もう1人の精霊
「ねえ、僕もメル様って呼んでいい?」
私に声をかけた小さな男の子はルーチェという名だと教えてくれた。見た目通りといえば見た目通り、ルーチェも精霊だった。ロキ以外の精霊……初めて出会った。
あの後は結局もう1度眠ることもできず、夜が明けるまでルーチェがずっと話に付き合ってくれていた。
今、私とリアム殿下、ロキとルーチェは徒歩でアーカンドの王都へ向かっている。
「おい!あんまりメルに馴れ馴れしくするなよ!」
「え~ロキ君だけずるい!」
ロキがぷりぷりと怒るのを見て、ルーチェは拗ねたように唇を尖らす。
「同じ精霊でも随分性格が違うのね……」
思わず呟くと、隣を歩くリアム殿下が笑った。
「ルーチェはどうも出会った頃から小さな子供のようです。僕は彼に慣れているので、ロキに睨まれた時にはちょっと驚いてしまいました」
リアム殿下が言っているのは、黒い狼さんの正体がリアム殿下だと判明したときのこと。
あの時は色んなことが一気に起こりすぎて気に留める余裕もなかったけれど、今思えばロキの言葉にリアム殿下は普通に答えていた。ロキ以外の精霊に出会ったのも初めてならば、私以外にロキの見える人に出会ったのも初めてでなんだか新鮮だ。
ロキがずっと私の側にいるように、ルーチェはずっとリアム殿下と共にいるらしい。
あまり多くはないが、人間よりも自然や妖精と近い存在として暮らす獣人の中には、私達のように妖精や精霊が見える人もいるのだとか。尤も、精霊王の力が弱まっている今、精霊の数はほんの僅かで、リアム殿下もルーチェ以外に出会ったのはロキが初めてだと教えてくれた。
「ロキはまるで兄のように感じることがありますが、ルーチェは完全に弟といった感じですね」
つれないロキの態度にルーチェが目を潤ませ、それにロキが怯んでいる。まるで兄弟でじゃれてるみたい?ロキは私のこともずっと気遣って励ましてくれていたし、守りの森では妖精たちの面倒をせっせと見ていた。完全にお兄ちゃんタイプだ。
そんなことを考えていると、どうしてもお兄様のことを思い出す。今日、夕方にはアーカンドの城に辿り着く。そうすればお兄様にも会える。私はもう、お兄様が私を嫌っているわけではないと知っている。リアム殿下が教えてくれたように、私のために迷いなく首を捧げようとしたなんてまだ少し信じられないけど……ずっとお兄様のことを誤解していたのだとしたら、これからの時間で兄妹としてもう1度やりなおせるだろうか。
なんだか少し緊張する。どんな顔で会えばいいの?
……だめよね、こんな後ろ向きな気持ちでいちゃ。
気持ちを切り替えようと、無意識に俯いていた顔をぐっと上げるとリアム殿下がこっちをじっと見ていた。
「メルディーナ、何か緊張していますか?」
「え……?」
「僕も伊達に何年もあなたを見ていませんからね」
リアム殿下はふわりと笑った。
……何年も一緒に過ごした時間があるとはいえ、私にとってその相手は黒い狼さんだ。狼さんがリアム殿下だったと分かって警戒心はもうないけれど、獣人姿のリアム殿下にはまだ慣れなくて少しどぎまぎしてしまう。
「大丈夫ですよ、イーデンもあなたを心配していました。……どう再会するかは迷う必要はありません。妹を優しく迎えるのは兄の仕事でしょう」
リアム殿下は、お兄様に任せとけば大丈夫だと言っている。
その励ましを嬉しく思いながらも、そういえばともうひとつの心配事が頭をよぎった。
「あの、リアム殿下の妹君……ジェシカ王女殿下は、その……」
途中で言葉が続かなくなった。
ジェシカ王女は私を迎え入れることに反対はないのでしょうか?なんて、聞いてどうするのだろう。王女殿下がどれだけ嫌がっているかは察しが付く。そんな答えの分かっていることを聞いても優しいリアム殿下を困らせるだけだ。
案の定、リアム殿下は眉尻を下げて少し困ったような顔をした。
「城についたら、ジェシカと会ってやってはくれませんか?……あの子はあなたを傷つけた。もう顔も見たくはないかもしれませんが――」
「え!?い、いいえ、決してそんなことは……もしも王女殿下が私になど会ってくださるなら、それはもう、是非……」
思わずぺこぺこと頭を下げてしまった。私は前世のサラリーマンか……。
「メル様~!」
ロキとじゃれ合って少し遅れて着いてきていたルーチェが私の肩に飛びついてきた。
「どうしたの、ルーチェ?」
「ロキ君が僕に冷たい!」
続いて慌てて飛んできたロキがルーチェを私から引き離す。
「メル!こんななよなよしたやつの話、聞かなくていいから!」
「なよなよって何~!ロキ君ひどい!」
「うるさーい!」
大声をあげて、むくれた顔でルーチェを追い払おうとする。
ロキ……ひょっとして嫉妬してる?
前言撤回。お兄ちゃんタイプだと思ったロキは、同族に出会ってちょっと子供っぽい部分が顔を覗かせているみたいだ。
「メル様のそば、びっくりする程気持ちいいんだもん!もちろんリアムのそばも気持ちいいけどね~」
マイペースなルーチェを見ていると、なんだかものすごく既視感がある。
はっきり思い出せないけど、ひょっとして……前世の、弟?に、似ているのか……。
『姉ちゃんごめん~姉ちゃんのとっておきのアイス食べちゃった~!』
そうだ、どれだけ食べるな!って怒っても、大きくマジックで名前を書いておいても、いつも弟は私のアイスやお菓子を食べてたっけ。私が結局許すと知っていたから。
前世の記憶はぼんやりしていてほとんど思い出せないけれど、こうしてたまにふとしたシーンが蘇る。両親と、兄と弟と、それから――?
ゲームのことは、自分が知っていた範囲でなら細部まではっきりと覚えているのに、家族の顔も、自分の名前も思い出せない。私は完全にメルディーナでしかなくて、このまま思い出すこともないのかもしれない。
それでもはっきり分かるのは、前世の私はものすごく、愛に溢れた人生を送っていたこと……。




