一難去って
すっかり顔色が良くなり、安らかな呼吸を繰り返す妹に涙を拭くのも忘れて呆然とその場に座り込むヒューゴ。
あれだけ嫌悪感あらわに拒絶していた私を、最後にあっさり妹の元へ案内したのは、きっと彼も限界だったからだろうなと思う。親がいなくなって、妹はどんどん弱っていって、おまけに瘴気まで……先の見えない不安に、親切にしてくれる大人たちにも牙をむいて、心が折れてしまうギリギリのところに必死で立っていた。まだ小さな子供である彼がどれだけ絶望していたことか。想像するだけで胸が苦しくなる。
……頑張ったね、お兄ちゃん。
彼の両親のこととか、具体的に何があったのか聞くのはダリオさんとリアム殿下にお任せした。無事に浄化と治癒が終わった今、人間の私が必要以上にヒューゴに関わることはない。お兄様はもっと必要ない。というわけでミシャと3人、もう1度街の中を見て回って待つことにした。
医療院での浄化の話は光の速さで広まったらしくて最初に私をみて人間だと戸惑っていた空気は一変していて、誰もかれもが私を見ると軽く頭を下げる。
……やっぱり、なんだかこう感謝されるのって慣れないのよね……。
そのままダリオさんの屋敷に戻って一息ついていると、やっと2人が戻ってきた。
私の不安が顔に出ていたのか、リアム殿下が微笑みかける。
「お待たせしました。あの子たちはもう大丈夫ですよ」
ヒューゴ達一家はつい1年ほど前にこの街に越してきたばかりだったらしい。その時にはすでに妹の姿をみることはほとんどなかったんだとか。
……どうも、トーリャに向かう道中で突然魔法の攻撃を受け、運悪く妹に直撃したそうだ。最初は目に見える怪我もそこまでひどくなく、元気にしていたそうだけど、どんどん衰弱していって――。魔力が瘴気を纏っていたようなものだったならば、徐々に蝕まれどれほど体も心もきつかったことだろう。
両親は妹の治療のために奔走することになり、お金を稼ぐために魔物を狩りにでたり、薬を求めて街の外へ出ることが増えて。そして、ふた月ほど前のある日、家を出ていった後ついに帰らなかった。
「あの子たちの両親に何があったかは分かりませんが、騎士団でも捜索するように手配します。妹の体力がもう少し回復したら、ひとまず2人揃ってダリオさんのお手伝いをすることになりました」
本当は引き取ろうと思ったのだけど、これまでの態度を反省し後悔するヒューゴが首を縦に振らなかったらしい。
「そのうち余計なことは何も考えず、私達に甘えてくれるようになればいいなと思っています」
この街は本当に温かい。
翌朝、ダリオさんの屋敷で一晩休ませてもらい、早々に王都へ戻ろうと屋敷の外で出立の準備をしていると、1人の騎士が馬で街へ飛び込んできた。
「リアム殿下!」
慌てたように急ぎ馬から降り、リアム殿下を探す騎士。
ただ事ではない雰囲気……何かあったの?
「少し待っていてください」と言い残し、リアム殿下は騎士とその場を離れた。
残されたミシャはそのまま馬車の準備を進め、お兄様と私はとりあえず側で待つことに。
「メルディーナ、私はアーカンドへ来てよかった」
「突然どうしたの?お兄様」
「ここへ来なければ、お前とこうして話すことはできなかったかもしれないし、何より私はメルディーナのことを何も知らなかったんだとよく分かった。……たくさんの獣人たちを助けたお前を誇りに思うよ」
「お兄様……」
昨日1人、お兄様はほとんど何も話さず、じっと街の様子や私が浄化する姿を見ていた。私が浄化を使えることも知らなかったのだし、驚いているのだろうなとは思ったけど。まさか、そんな風に思ってくれていたなんて。
そうして2人で話していると、頼りなげに声をかけられた。
「――人間の、愛し子、様」
声のした方に振り向くと、そこには俯いて手を握り締めたヒューゴが立っていた。
昨日たくさん泣いたからか目元が少し腫れているけれど、顔色は良くなったように見える。
「……こんにちは。妹さんは、大丈夫そう?」
少し考えて声をかけると、勢いよく顔を上げる。何かを我慢するように歯を食いしばって。
「ご、ごめんなさい……!」
ぽつりと、そう零したのだった。
「ごめんなさい、愛し子様……!ひどいこと言って、ごめんなさい!ごめんなさい……!」
ぶわっと溢れた涙も拭かず、何度も何度も言いつのる。
「ヒューゴ君……」
「俺、人間は、全員ひどいやつらなんだって、そんな人間が愛し子様なわけないって、そう思って……また、ひどいことされるかもって、思って」
――また?
「人間の国の、側だったんだ……あれは、人間の女の人だった。魔法が当たったことに気付いても、笑ってた……」
「人間の、女の人?」
思わず繰り返した声はヒューゴの耳には届いていなかったようで。
「愛し子様、本当にごめんなさい……妹と俺のこと、助けてくれて、ありがとう……!」
ついに大声を上げて泣き出したヒューゴに、それ以上詳しい話を聞くことは出来なかった。
彼が落ち着く前に、リアム殿下が思わぬ報告を携えて戻ってきたから。
「メルディーナ、落ち着いて聞いてください。セイブス王国の……あの聖女が騎士を連れてアーカンドへ入りました」
詳細はまだ分からないが、とりあえず急ぎ王宮へ戻ってほしいと、陛下からの書簡を手にしていた。先ほどの騎士が慌てていた理由はそれだったのだ。
リリーが、アーカンドへ……。
どこまでもまとわりつく、聖女リリーの面影。今度はなんだというの……?
理解できない行動の数々に、これから何が起こるのかといいようのない不安と恐怖に襲われたけれど。
結論から言うと、今回の事件はリリーの自爆で終わることになる。




