カイル殿下は信じている
カイルの母であるセイブス王国の王妃は、カイルの出産を命がけで行い、そのまま帰らぬ人となった。
父である国王は母のことをあまり口にはしなかったが、その後他に妃を迎えることもない現状を見るに、恐らく王妃を深く愛していたのだろう。正妃を迎えるべきだと言う家臣が全くいないわけではなかったが、クラウスとカイル、2人の王子がともに優秀だったこともありすぐにそんな声もなくなった。
乳母や侍女は優しくしてくれたが、母の愛を知らぬ寂しさがないわけではない。
それでも、母は自分を産んで死んだのだ。口に出して恋しがることはなかった。そんなカイルを皆が口々に聡明で大人びた王子だと言った。
「私もお母様が亡くなっています。カイル殿下よりずっと年上ですが、今でもお母様が恋しいです。……恋しくていいのですよ」
カイルの寂しさを肯定し、認めたのは、メルディーナが初めてだった。
それがいつ頃だったのか、なんの話をしていたのか、どうしてそんな話になったのかは覚えていない。だけど、その時抱きしめてもらったメルディーナの腕の中の温かさは今でも鮮明に思い出せる。
あれからずっと、カイルにとってメルディーナは特別な存在だ。
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「兄上!メルディーナ様を牢へ入れるように指示なさったとは本当ですか!?」
クラウスの執務室のドアを勢いよく開け、カイルは叫ぶようにクラウスに詰め寄った。王に呼び出され、メルディーナの件を聞き、その足でここに飛び込んだ。
側にいたニールが、掴みかからんばかりのカイルを止める。
「なぜですか!メルディーナ様が本当に毒を入れたと思っているのですか!?」
カイルはじたばたと暴れるが、まだ子供である。ニールに捕まえられその腕から逃げられない。
それでも大きな声で訴え続けた。
執務室のソファに座っていたリリーも、両手で口を覆いカイルの勢いに驚いている。
「カイル様……」
「僕は……聖女様にそのように呼ばれる程、仲良くなった覚えはありません」
暴れるのを諦め、俯いたカイルが絞り出すように呟いた。
「カイル!リリーになんてことを言うんだ!」
クラウスの叱責にも顔を上げないカイル。
ニールの指示で、控えていた侍女が聖女リリーと共に執務室から退室していく。
「兄上……ニール様も、本当にメルディーナ様がやったとお思いですか」
「カイル殿下……俺は……」
「私も信じられない。だけどリリーがそう言ったんだ」
苦しそうな2人の年上の男を睨みつけるカイル。
「メルディーナ様は……メルディーナ様はそんなことをする方ではありません……!!」
「カイル。気持ちは分かるがリリーは聖女だ。聖女が嘘をつけないことはお前も知っているだろう」
「もしも嘘じゃなかったとしても!聖女様の勘違いという可能性もあるではないですか!」
「――私だって!」
クラウスの大声に、カイルの勢いが止まる。
「私だって……メルディーナを信じたい。だがリリーが言う以上彼女がやったことに間違いはないんだ……。何か事情があるのかもしれない。毒だと知らなかった可能性も残っている。しかしあの場でリリーが証言してしまった以上、すぐに彼女を牢に入れるしかなかった。……彼女が回復したら、話を聞くつもりだ」
カイルはその時初めて、兄が心底悔しそうな顔をしていることに気がついた。
「……メルディーナ様は、大丈夫なのですか」
メルディーナは毒を飲んだ。たくさんの血も吐いたと聞く。王族として自分たちがそうであったように、メルディーナも妃教育の一環で毒には少し慣れているはずだ。それなのに、聞いた限りではあまりにもひどい症状……恐らく、随分強い毒だったのだろう。
「牢と言っても、貴族牢に入れるように指示してある。あそこならベッドもあるし、医者もすぐに向かわせた。立場上、リリーの側を離れるわけにはいかなかったが……少し落ち着いたようだから、この後彼女の様子を見に行くつもりだ。お前も来るか?」
落ち着いてよく見てみると、クラウスの顔色が随分悪い。きっとこの兄も本当にメルディーナを心配しているのだ。
「……一緒に行きます」
側で立ち尽くしているニールはずっと、何かを考え込んでいるようだった。
(メルディーナ様、どうかご無事で……僕はメルディーナ様の無実を信じています)
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そんなカイルやクラウスの様子を見ながら、ニールは違和感を抱いていた。
何かが、おかしい。
(メルディーナが本当に毒を意図的に入れたなら、なぜ彼女はあのお茶を飲んだんだ?)
しかし、すぐにその疑問を口にするのはためらわれた。
おかしいのはそれだけじゃない。他にも何かがおかしい。
(なぜ、誰もその矛盾に気付かない?誰もかれもがあまりにも冷静さをかいている。カイル殿下はメルディーナを信じているが……それでもこんなにも声を荒げるカイル殿下は初めて見た。事が事だとはいえ――)
ニールは違和感の正体をうまくつかめないでいた。ただ、少なくとも今メルディーナを庇えば、自分も共犯だと決めつけられる気がした。お茶に触れたのは自分とメルディーナだけなのだから。そうすれば恐らく牢屋行きだ。それでは自由に動けない。今はまだ、拘束されるわけにはいかない。
立場上、ニールは誰にも言えなかった。クラウスにもだ。
聖女リリーが現れてから、ずっと何かがおかしいと感じている。




