霊園にて
もちろん、大きな喪失感はある。だけど、僕にとっては夢の世界の話。どこか全ては現実味もなく、悪夢を見たのだと思うことにした。いや、そうでも思わないと、正気を保つことができなかったとも言える。
《もうお兄ちゃんはおらへんのやな。僕が殺した? そんな夢みたいなことあるかいな。そや。ええきみや。僕のことちゃんと見てくれへんかったからや〉
《あかん。あかん。忘れよ。忘れよ。なかったことにしたらええやん。そやけど。そやけど。この気持ち? どうしても消えてくれへん。会いたい。やっぱり会いたい?》
と、その時、今まで視覚の端を過ぎるだけの影が、僕の目の前に立った。その不思議なもの、決してその名を口にしてはならぬ者は、次第、次第に、人の形を取り出した。
「影、あれ、なんや。え、あれ、え?」
「どないなってる? どこから入ってきたん?」
その影は、自ら名乗ったが、その名を記すことはできない。なぜなら、一度、その名を口にした者は、冥界へ連れ去られるのだから。僕は、僕は……、おうむ返しに彼の名を呼んでしまった。
「お前か! 僕を狂わせ、大事なお兄ちゃんを連れてってしまったのは? 悪魔め!」
「違う? 闇の国、地底にある? 王子さま?」
「僕の心が生み出した? お兄ちゃんを好きなったから? 嫉妬したから? 違う? 僕の罪は、そんなんやない??」
「また会いたいか? て」
「どういうこと? もうお兄ちゃんは、死んでるのに」
「あれ? なに? それ? え? そのスコップで掘ったら。生・き・返・る? そんな、アホなことあるわけないやん」
「え、あ、待って、待って……」
その影は忽然と消えた。夢、妄想。そう信じようとした僕は現実に突き落とされた。スコップ、柄をエメラルドが飾り、まるで宝剣のような金色に輝くそれは、確かな質感を持って、僕の寝室に横たわっていた。
《もし、もし……お兄ちゃんに会える?……会えるんなら》
もう、何がなんだか分からなかった。服を着替えると、僕は、雨の降る中、驚く母の制止を振り切り、お兄ちゃんが「いる」北の霊園目指して、走っていた。
はっ、はっ、はっ……!!!
《行って、確かめるんや!!》
《掘る? 墓を暴く? そんなこと。いや、やるんや。やらんとあかん!》
お兄ちゃんが、この霊園に埋葬されたということは聞いていた。だが、「どこに」彼がいるのかまで僕が知る由もないはずだ。だけど、だけど。僕には見えた。見えてしまった。僕は付き物が付いたように、猛然と、そのスコップで土を掘り返した。
《お兄ちゃんに会える? 会うんや。棺桶が……。見えてきた》
棺桶の蓋を強引に開ける。
《お兄ちゃん、お兄ちゃん。あれ? やっぱり嘘か? え? 冷たい。冷たいままや〉
《あかん。目が放せんようになってしまう。綺麗やぁ。肌のいろが青透けて。大理石の彫刻みたいや》
《ちょっと、ちょっとだけ触って……。冷たい。冷たい。硬とうて冷とうて。そうや。もう、お兄ちゃんはこの世にはおらへん。諦めなあかん。もう、お兄ちゃんは死んだんや》
《え、あれ? これ。なんや下の方があったかい……》
《あかん。触ったら。そやけど、そやけど、体が勝手に……》
ウッ、ゲッ!!! 酷い腐乱臭が、僕の鼻をついた。
《こんなん嘘や。そやけど、コレ…… ええわ、なんや香水みたいや。気持ちええ。もっと、もっと嗅いでいたい》
僕は、僕は……。体が勝手に動いてしまう、愛しい、お兄ちゃん。
《ぷっ、ぷっ、虫が、蛆が、蛆がぁ〜 わいてる……〉
分かっていた、知っていたのだ、これ以上、先に、僕は行ってはいけないことを。あの影は、かくんぼの鬼は、やはり悪魔だ。そうに違いない。彼らは決して嘘は付かない。白を黒というような明白は嘘は。
だが、常に、彼らの言う真実には裏がある。
お兄ちゃん、僕が、今、目の前にいる最愛の人と、女の子として、結ばれること。刹那の逢瀬。その、想いを遂げれば。これを果たせば、僕は死ぬ。いや、死よりも恐ろしい何か? かもしれない。悪魔に魂を引き渡すということに他ならないだろう。
だけど、だけど、もういい、僕の今の気持ちが、自身の物ではなく、悪魔に誘導され、与えられた物であったとしても、今、この時、僕がそう感じているという事実に偽りはない。
そうだ。そうだ!! 僕は、意を決した。