は見る。打開策を探せ、やり直しは間に合わない。今この瞬間を生き延びろ! 頭にかぶりつかれたら終わりだ。目を潰されても終わりだ。両腕を食べられるわけにはいかない。なら、足を犠牲に即死だけは免れるべきか……! あの痛みの地獄を俺は今から負うぞ! 負うからな!! やっちまうからな!!!

 黒い瞳孔が俺を映し、恐ろしく巨大な牙が俺に迫る。思わず目を瞑る。


「リドゥ!」


 ぐちゅり、と肉が裂ける音がした。だが、俺に訪れた感触は柔らかな抱擁。牙の鋭さも、擦り下ろすような舌でもない。柔らかで温かな感触。

 ゆっくりと目を開く。


「ソリス――――!!」


 ソリスがそこにいた。俺を庇うように抱きしめていた。腰から下は無くなってしまっている。その惨状に思考が硬直する。

 何故? 何が起きた? 何故ソリスがここにいる? 何がどうなって――俺は生き残って――????

 動悸が激しくなる。落ち着け。落ち着け。やり直せばいいんだ。今すぐやり直せば――どこから――どうやって――やり直してどう打開する――?


「ごめん、ね。リドゥ。アタシたちが忘れちゃってた」

「ハァ……ハァ……! ハァ、ハァ……!!」

「覚えなさい、リドゥ。呪文は――――」


 彼女の痛みは想像を絶する。食いちぎられた感触が今もなお襲い続けているはずだ。それなのに、彼女は俺を庇っている。俺のことを気にかけ続けている。

 手が震える。

 ネメアの追撃がやって来る。

 爪がソリスを貫く。

 俺の指が宙をなぞる。

 ソリスの血が俺の腹部を濡らす。

 爪が俺の腰を削る。激痛が襲い来る。襲い続けてくる。

 俺は絶叫した。


「ァ――――ッッッ!!!」


 声にならない叫びのまま、更に指が宙にゆれる。俺にしか見えていない、青い景色。その中の黒い猫の姿。触れる。

 光が溢れる。


「ネメア!! プローネ!!!!」



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