紐なしバンジージャンプ
バンジージャンプをすることとなった。
高所恐怖症というわけではないけれど、高所は決して得意ではない。そっと下を見てみると、川が流れている。海のように深くはない、浅い川だ。水の下には大小さまざまな形をした石。地面はマシュマロのように柔らかくはない。紐の長さが長すぎれば、硬い地面に頭を打ち付けて死ぬ。頭がかち割れるところを、一瞬だけではあるが想像してしまった。顔をしかめる。気が滅入る。どうして僕は、バンジーしなければならないんだ?
それにしても、バンジージャンプをするとなれば、相応の準備をしなければならないはずだ。準備というと、体に諸々の装置を取り付けて、紐――。
紐?
「……あの、紐は?」
「はあ、ここにありますけど」
男は何も置いてない地面を指差した。
何もない。紐なんてない、ただの地面。僕はぎゅっと目をつぶってから、そこをじいっと見てみた。しかし、やはりそこには何もない。ふざけているのだろうか。だが、男の目はいたって真剣で、まるで僕がいかれているかのようだ。
「何もないじゃない」
「え? 何を言ってるんですか? あるじゃないですか、紐と装置一式」
周りにいるスタッフや、僕の仕事の関係者にも聞いてみた。彼らも一様に「あるじゃないか」と答えた。ある? いや、何もないと思うけど……。
「はて?」
「あー、もしかすると……」
男がおずおずと言い出した。
「この紐はですね……その、言いにくいんですけど……ある一定の域に達していない人には見えないらしいんです」
「ある一定の域……?」
なんという迂遠な表現。
「まあ、その……具体的に条件を言うのは差し控えさせてもらいますけれど……」
その言い方だと、よほどの条件なのか……。
馬鹿には見えない紐とか、そういう類のものなのか……。
「僕以外、みんな見えてるの?」
全員に聞いてみると、二人ほど見えない人がいた。一人は有名大学を出た人なので、馬鹿には見えないというわけではなさそうだ。
「ふうむ」
「装置を取り付けさせていただきます」
透明の何かを掴むと、それを僕に取り付けだした。しかし、見えないだけではなく、重みすら感じない。パントマイムをやっているみたいだ。
「見えないだけじゃなくて、重みも感じないんだけど」
「ええ、こちらは超軽量素材でできているものですから」
「ふうん?」
釈然としないものの、僕は頷いた。
スタッフ二名が装置を取り付け、紐を絡まらないように地面に置いた。何も見えないんだけれども。
「さあ、そろそろ行きましょうか!」
「え。本当に大丈夫なんですかね?」
「ええ。大丈夫ですよ。あなたには見えないかもですが、我々には見えていますので。しっかりとした装置に、太い紐が」
「わかりました」
僕は崖の先に立った。
嗚呼、怖い。これで、みんなが僕のことを騙していて、紐なんてなかったとしたら、僕は飛び降りをするようなものだぞ。
「3、2、1、GO!」
バンジー。
僕はぴょんと跳んだ。
ひゅううう、と落ちていく。地面が段々と近づいていく。川だ。川が近づいてきて……そろそろ、止まるはずだ。止まらない。止まらないじゃないか! 川面にぶつかる。水が冷たい。そして、地面にぶつかって――がつんっ。
◇
「いやあ、最初聞いたとき、こんなふざけた計画が成功するわけがないって思いましたよ」
「案外うまくいったな。あいつは馬鹿だからな。もしかしたら、信じるかもと思ったんだよ」
「うーん、にしてもなあ……」
「スタッフのパントマイムがうまかったのもポイントの一つだ」
二人が喋っていると、スタッフの一人が話しかけてきた。
「あの、救急車と警察に連絡しておきますか?」
「ああ、そうだな。警察には『紐をつける前に勝手に飛び降りた』とでも説明しておけばいいだろう」
「ばれませんかね?」
「ばれる? ははっ、まさか。むしろ、本当のことを言ったほうが怪しまれるだろうよ。誰が信じるのさ、透明な紐があると思ってバンジージャンプをした馬鹿がいるだなんて」
こうして、完全犯罪(?)は達成された。