自覚と同時に
「メルディーナ、今帰ったのかい?アーカンドの街はどうだった、楽しかった?……メルディーナ?」
「えっ?あ、お兄様……そうね、楽しかったわ。ごめんなさい。今日は疲れちゃったから、もう休んでもいい?」
「……もちろん、ゆっくり休んで」
お兄様が心配そうな顔で私を見送ってくれる。私がアーカンドで初めて休日として出かけるということで、楽しんでおいで、と優しく送り出してくれたお兄様。
多分今日の話を楽しみに待っててくれたんだろうな。ただでさえお兄様は私をすごく心配していて、私が悲しんでいないか、幸せを感じられているかを気にしてくれているから。
「そういえば、お土産を買ってくるのも忘れちゃったな……」
1人で急にそんなことを思い出す。
部屋でお兄様と同じようにワクワクした顔で出迎えてくれたミシャとオルガ。申しわけないけれど、2人にもお兄様に伝えたのと同じように言ってすぐに下がってもらった。
分かっている。私の様子が皆に心配をかけてしまうということ。出かける時にあんなにはしゃいで出ていったのに、戻ってきてこんなに暗い顔をしていたんじゃ当たり前だよね。
それでも、今はどうしてもうまく笑える気がしなかった。
あの女性の正体はこのアーカンドの公爵家、ウィルモット家のオリビア様という方だった。
『わたくしはリアム様の婚約者候補です。……本来ならば、すでに婚約者としてあの方の隣に立っているはずでした。しかし愛し子様に付き添うためにと婚約内定を延期されてしまい……このままでは恐らくわたくしとリアム様が結ばれることはないでしょう』
言葉の一つ一つを思い出しながらじっとソファに沈み込み、目を閉じて大きく息を吐く。
『リアム様のことを考えれば愛し子様の後ろ盾のために婚約者を置かず、後ろ暗いことのないまま側にいられるように……という陛下のご判断が間違ってはいないと分かっているのです。ですが、どうしてもあの方と想いあった時間が……わたくしを愛していると、早く結婚したいと言ってくださっていた言葉を忘れることが出来なくて』
すみません、と謝罪を口にしながらそう言ったオリビア様。
涙をぼろぼろ流しながら、頭を下げ、それでも縋りつくように紡がれた言葉はとてもじゃないが嘘とは思えなかった。
その後オリビア様は我に返ったように顔を蒼白にして立ち去っていった。リアム殿下が戻られたのはさらに少し後。
殿下にすぐに話を聞いたことを言うべきだったのかもしれないけれど、私は何も言えなかった。そのまま会話もそこそこに帰ってきて……帰るまでの間、何を話したか全く覚えていない。
言ってくださればよかったのに。だけど殿下は優しいから、私が気を遣うと思って言えなかったのかもしれない。実際、今日までリアム殿下が側にいてくれなければ、こうも早くに私がこの国に受け入れられることはなかっただろう。
色々考えながら口を引き結ぶ。油断すると涙がこみ上げてきそうだった。だけどここで私が泣くのは間違っている。
私は今……まるで私にとってのリリーだわ。
自分はあれほど苦しんだというのに、知らなかったとはいえ同じことをしている。いいえ、それよりずっと状況は悪い。私とクラウス殿下はそもそも上手くいっていなかったから。
想いあっていたはずの2人の婚約が『愛し子』という肩書を持った私が現れて引っ掻き回されている。
心臓がずしんと重くなる。鉛を飲み込んだように胃の底が気持ち悪くて、座っていることさえ辛かった。
ふと気づいて、イヤリングを外し、テーブルの上に置く。それなりの重さがなくなり耳元が軽くなる。
それがとてつもなく虚しく感じた。
私は馬鹿だった。リリーがシナリオ通りに動こうとして失敗した少し前の騒動も知っていたのに。ゲームのシナリオを信じていたのは私も同じだった。
リアム殿下は攻略対象のはずだから、あの人がリリーに惹かれてしまうんじゃないかと怯えてはいたけれど、他の可能性なんて考えもしなかった。リアム殿下に他に愛する人がいるなんて、考えたこともなかったのだ。
「私は馬鹿ね……」
ずっとリアム殿下は私にとって大切な人だったけれど、今更……それがどういう意味のものなのかを理解するなんて。
最初が狼の姿だったから、自分で自分の気持ちをよく分かっていなかったの?
「ふふ……自分の気持ちを自覚すると同時に失恋って……笑える」
声に出すとたまらなくて、堪えていた涙が思わず零れた。
今日だけ。明日からはちゃんと切り替えて笑うから、今日だけ無責任な涙を許してください。
◆◇◆◇
次の日、城内の騒がしさで目が覚めた。
何かあったのかと慌てて体を起こしたタイミングでドアがノックされ、焦った様子のオルガが入ってくる。
「何かあったの?」
「はい……メルディーナ様、ニール・キドニーという騎士はご存じですかぁ?」
「ニールはお兄様と私の幼馴染でもある人よ。その人がどうかしたの?」
ここで出されるはずのない名前に嫌な予感が襲ってくる。
「ニール・キドニーが少し前、この城に侵入しようとしたところを捕らえられましたぁ。メルディーナ様とイーデン様がいらっしゃるまでは何も話さないと口を噤んでおりましてぇ。今ミシャがイーデン様にもお伝えにあがっていますぅ……」
眩暈がした。
「とにかく、急いで準備して向かいます。手伝ってくれる?」
「はい、そのために参りましたのでぇ!すぐに着られるシンプルなドレスにいたしましょう。陛下も事情はご存じなので、咎められることはありませんのでぇ」
陛下が……いえ、そうよね。私やお兄様が特別な扱いをしていただいているだけで、セイブスとアーカンドの関係は今も最悪のままだ。……おまけにニールは一度リリーと一緒にアーカンドへ無断で入り込んでいる。これが2度目。見つかった時点で切り捨てられても文句は言えない程のことだ。
支度を終え、急いで謁見の間へ向かう。捕らえられたニールはひとまずそちらへ連行されたらしい。すぐに地下牢へ入れられなかったのも恐らく彼が名指しで話があるという私とお兄様への配慮だろう。
「メルディーナ……」
廊下で落ち合ったお兄様も途方にくれたような顔をしていた。
ニールの話とは何だろうか。またリリーのために何かこのアーカンドにとって良くないことを起こそうとしているのだとしたら……いかにニールであっても、私は許せないかもしれない。
そう思って、覚悟して謁見の間へ入っていったのだけど――。
「メルディーナ……!生きていた……本当に生きていた!ああ、良かった……!」
私が姿を見せた途端。ニールがそう言って、取り押さえられていなければ今にもこちらに縋りついてきそうな勢いで顔をくしゃくしゃにして泣くから。その場にいた誰もが困惑することになったのだった。




