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4.私の友達

私の家はあまり「良い」家ではないと思う。まず、基本的にお金がない。幼いころから「お金がない」ことが日常で。なのに父親はギャンブルをして。酒を飲んでは暴れて。母親の毒には中学のころに気づいた。機嫌を損ねると徹底的な無視が始まる。その間は母の怒りに触れないように、動けない、呼吸音ですら出さないように、ただ立っている。何よりも辛い時間。高校生になっても変わらず、母親の機嫌を伺い、無視が始まると小さな子供のころに引き戻されたようにただ怯えていた。最近やっと、母の呪いから抜け出そうともがけるようになった。大学でジェンダーやフェミニズム、心理学、社会学に触れる中で、自分の知っている「家族」が異常であることに気づけたから。だから学問は必要なんだと思った。私にとって学びは「救い」なんだと知った。思考をやめてはいけない。疑いを持ち続けなければ「当たり前」に毒されていく。私は「健康」になりたい。父の支配から、母の呪いから抜け出したい。自分の力で、いつかこの不健康な家族から抜け出してやるのだ。

今日もまた、母の無視が始まった。心の中で小さな私が怯えている。けれど顔にも態度にも怯えなど見せてはならない。母を怖がるのはもうやめにしたのだ。

私はもう、この女の所有物ではない。

ネットを開けば、闘っている人が大勢いる。こんな重苦しい夜は彼らの人生を想像する。親と上手くいかない。学校にも家にも居場所がない。言葉や物理的な暴力に曝される毎日。あぁ皆闘っているんだと、顔も名前も知らない同志を想っては泣きながら眠りにつく。


「椋おはよー」

「おはよ、由芽」

大学にいる間は平穏だ。いっそのこと住み着きたいくらいに。

「目、赤いけど寝不足?」

昨日の夜は泣きながら寝たから、充血してるし瞼は腫れてる。顔のコンディションは最悪である。

「そうなんだよー。近代文学のレポートに手こずってさぁ」

「あぁアレねぇ。まず言文を一致させろよって思うよね」

由芽は綺麗に巻かれた栗色の髪の先を触りながら口を尖らせる。

「確かに。古文読んでんのかって気になるわ」

口調も気にせず愚痴れる相手がいるのは幸せなことだなと思う。中高時代、私の周りの友人は皆「性格がいい子」ばかりだった。それは有難いことなのだろうけど、私には辛かった。彼女らの優しくて柔らかい言葉や態度が苦手だった。愛されてきたのだろうと思うと、嫌いにすらなった。私の性格が歪んでいたから。温かい家族の話など、聞きたくなかった。羨ましくて、でも素直にそう思えなくて、いつか彼女たちを傷つけてしまいそうで、そっと距離を置いた。

由芽はいい子だが、いい子過ぎない。毒舌だし嫌いな人だっている、そういう所が人間らしくて安心するのだ。

「宮野さんと岡野さんおはよ、う」

姿を見かけると必ず声を掛けてくる神薙君が、最近は人懐こい犬に見えてきた。いつもならすぐ後ろの席に座る神薙君が、驚いた顔でこちらを見ている。

「おはよう神薙ー。あんたは朝いちでも美人ねぇ」

すっぴんでそれは最強すぎるわぁ、と由芽がぼやいた。

「あ、の。宮野さん、何かあっ――」

「神薙」

神薙君の言葉を由芽が遮った。まっすぐに神薙君を捉えた目は強くて、なんて格好いい女の子だろうと、思わず見惚れてしまった。

「今日レポート提出だよー。ちゃんとやってきたー?」

由芽は神薙君から目を逸らすと、またにいつもの調子に戻った。

「やってきたよー。今回は文献少なくて難しかったねぇ」

神薙君もまた、いつもののんびり口調に戻っていた。

「字数達してりゃいいのよ」

カラカラと笑う由芽の大らかさが好きだ。

「岡野さんと話してると細かいこと気にするのやめよーって思えてくるなぁ」

綺麗な顔を崩してへらりと笑う神薙君は今や日常の一部で、二人のやり取りは聞いているだけで落ち着く。

私は良い友人を得た。この縁は大事にしなければならない。笑っている二人を見て、思った。


「今度の日曜さ、遊びに行かない?あたしと幹太と椋と神薙で」

空きコマにいつもの空き教室で駄弁っていると、由芽がにやりと笑いながら言った。幹太というのは由芽の恋人である。年上の院生で、ひょろっと背が高くて整った顔をしている。あまり話したことはないが由芽曰く、私に似ているらしい。

「なに、その組み合わせ」

カオスすぎやしないか。

「絶対面白いって!」

楽しい、ではなく面白い、という所が由芽らしい。面白がる天才だと思う。

「でもなぁ。私商業施設苦手だし、飲食店とか入れないから迷惑かけると思うよ」

最近、克服しようと頑張ってはいるものの、まだ人と一緒に行動できるほど慣れてはいない。前にチャットで会った人と食事することになったとき、怖くて店に入れなかったことがある。私は外で待ってるから、と言ったら素直に一人で店に入っていった。その間私は過呼吸の発作を起こしていたという嫌な思い出である。

「それは対策を考えている!」

自慢げに笑う由芽。

「弁当持参で公園でピクニックにすればいい!」

「それなら確かに達成可能かもしれない……」

「それに行く場所は植物園だよ、あんたの行きたがってた」

「え!ほんと!?」

由芽が楽し気に目を細める。

植物園と聞いて私のテンションはマックスである。

「ほんとほんとー。なんか幹太が教授から譲り受けたらしいチケットがちょうど四枚。椋を誘わずに誰を誘うというのさ」

「えーー!神じゃん!由芽ありがとう!行きたい!めっちゃ行きたい!」

興奮しすぎて子供みたいにはしゃいでしまってから気付く。

「でも神薙君は?日曜なんて空いてるかわかんないじゃん」

最近は前列に座るようになって、講義の間は見目麗しいグループから離れているけど、休み時間になると途端に人が集まりだす、あの神薙君だよ。休日なんて何か月先も埋まってそうなあの神薙君だよ。

「あぁ、それなら大丈夫。もうオッケーもらってるし」

「仕事はっや」

外堀を埋められていくって、こういう感じなのかもしれない。

「めっちゃ楽しみね、椋!」

私と遊ぶために色々と考えてくれたんだろう。できないことがあまりにも多いから。それでも「行こうよ!」「やってみようよ!」と言って連れ出してくれる。

「うん!日曜日を糧にフェミニズムのレポート頑張るー」

私、由芽に貰ってばかりだ。私も由芽に何かしたい。まだわからないけど。いつかちゃんとお返しできるように、精進せねば。


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