クラウス殿下の愚かな本音
私はこのセイブス王国の王太子、クラウス・セイブス第一王子。
数年前からこの国でも徐々に瘴気が濃くなり、このままでは暮らす民に影響が出ると危惧されるようになった頃、王宮が誇る「先読み師」により、精霊王の代替わりの予言がなされた。
「先読み」には多大な魔力を要する。一世一代のエネルギーを賭して未来を読んだ師は2年経った今も眠ったまま。先読み師のアンジェラは高齢の女性だった。命を懸けて臨んだ先読みの功績をたたえ城に部屋を用意し、体と魔力の回復を待ち眠り続けている。
そして眠り続ける彼女の予言通りに聖女が現れ、これで一先ずこの国も安泰だとほっと一息ついたのも束の間。
私は焦ることになる。
「殿下、スタージェス侯爵令嬢との婚約はいつ解消なさるのですか?」
ある大臣が、まるで当然のような顔をしてそんなことを言ってきたから。
思わず顔を顰め、やっとのことで言葉を紡ぐ。
「何を言っている?」
「婚約期間も随分と長くなってしまわれた。解消後すぐに次の婚約を結ぶというのもさすがに少し外聞が悪いでしょうから。早く婚約を結ぶためにも、今の婚約の解消はなるべく早くお願いしますよ」
こちらの戸惑いにも気づかず、なんでもないことのように話を進める大臣。
待て。何の話だ?
「……何度も言うが、私は婚約を解消するつもりはない」
メルディーナが治癒能力を失ってから、何度も打診された婚約者のすげ替え。その度に断り続けて、最近は大人しくなりやっと諦めたかと思っていたのに。今更になってまた終わった話を蒸し返すというのか?何度言われても私の気持ちは変わらないとなぜ分からない?
うんざりした気持ちで憮然と答えると、大臣は本気で驚いた顔をする。なんだ?いつもと同じやり取りになにをそんなに驚くことがある。
「王太子殿下、聖女様を妃に迎えるのではなかったのですか?」
今度は私が驚く番だった。
「誰がそんなことを言っている!?」
「誰もがですよ!殿下とスタージェス侯爵令嬢の不仲は周知の事実!最初はなぜ早く婚約を解消しないのかと……あなた様も何度も打診されたはず。皆、本当に迎えたい相手を迎えるときに困らないよう、お飾りとして婚約を続行しているのだと!そう思ってこれまで何も言わずにいたのですぞ!」
そうして予言の後は聖女を迎えるために待っていたのではないかと。そう宣う大臣に思わず頭を抱えたくなった。
――どうしてそうなる!
「ばかばかしい!私はそんなつもりでこれまで彼女と婚約し続けていたのではない!聖女を妃に迎えるなどと1度でも私が言ったか?」
聞いたという者がいるならば連れてきてほしい。間違いなくソイツは嘘つきなのだから!
なんのために、どれだけ反対されてもこの婚約を守り続けてきたと思っているのか!――メルディーナを、彼女を私の隣に迎えるため以外にあるわけがない。
「しかし!事実殿下は聖女様と仲睦まじく過ごされているではないですか!誰もがあなた方が想いあっているのだと思っています」
「そのような事実はない!」
「殿下!聖女様は婚約を望んでおられます!」
「ばかな!そんなわけがないだろう。彼女も私に婚約者がいると知っている」
「ええ、そうでしょう。何年もまともに会話をしていない、形ばかりの婚約者がいることは皆が知っていますから。……本当にスタージェス侯爵令嬢と婚姻をされるつもりならば、なぜここまで蔑ろにしているのですか?今だけの婚約だと思っていたからこそ誰も何も言わずに静観していたのですよ?」
その言葉に咄嗟に次の反論が出てこない。
――そうだ、確かに私は彼女を蔑ろにしてきた。だが……
思わず彼女の姿を思い浮かべる。
私の前で固い顔を作り、俯きがちであまり目の合わないメルディーナ。分かっている、そうさせたのは自分の態度が全てだと。しかし。
交流のために設けたお茶会。その度にニールの手を取り、微笑んで歩く姿。
昔から、そうだった。彼女はニールの前で心の底から気を許した態度をとっている。恐らく彼女は……ニールを慕っているのだろう。分かっている。始まりは政略だった。貴族の婚約は感情だけで結べるものではない。彼女と婚約を結ぶことになった当初、浮かれた私は彼女の気持ちなど考えもせず……ただ喜んだ。
彼女の気持ちが自分にないのではないかと思ってしまった瞬間から、上手く接することが出来なくなった。――彼女はこの婚約を厭っているのかもしれない。私だけが彼女を隣に望んでいるのかもしれない。彼女は私を……恨んでいるかもしれない。
彼女が治癒能力を失い、婚約の解消を周りから打診された時、素直に応じ彼女を解放してやるべきだったのかもしれない。
それでも、彼女が欲しかったのだ。
それならば誠心誠意彼女と向き合い、その心を得るために努力せねばならなかったのに、現実はいつまでも婚約が解消されないという事実だけに甘え、この体たらくだ。彼女がどんなに嫌だと思っていても彼女が私の妃になることは決まっている。
婚姻し、もう逃げられないとなって彼女の心がニールを諦めた時、ゆっくり愛を伝えればいいと思っていた。
拒絶されるのが、怖かったのだ。
「……殿下、本気でスタージェス侯爵令嬢を妃に迎えたいのならば、早急に現状を変える必要があります。もしも聖女様が妃になる気があると発言でもすればもう取り返しはつきませんよ」
大臣は何も無理に聖女と私を結ばせたいわけではないのだ。全ては私の態度が招いた誤解。
ぐずぐずと悠長にしてはいられない。こうなってはなりふり構っている場合ではない。
聖女が発言すれば、おそらく誰もが信じ現実になる。
「殿下も分かっておいででしょう?」
もちろんだという思いを込めて強く頷いた。
昔から言われ続け、広く知られている真実。聖女は……嘘がつけないのだ。
聖属性魔法を使えるものの特徴と言い換えてもいいかもしれない。聖女は真実しか口に出来ない。
だからこそ、それが彼女の思い違いだろうと、彼女がそう信じ発言すれば誰もが信じる。聖女の言葉が嘘であるなどありえないのだから。
ここに至るまで事態を変える勇気が出なかった私のなんと情けないことか。
それでもやはり、改めて考えてもメルディーナ以外を妃になど考えられない。
私は今度こそ彼女の心を得るためにと、茶会の誘いをしたためた。
「これをメルディーナに」
手紙を託した侍従までもが驚いた顔をする。それほどに私の態度は悪かったのだ。
彼女はもう、私になど愛想を尽かせているかもしれない。ニールのことなど抜きにしても。事実、彼女が王宮へ来なくなってしばらく経つ。
――それでも。
焦る気持ちで、窓の外をじっと見つめた。
この茶会で、恥もプライドも捨て、君を想っているのだと、これまですまなかったと伝えようと……そう心に決めて。




