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後編

   

「気持ち悪い話ね……」

 今や真美は、激しい嫌悪の表情を浮かべていた。

「まあ、それはそうだが。もう食べてしまったからなあ」

 努めて軽い感じで言ってみる。

 いや、俺だって気味が悪いとは思う。だが毒が入っていたわけではないし、あからさまな異物が入っていたような歯ごたえもなかった。少なくとも今のところ、体調は悪くなっていないのだ。

 だから俺は、真美の背中に優しく手を添える。

「もう忘れようぜ。美味しいケーキだったから、いいじゃないか」

「良くないわよ」

 真美は眉間にしわを寄せて、俺の手を払いのけた。

「私が買ったのでもなく春樹が買ったのでもないケーキが、どうやって冷蔵庫に入ったの? あなた理系でしょう? 理屈で説明できない現象、嫌じゃないの?」

 こんなところで理系とか文系とか持ち出されても困る。

 俺が何も言えないでいると、

「どう考えても……。私でも春樹でもない別の人が、私たちの知らないうちに、部屋に上がり込んで冷蔵庫に入れたのよね? じゃあ誰? 留守の間に入ってくるって、泥棒かしら? それともストーカー?」

 真美は、突拍子もないことを言い出した。

「どこからストーカーなんて発想が出てくるんだよ……」

「だって泥棒ならケーキ差し入れする方じゃなくて、逆に盗む方でしょう?」

「まあ、そうだけど……」

 一瞬「プレゼントしてくれる方なら、じゃあサンタさんかな?」と口にしそうになったが、それこそ「サンタなんているわけないでしょ!」と返されるだろうから、ギリギリで思い留まった。

「だったら、ストーカーしか考えられないじゃないの。おおかた、まだ春樹に未練たらたらの元カノがいるのよ」

 そう言って彼女は、ポケットから鍵を取り出し、俺の目の前でチラつかせる。

 付き合い始めた時に渡した、俺の部屋の合鍵を。


 元カノ。

 確かに、そう呼べる女性は、俺にも存在していた。

 クリスマスを一緒に過ごす恋人は真美が初めてだとしても、彼女が人生で初の恋人というわけではないからだ。

 だいたい夏くらいに恋人が出来て、秋になると別れる……。それが俺の恋愛パターンだった。

 判で押したように、三ヶ月だ。これまでの恋人は全員、ほぼ三ヶ月が経過した時点で、俺の元から去っていく。

 この経験は「いつも三ヶ月でフラれるんだよなあ」と冗談めかして、真美にも話してある。まだ恋人関係になる前、ただの先輩後輩だった頃に。

 俺は話したことすら忘れていたのに、真美の方では覚えており、付き合い始めてちょうど三ヶ月の日に「今日は記念日だから! 記録更新の!」と言って、豪勢な手料理を振る舞ってくれたくらいだった。

   

「えぇっと……」

 俺の目の前では、真美がユラユラと合鍵を動かしている。まるで催眠術師が操る五円玉のように。

 それにじっと視線を向けながら、とりあえず俺は口を開いた。

「……元カノが合鍵を使って部屋に侵入した、って言いたいのか?」

「そうよ。どうせ春樹のことだから、今までの女の子たちにも、鍵は渡してたんでしょう?」

 拗ねたような声で、真美は俺を問い詰める。

 俺は静かに頷いた。

 確かに、誰が相手であっても、付き合い始める時に部屋の鍵を渡している。交際スタートを示す儀式みたいで、それ自体が嬉しかったのだ。

 ただし、だからといって恋人が俺の部屋に入り浸るわけでもなく、部屋に来てくれるのは俺がいる時だけだから、合鍵の存在意義はなかったのだが……。

 まあ真美にしてみれば、自分が半同棲状態のような付き合い方だから、今までの女も同じだったと思い込んでいるのかもしれない。

「でもさあ。別れる時には、ちゃんと返してもらってるぜ? そもそも俺がフッたんじゃなくフラれる(がわ)だから、元カノが俺に未練なんて……」

「そう、そこよ!」

 何を思ったのか、真美は口をとがらせて、俺の話を遮った。

「要するに、春樹の方から嫌いになったわけじゃないんでしょう? まだ春樹は好きだったのに、仕方なく別れたんでしょう? だったら相手がストーカー化して『やっぱり春樹とやり直したい』って言ってきたら、よりを戻しちゃうんじゃないの?」

「いやいや、それはおかしい。だいたい『鍵は返してもらった』って言ったろ? だから……」

「鍵なんてどうでもいいのよ! そんなもの、こっそりスペアを作っておいたとか何とか、いくらでも説明つくもん! 大事なのは春樹の気持ち! 好きだった女の子からストーカーレベルで執着されたら、嬉しくてそっちへ戻っちゃうんじゃないの?」

 ああ、これは……。

 いつのまにか、理屈ではなく感情論になっている。

 そう思いながら、出来るだけ優しい口調で、ゆっくりと答える。

「なあ、真美。そんなわけないだろう? 確かに別れた時点では、まだ気持ちも残っていたさ。でも今は違う。断じて違う。今の俺が好きなのは、真美ただ一人だよ」

「本当……?」

「ああ、本当さ」

 気恥ずかしくなるくらいに大げさに、キザな笑顔を浮かべてみせた。照れている場合ではない、と思ったからだ。

「それ、証明できる?」

 そんな証明なんて無理だ。理屈ではそう言いたいところだが、どうせ言っても無駄だろう。

 俺はギュッと真美を抱きしめながら、耳元で囁いた。

「愛してるよ、真美」

 すると先ほどの剣幕が嘘みたいに、彼女は静かに呟く。

「……わかった」

 ソッと俺の腕を振りほどき、

「私、お風呂場で顔洗ってくる。春樹もリラックスして、ちょっと待っててね!」

 一人、バスルームへ消えていった。


 取り残された俺は、何もせずに座ったまま、真美が口にした言葉を改めて思い浮かべる。

「ストーカーか……」

 俺の元カノたちが、そんなものになるはずないのだが……。

 そういえば、今夜、帰宅途中で感じた視線と気配。あれこそ、いわゆるストーカー的なものだったのではないのか……?

 俺は妙に背筋が寒くなって、部屋の暖房を少し強くするのだった。

   

――――――――――――

   

 部屋を真っ暗にすると眠れない性分なので、俺は寝る時いつも、室内灯の黄色い豆球だけけっ放しにしている。

 これを真美は嫌がっており、なるべく灯りに背を向ける姿勢で眠るようにしていた。俺を奥の壁側にして、二人で抱き合うような形で眠るのだ。

 本当は、こういうのは二人で少しずつ譲り合うべきなのだろうが……。

 この夜は、俺の性分がプラスに働いたといえよう。


 真夜中。

 悪夢を見て、目が覚めてしまった。

 電柱の(かげ)から現れたストーカー女が、刃物を手にして俺を追い回すという夢だ。

 夢だから理不尽な部分があるとみえて、そのストーカー女は元カノでも何でもなく、知り合いですらなかった。全く見覚えのない女性に襲われるという、狂気の内容だった。

「まあ俺は、そんなにモテる男じゃないから大丈夫……」

 小さく独り言を口にしながら、パチリと目を開ける。

 すると視界に入ってきたのは、長髪の見知らぬ女。

 ベッドの近くに立って、包丁片手に、こちらを見下ろしていた。


 全身が凍りついたかのように、俺は硬直してしまう。だが、

「なんで勝手に食べちゃうの! しかも、こんな雌豚と一緒に!」

 叫びながら女が包丁を振りかざすのと同時に、かろうじて体が動き出してくれた。

「起きろ、真美!」

 右手で突き飛ばすようにして真美を起こしながら、左手で侵入者の腕を押さえつける。刃物を持つ右腕の方だ。

「ちょっと何なのよ、もう……」

 夜中に叩き起こされた真美は、寝ぼけまなこを擦りながら文句を言っていたが……。

「……きゃあっ! どうしたの、これ! 誰よ、いったい!」

「警察に電話! いや、俺に加勢しろ!」

「わかった! 任せて!」

「何が加勢よ! やっぱり私よりも、こんな雌豚を選ぶのね!」

 真美が状況を把握してから後は、もうてんやわんやで、むしろ俺が詳しく覚えていないくらいだった。


 結局。

 刃物を持っているとはいえ、侵入者は女性であり、しかもかなりひ弱な女性だったらしい。俺と真美の二人で、なんとか取り押さえることが出来た。

 それから、警察に通報。

 やってきた警官たちから色々と聞かれて、本当に大変なクリスマスになってしまった。

   

――――――――――――

   

 かなり後になって、警察の捜査も完全に終わってから、ようやく教えてもらえたことだが……。

 あの夜、俺たちを襲った女性。彼女は、前の住民の元カノだったという。あの部屋で俺の一つ前に暮らしていた男が当時、付き合っていた相手だ。

 その男は甘いものが苦手だったので、彼女は今回もビターなチョコレートケーキを用意したのだった。

 つまり、あの女は差し入れの相手を間違えていたのだ。今でも昔のカレが同じ部屋に住んでいると思い込んだまま、数年ぶりに復縁したくなって、誰もいない間に忍び込み、冷蔵庫へ入れておいたらしい。

 付き合っていた頃は、そうやって留守中に上がり込んでプレゼントを仕込んだりするのを『サプライズ』と称して喜んでいた。そういう習慣の二人だったそうだ。

「そのために、彼は私に合鍵をくれたのよ……」

 彼女は、しみじみと呟いたという。


 元々は二人で食べるつもりのケーキだったからこそ、特におかしなものは混ぜていなかったのだろう。ストーカーじみた行動に出る女ならば、薬を盛ったり、髪の毛とか爪とか入れたり、色々やっても不思議ではないだろうに。

 そんなケーキでなくて良かった。これだけは、不幸中の幸いだったと思う。

 この話を聞いて少し納得したのが、襲撃時の「なんで勝手に食べちゃうの! しかも、こんな雌豚と一緒に!」という発言だ。ストーカー女の思考回路なんて理解したくないけれど、一緒に食べるつもりのケーキを他の女と二人で食べられてしまったと思えば、ああいう言葉が出てくるのも、わかるような気がする。


 わからないのは、彼女が俺を目視した後でも、元カレだと思い込んでいたこと。電柱の(かげ)から見守っていたのも彼女だったわけだが、いくら暗い夜道とはいえ、見間違えるものなのだろうか。それほど、その男と俺は背格好が似ていたのだろうか。

 それに、ケーキを冷蔵庫に入れる時、部屋の備品がすっかり変わっていたことに、気づかなかったのだろうか。

 だが、これに関しても警察の人が説明してくれた。

「新しい女に合わせて変更したのね! 髪型もファッションも、そして部屋の模様替えまで! それほど新しい女に入れ込んでいるのね!」

 彼女は、そう受け取っていたそうだ。


 なお、事件の後。

 当然のように、大家さんに言って、部屋の錠前は交換してもらった。二度と、以前の住民の関係者に侵入されないように。

 そして、この一件を教訓として……。


 その後。

 大学院を修了し、就職した俺は、転勤などもあり、何度か引越しを経験することになった。もちろん、まだマイホームを建てるほどの身分ではないので、賃貸住宅の連続だ。

 そうやって新しく入居する(たび)に、たとえ契約書に書いてあろうとなかろうと……。

 俺は不動産屋と家主に頼み込み、きちんと立ち会って確認した上で、錠前は必ず新しいものに付け替えてもらっている。




(「黒いクリスマスケーキ」完)

   

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