お兄ちゃん
向かった先は医療院とは少し離れたこれまた街の外れにある小さな家だった。ヒューゴの暮らす家だ。
「誰もいないみたいですね……」
さっきからダリオさんが何度か声をかけているが、中からは何の反応もない。
ヒューゴはともかく、両親がいないのは本当なのかもしれない。街の人もしばらく誰もみていないと言っていたし……。
どうしようかと家の前で話していると、後方から怒りに震える声が聞こえた。
「人間連れて、何してるんだよ……」
その目はやっぱり私を睨みつけている。
「ヒューゴ!愛し子様になんて態度を……!申し訳ありません、愛し子様……」
「いえ……」
私の言葉を遮る様に、声を上げる。
「はっ!愛し子様?人間が愛し子様なわけないじゃないか!!愛し子様はきっと俺らを助けてくれる!人間が愛し子様のふりをするなっ!!」
彼がこれほどまでに私を、人間を嫌悪する理由……何があったんだろう?
いえ、今はそれよりも。
「ヒューゴ、くん。家の中に誰がいるの?お父さん?お母さん?それとも……妹かな?」
私の言葉に、ヒューゴの肩がびくりと震えた。
やっぱり……。
ヒューゴは『俺ら』と言った。怖がって、怯えて、それでも怒って周りを牽制するその姿。ヒューゴくんはまだ子供だ。この街の人達はすごく優しい。問題を起こす彼に憤ってはいても、それでもずっと手を差し伸べようとし続けている。何があってこんなにかたくなな態度なのかは分からないけれど、1人ぼっちならきっとこんなに強く虚勢をはることはできなかっただろうと思う。状況も何も全然違うのに、私を守ろうとして私に強い言葉を投げかけたお兄様の姿が今の彼に重なった。
「私1人でいいから、家に入れてくれないかな?変なことしたら殺してくれていいよ」
お兄様やミシャ、ダリオさんは焦ったような声を上げたけれど、リアム殿下はじっと私を見つめて黙っていてくれた。
「あなたたちを助けたいの」
その時、一羽の小鳥がパタパタと私の周りを飛び、私の肩に着地した。
えっ!今……!?と思ったけれど。じっと私の肩でヒューゴ君を見つめている。まるで「この人は信用できるよ~!」と私の代わりに彼に語り掛けているみたいだった。
――私やヒューゴ君を励ましに来てくれたのかな?
しばらく私を睨み続けていたヒューゴ君はそんな小鳥に一瞬驚いたように目を見開いたかと思うと、やがてリアム殿下をちらりと見て。「変なことしたら、本当に殺すから」と言って家の中へ向かっていった。
◆◇◆◇
「妹さんね……」
玄関から1番離れた部屋の中、その奥にあるベッドの中に小さな女の子が寝かされていた。一目見て分かった。間違いなく瘴気に冒されている。
だけどそれ以上に、元々衰弱していたんだろうか……医療院で診た人達とは少し違う症状が出ているように見える。
「これはひどいな」
ずっと黙って私の服の中にいたロキが顔を覗かせて呟いた。
「どういう症状か分かるの?」
「多分強い魔力で攻撃されて、その残滓が体を苛んでるんだ。まるで呪いみたいな状態になってる」
「呪い……」
「ほら、リアムのやつがセイジョサマの魔法を受けた後、攻撃のダメージ以外に体に禍々しい魔力がまとわりついてて苦しそうだっただろ?あんな感じがずっと続いてるんだよ」
まさか、リリーが?
だけど、私の考えが分かったのかロキがすぐに否定した。
「あのセイジョサマの魔法だったら多分とっくに死んでるよ……とにかく、メルの浄化ならどっちも取り払っちゃえるんじゃない?」
そうね……何があったのかは後でヒューゴくんに聞くとして。まずはこの子を楽にしてあげなくちゃ。
「ねえ、妹のお名前はなんていうの?」
一応念入りに体の状態を見ながらヒューゴに話しかけるも返事がない。
不思議に思って顔を上げると、部屋の入り口で私を見張る様にしていた彼は口を開けっぱなしで震えていた。
「なに、それ、まさか……精霊様?」
「見えるの?」
その目は真っ直ぐにロキを見つめている。
「まさか……まさか、本当に、愛し子様……?そんな」
ロキが見えるなんて驚きだ。この街の人は他には誰もロキやルーチェのことは見えていないようだった。
うわ言の様にまさか、そんな、と呟き続けるヒューゴから妹さんの名前を聞くのは難しそうだと判断した私は、止められる様子もなさそうなのを確認すると小さな女の子の体に手をかざした。
この女の子も衰弱して痩せているけれど、元気なはずのヒューゴも同じくらい痩せている。この子だけが瘴気に冒されているのを見ても……きっと、食べ物をこの子に与えることを優先して自分はあまり食べてなかったんじゃないのかな。
どうしてこんなになるまで、街の人達にまで妹の存在を隠していたのか。両親がいなくなった時点で助けを求められなかったのかと思う。だけど、優しくされても信用なんてできない程、たくさん傷ついてきたのかもしれないなとも思った。
私のことは受け入れられなくとも。街の人達は頼ってもいいのだとヒューゴが思えるようになればいい。
そんなことを考えながら、私はかざした手のひらに魔力を込めた。
妹の体が光に包まれるのを見ながら、1人で彼女を必死に守り続けていたお兄ちゃんは、声も出さずにぼろぼろと涙を零していた。




