魔法は失われない
「――とにかく、もう戻りましょう!人間である我々がここにいると薄汚れた獣たちに知られれば、何をされるか分かりません!」
……何をしたわけでもない、私の大事な存在をこんな風に傷つけておいて、そんなことが言えるの……。ご立派な聖女様ご一行。
ぐったりと体を横たえた黒い狼から赤い血がたらたらと流れ、さっき妖精たちが作り上げた美しい花畑の上を、まるで差し色の様に赤に濡らしていく。
眩暈に抗えず、そこに手をつく。温かい、血の温度を感じる。
薄汚れた獣?ここの聖なる動物たちは、狼さんの受けた魔力の禍々しさに駆け寄り励ますこともできずに離れてブルブル震えている。
あいつらはアーカンドにそれこそ獣のように不純な目的のために入り込んでおいて、この国に住む獣人のこともまとめて蔑んでいるんだろう。
――薄汚れているのは、人間の方よ。
怒りと絶望がごちゃまぜになって、私の心をいっぱいにする。私が手をついている部分から、ふわりと血の鉄の匂いが消える。そのままそこを中心にして、ゆっくりと草花が枯れていった。
「メル!!!」
ロキが悲鳴のような声を上げて、私の顔に突進する。
「ロキ……痛いわ」
「お願いメル、しっかりして!怒りにのまれて我を忘れちゃだめだ!」
その勢いで意識が現実に戻され、同時に草花が枯れるのが止まった。
でも、上手く前が見えない……。
ロキは必死で全身を使って私の髪の毛を引っ張る。
「メル!目の前を見て!お前の大事な友達を助けられるのはお前だけなんだよ!」
遠くで、リリーや一緒にいる人達が何か話しながらも遠ざかっていく音が聞こえる。
「私に……助けられるはずがない」
「メル!!!」
どうして私に助けられるというの?無能な私に。
セイブスから離れて、この守りの森で過ごすようになって、魔力が随分増えた。ロキ曰く、「戻ってきた」だけらしい。ルコロの隣村で実感したように、浄化も前よりずっとうまく使えるようになった。他の細々とした魔法も同じ。
だけど……いつまでたってももう1度治癒を使えるようにはならなかった――!
黒い狼さんの息がどんどん弱くなっている気がする。
どうしよう、どうしよう、私はなんて無力なの……。
「メル!できるよ!絶対に出来る!出来ないわけがないんだ!魔法はなくならない!俺と出会った時から、メルの魔力はなんにも変わってない!」
「でも出来ない!試したの!出来なかった!」
「メルは優しくて純粋だから……長い時間かけて『無能』だと言われ続け、自分を……洗脳したんだ。今のメルが治癒を使えないのは、出来ないと思い込んでるからだよ……!」
そんなの……それが本当だとしても、どうしたらいいの?
その時、息も絶え絶えな状態で、狼さんが鳴いた。
「クゥーン……」
まるで、気にしないで、と言ってるようだった。
やだ、だめ、そんなの……!
苦しくて、涙が溢れるのを止められない!
もし……もし本当に私の治癒は失われていないのなら。
ここで使えなかったら、私は本物の、無能だ。
私は涙で顔がぐちゃぐちゃのまま狼さんに近づき、無我夢中で手を添えた。
出来る。
出来る。
私は出来る……!
他のことなんて頭になかった。
あったのはなんとしてでも狼さんを助けたい。それだけ。
かざした手から、懐かしい温度の光が溢れだす。
「えっ……?」
みるみるうちに傷が癒えていく。これで命を助けられるとホッとしたのも束の間、私の治癒の光に包まれた狼さんの体が、徐々に輪郭を失っていく。不思議な光景だった。
「嘘でしょ……?」
治癒を使えたとか、狼さんを助けることが出来たとか、それを上回る衝撃だ。
光に包まれた体がどんどん変容していく。そして、やがて、まるで人のような……。
「こいつ……」
ロキが茫然と呟く。
完全に傷が癒え、治癒を終える。光が収まった中で静かに瞼を閉じ横になっていたのは……。
艶やかな黒髪に、同じ色の耳と尻尾を持った、見覚えのある獣人の姿。
「まさか、アーカンドの王城で会った……?」
「メルディーナ、その子を責めないでやってくれるかい?」
そうこちらに声をかけるリオ様に振り向く。
私が何年も一緒に過ごした黒い狼さんは、獣人の……恐らく王族だ。まさかリオ様は、知っていたの……?
私の混乱が収まるより先に、リオ様が感嘆の声を上げた。
「ああ!メルディーナ、お前の治癒の光に呼ばれて、やっと我が子が起きるようだよ――」
タマゴが、リオ様の赤ちゃんが生まれる。




