これくらいなら、私にもできるかも
井戸の。水の、浄化なら……私にもできるだろうか?
試しに、井戸に近づいてみる。
瘴気が濃いと体に異常をきたしたり、感情が不安定になる、暴力的になるなど、精神的にも様々な症状がでることがあると聞いた。
井戸の淵に手をかけて、ぐいっと頭を突っ込むような体勢で覗き込んでみる。
……とりあえず、なんともない。
気持ち悪い感覚もないし、具体的に頭痛や吐き気がするなんてこともない。
そんなに強い瘴気じゃないのかな?
その時、ふと気付いた。側で男性についてじっとしている女性の方に振り向く。
「どうしてこの井戸が瘴気におかされていると分かったんですか?」
見た目も異常はないし、正直私にはさっぱり分からない。先ほども色々と答えてくれた女性に聞くと、簡潔な答えが返ってきた。
「魔石が……使えなくなったから」
彼女が指差したのは井戸の屋根の内側の部分。覗き込むと、そこに確かに水色の魔石が埋め込まれていた。
この国の貴族は魔法が使えるかどうかが重要になる。もしも使えない場合は無能とされるけれど、それでも「使えない」というのはかなり大きな表現で、本当に全く使えないのはごく稀なケース。ほんの基礎の魔法は使えることがほとんどだ。
お兄様も少しの飲み水を出したり、火を起こしたりなどの魔法は使える。私はお兄様よりもう少し使える。……と、思う。
どちらにせよ、これくらいなら貴族的には「使えないのと一緒」だということ。
そして、本当に全く使えない者も多い平民たちは、魔石の力を使って生活するのだ。
この魔石は……井戸の水を清潔に保つための効果と、地下の水脈とこの井戸を繋げる役割を担っている。魔石が壊れない限り水が物理的に汚染されたり、病気がここから蔓延するなんてことは起こらない。
そして水が瘴気におかされた今、魔石の力が作用しなくなった時点で地下の水脈との流れは絶たれているはず。井戸に新しい水が入ってくることはないし、この水が他の場所に流れることもない。よく出来ていると言えば出来ている。
この場所を見捨てれば、他に問題が飛び火することはないんだもの。
「確かに、魔石はまだ壊れていないわね。そういうことね」
経年劣化や魔石に込められた魔力が失われる以外で作用しなくなることはあまりない。その少ないパターンの1つがこの女性が言ったように「瘴気におかされた場合」だ。
井戸の外に転がっていた水くみ用にロープに繋がれた桶を井戸の下に垂らし、試しに水をくみ上げてみる。
井戸の上から覗き込んだだけでは分からなかったけど、ほんの少し黒いモヤのようなものが水から漂っていた。
((瘴気で間違いないな))
ロキも言うならまず他の理由は考えられないだろう。
「ひっ……!」
側で見ていた女性がモヤを目にしたのか、小さく悲鳴を上げた。
――浄化。
手をかざし、魔力を注ぐ。試しに自分の体にいつもかけているように浄化をかけようとするも、あまり効果はなさそうだ。
まあそんなに簡単には払えないわよね……。
思わず大きなため息をつくと、漂うモヤがほんの少し揺らいだ。
「えっ?」
もう1度、今度はふうーっと息を吹きかけてみる。
やっぱり少し揺らぐ。
……瘴気って、こんな物理的な力の影響を受けるものなの?
意外な事実だ。知らなかった。空気中にも多少の瘴気はあると聞くけど、こうやって少しでも目に見える形で集まっているのはあまり見たことがないしね。
「それならこれはどう??」
収束――!
もう1度手をかざし魔力を込めると、私の手のひらに向かって黒いモヤが渦を巻き、少しずつ丸い球体を描きながら集まっていく!
そのまま続いて、――浄化!
そして、集まった瘴気の黒いモヤは私の魔法に合わせて消えたのだった。
「いけそうね!これを井戸の水全体に応用すれば……」
再び体を起こし、井戸の上にかざすように両手を広げる。
ちょっと大変そうだけど……
収束――――!
私の魔力がまるで磁石になったかの様に、見えないほど奥の方で漂っていた黒いモヤが吸い込まれるように流れを作りながら上に吹き上がってくる!
集中力を切らさないように丁寧に……集めて、集めて、そして、
浄化…………。
――成功はしたけれど、さすがに井戸の水全部を1度に浄化するのは無理だった。自分の弱い力がもどかしい。きっと聖女様だったら聖属性魔法で簡単に払っちゃうんだろうな……。
何度か繰り返し、どうにか全てを浄化するころには随分時間が経ってしまっていた。
井戸の側で苦しんでいた人達にも浄化をかけ、たまたまカバンに入れて持っていた回復薬を渡す。まだしばらくは苦しいだろうけど……私にはこれが限界だ。治癒が使えればもっと楽にしてあげられたのに。
少し顔色が良くなり眠った男性の側で、ずっと見ていた女性がこちらに向かって跪いた。
「ありがとうございます……!ありがとう、ございます!!」
「そ、そんな……」
思わずうろたえ、少し後ずさりしてしまった。
ふと気がつくと、彼女だけではない。いつの間にか貧民街の住人たちが何人も集まり、私が井戸を浄化するのを見ていたようだった。囲むように遠巻きに立っていた人々が女性に倣い、次々に跪く。
それぞれが、感謝や祈りを口にしながら。
「!?顔を上げてください!私は少し井戸の水を浄化することが出来ただけで……治療も満足にしてあげることが出来なかったのに……!」
なんとか頭を上げてもらったけれど、そのほとんどの人の目には涙が浮かんでいて。無能と言われる私でも、こうやって誰かのほんの少しの助けにはなれるんだ……そう心が温かくなったのだった。
◆◇◆◇
メルディーナは知らない。
「井戸の水を浄化する」それがどんなに難しいことだったのか。
実はこの井戸は異常に気付かれなかったのではなかった。それなのに、どうしてそのまま放置されるに至ったのか。
知らないままに、メルディーナは自分が人の役に立てることに喜び、また1つ自分にもできることが増えたと希望を抱いた。ここで、自分は生きていける、誰かを助けながら居場所を作っていける。そんな風に思って。
それからしばらくして、「市井に現れた聖女様の話」があちこちで囁かれるようになる。