1.神薙麗佳との出会い
私は性格の悪い女だ。
我が強く他人に興味がない。家族からも「人の心がない」だとか「お前といるとノイローゼになる」だとか言われる始末。まぁその通りだと思う。よく言えば変わり者、悪く言えば歪んでいるのだ。だが私は自分のことが嫌いではない。むしろ好きだ。だからこそ人と相容れないのだろうが。
「本当に性格悪いよなぁ」
冬の匂いが混じる空気を吸い込んで独り言ちる。もう日も落ちる夕暮れの公園には遊びまわる子供もいない。
妹が結婚するという話を母から聞いた。妹からは「今日籍を入れることになりました」とLINEが来ていた。喜ばしいことと思う。すぐさま祝福の返信をした。だがどこか心が騒めいてもいた。だから母に気取られる前にと外へ飛び出たのだ。
何故心が晴れないのか。私はなにを思ったのか。考える。気付きたくない心を抉って暴いていく。
いつのころからかの癖だ。思考と感情を切り離す。苦しいときは考える。考え続けていれば立ち止まっても置いて行かれない気がして。何に、かはわからないけれど。
「嫉妬だろうか。華が幸せになることへ嫉妬しているのか」
それもある。
「悔しいのだろうか。自分が愛されたことがないから、誰かの一番になれる華が羨ましいのか」
それもある。
「寂しいのか。妹で、一番の友達だった華の一番じゃなくなることが」
それもある。
全部、本当。
「そうか。私はそう思っているのか。本当に醜いな」
でも、分かった。自分の感情を分析して整理してすっきりできた。それに――
「私の性格が歪んでいるのなんて今に始まったことじゃないしね」
色づき始めた葉が揺れる。最近バッサリと切り落とした髪が頬をくすぐる。
「通話してるのかと思ったら、随分と多い独り言だね。宮野さん」
男性にしては少し長めの、色素の薄い髪。中性的で整った目鼻立ちはどこにいても人目を惹く。
「ていうか、思い切ったね、髪。一瞬誰だかわかんなかったよ」
そういって綺麗な顔でニコリと笑みを浮かべるのは、大学の同級生である神薙麗佳。女性的な名前だがよく彼を表しているものだと思う。
「まぁね。伸びすぎて面倒だったし。それに独り言は思考を整理するための癖だから」
とは言っても、独り言を聞かれたのは普通に恥ずかしい。それになぜ、わざわざ声を掛けてくるのだろうとも思う。大学の同級生といっても教養科目がいくつか同じでゼミも違う、顔見知り程度だというのに。
「面白い癖だね。こんな時間に一人でお散歩?」
神薙君は癖のない亜麻色の髪を耳に掛ける。その様子があまりにも絵になって、存在が現実味のない人だなと思う。
「そう。この時間はあまり子供もいないからね。ぶつくさ喋ってても不審者にはならないかと思って。神薙君はどうしてここに?」
この綺麗な人間をこの公園で見かけたことなど一度もない。
「人気のないところを探してたら偶然、みたいな?」
神薙君ほどの容姿だといつも注目の的なのだろう。大学でも周りは常に人であふれている。見た目が良いというのも得することばかりではないのだな。
「そっか。大変そうだね」
「人といるのも嫌いじゃないけど、たまに一人になりたくなっちゃうからねぇ」
あまり話したことはなかったが、随分と間延びした喋り方をする人だなと思った。冷涼な見た目と違って神薙君の纏う空気はおっとりしていた。
「そう。じゃあ私、向こうのベンチにいることにするわ。独り言もなるべく控えるから気にしないで、ごゆっくり」
本当なら気を遣って立ち去るべきなのだろうとは、流石の私も思うけれど。正直、家に帰るにはまだ時間が欲しい。私は自分の機嫌が一番大事なのだ。
「え?あ、ごめんね。気を遣わせちゃって。後から来たの僕だし、気にしないで!」
長い睫毛に縁どられた薄茶の瞳を丸くして、神薙君はブンブンと頭を振る。
「わかった。じゃあお互い好きにするということで」
ベンチに腰掛け、暗くなりつつある空を見上げた。もう少ししたら月が昇るだろうか。神薙君はこちらに背を向け、長い足を持て余してブランコに腰掛けている。
皆、何かに追われて、何かに疲れて、逃げ出したくなるんだと思った。人に愛される神薙でさえ。その背中を見ていたら、あぁ彼も人間なのだと、そんなことを思った。
「椋、おはよ。ゼミ論進んだ?あたしピンチなんだけど。まじ一文字も進んでないー。助けて椋ー」
文化人類学の講義室、私の姿を見つけるなり駆け寄って来たのは岡野由芽。小柄でふわふわした見た目のわりに適度に口が悪くはっきりした物言いが、私は結構好きなのである。
「おはよう、由芽。私もそこそこやばい。今日図書館寄る?」
「寄る寄るー。てかやっぱりまだ見慣れないなぁ。腰下ロングがいきなりショート!相変わらずやること唐突で面白いわー」
由芽は私の隣に腰掛けながらカラカラと笑う。
「やっぱショートは楽だね。寝癖が面倒くさいけど」
何年振りかに作った前髪を摘まみながらぼやく。
「ちゃんとドライヤーしなよー?どうせ短くなったからってタオルだけで寝たりしてんでしょ」
「面倒くさい……」
「椋は本当にズボラっていうかなんていうか。ちゃんとしてりゃそれなりに美人なのに」
まったくもう、とため息まじりに視線をよこす。由芽にこうやってぐちぐち注意されるのも割と好きなのである。
「人がありがたい助言してるっていうのに何ニヤニヤしてんのよっ」
由芽が私の両頬を引っ張りながら憤慨している。
「宮野さんおはようー」
私と由芽がじゃれついていると、神薙君が見目麗しい集団の中からこちらへ寄ってきた。
「昨日はありがとね。それと頬っぺた、すごく伸びるんだねぇ。餅みたい」
綺麗な顔でヘラっと笑う。由芽はもちろん、神薙君の友人もそれどころか講義室全体の驚いた視線が集まる。非常に心地悪い。
「おはよう、神薙君。そろそろ講義始まるから、席着いたほうがいいよ」
「うん、そうだね」
そういって神薙君は私たちのすぐ後ろの席に座るから、いわゆる一軍の綺麗な方々が背後にずらっと並んで座った。講義が始まるまでの数分、神薙君が他愛もない話を投げかけ続けたので、集まる視線に居たたまれなくなったのだった。