そしてこれからの私は…
6.(最終話)
もう………何もかもが嫌になった………
私はもう、所詮………狸の出来損ないなのだ。
そんな言葉だけが頭を過り、そうして私はまた、彩夏の笑顔を思い出す。けれどもその笑顔も断片的で、むしろ私を何か鉈のようなモノで切り裂くような、その一歩手前のような笑顔をしているのだ。そうして彩夏が突然、顔の仮面を剥すと出てくるのは、かつて私が遊んだ女だった。更に彼女は仮面を剥し、今度はまた違う、かつての大学でのマドンナ的な柔道の先輩の顔が出てくる。私はそれらの顔の繰り返しで増々眠れなくなり、ホテルのベッドの上で一人蹲る。アルコール臭い自らの息を感じながら、ガンガンに響く自らの頭痛を共に味わい、そうして考える事を全て停止させようと増々焦る。すると、どこかで、
「もう、疲れたでしょう?お休みなさい、ねっ」
と、声を掛ける顔の見えない一人の女の人がいて、彼女に促されるかのように、私は眠りに就いた。
翌朝はヒドクいいお天気でヒドク二日酔い。大阪の乾いた空。
そのままやや遅刻気味だから酒臭いままで仕事に向かう。
もう、過去の呪縛、自分で作った呪縛と過去の輝きを(輝きと言っても大した輝きでは無いが)対比して見るのはいい加減よそうじゃないか、何しろ今は今だ。過去があっての今なのだけれども、過去の自分に縛られた所で何一ついい事なんてありゃしないじゃないか、そう言い聞かせるがそれでもそれは、私自身が全うに社会生活に溶け込んでいる時だけだ。社会生活から一歩外れるとまた、忌わしい記憶達が顔を覗かせる。私を苦しめる。私が背負ってしまった呪縛、それは人を傷つける事、単にそれだけじゃない。自分もそれ以上に傷付いている。そんな事を考えながら阪神電車に一人乗る私が居る。相変わらず酒は抜けない。
………時が癒してくれるの?
なんて綺麗ゴトでなんて片付ける事も出来ない虚しさばかりがいつも心に鳴り響く。結局私は、私が歩いた軌跡と常に真正面から向き合い、生きて行くしか方法が無いのだな、そう気付いて再び前を向く。けれどもそれは痛みを伴って。もう、無邪気だったあの頃に私は戻る事など、出来ないしやらないのだから。
過去と事実は変える事など出来ない。また一つ、私は私の中で割り切れない過去を昨日、新幹線の中で作ってしまった。言い訳はしない。自分で選択した事なのだから。もうそれ自体を変える事など出来ないのだから。その事を彩夏は気付いているのだろうか?気付く訳は無いな。そんな事は私のヒトリヨガリなのだから。
人を傷付けた事………。
何人の人を今迄傷付けたのだろうか?
それはさっぱりもう、私には判らなくなっている。この十年で色々な事が変わった。色々な事が起きた。私自身はウエスト六十二だったのが七十九迄増えたし、訳の判らぬ病気を患った。仕事も変わった。かつて私が行った仕事は私には嘘を付けないし此奴は常に私の後ろを歩き続けている。大学を出て、就職し、私が見た理想とは全く違う現実にうぐぐっ、と小さな心を悩ませながらもそれでも鷹に喰われる鳶の如く、一歩一歩進んできた。そうして苦しんだ私自身は何を手に入れたのだろう?仕事は私を確かに裏切らない。それは私が造り上げた実績があるから。それは私が造り上げた失敗があるから。かつて、東北の某地域の地域経済を俺の手で少しは今よりも良くして見せる、とリキミカエッテイタ頃の私は、事実それだけしか考えておらず、どんなに辛かろうが、どんなにお客様である世の中の社長サンに怒られようが、批判されようが、非難されようが、そんな事捨て置け、と言わんばかりに前を進み続けた。お陰でその地域に私の残骸、私の足跡は何とか残す事が出来た。今もちゃんと存在している。縦横斜の組織体系を一年がかりで整備し、動機付けをし、賛同も得て、遠くは最上からも賛同シテクレル人も何人か居たからどれだけ私にとっては有難かったか、その恩は計り知れない。だからどんなにその道のりが辛くとも、最上やら酒田の程近く迄足を何度も伸ばした。往復で起点とする場所から六時間。一回の東北出張で僅か四日間、うち東京からの移動を勘案すると半日×2は潰れるから三日間の出張を二十三〜二十五だった私はほぼ毎週、正月以外は毎週、お盆も東北に行き、レンタカー屋の大常連となり毎回、必ず千五百キロは車を乗り回し、ありとあらゆる場所に自ら赴き、そうして各地の方々に説得、納得をして貰えるような営業やら何やらをして来た。そんな私に会社からも、あいつは馬鹿だ、駄鯔吹くトンデモナイ奴だ、経費の、ガソリン代の、無駄遣いだ、などと誹謗中傷を受けた。けれども私はそんな野暮天の言う事など、と放って置いた。当時付き合っていた彼女の相手は週末だけ。物理的に仕方が無かったし一応は納得してくれていた。
そうしたら………
………結局は“それ”と引き換えに私は自らの健康を失った。
更に結局当時付き合っていた彼女も失った。
「私と仕事、どっちが大事なの!!」
と捨て台詞を残して。
因果応報だと個人的には思っている。それは残念だがほぼ間違いは無いだろう。健康を失って、ありとあらゆるモノを失って今年で三年目の春、梅雨、夏を迎える。彼女との別れの最後のトドメを刺したのは去年の黄金週間だ。私が傷を付けてしまった事、私が傷付いた事は一体何なのだろう?何者になるのだろう?時が癒してくれるの?それとも新しい出会いが私を変えてくれるの?それは自分自身で求めないとどうにもならない事じゃないの?全く判然としないし何度自問自答を繰り返し、傷付き、哀しみ、呆れ、恨み、妬み、それでも信じて、それでもまた裏切られ、裏切ってしまい、そこから生まれる悲劇、それを喜劇に変える事は出来るのだろうか?だけれども一つだけ判る事実、それは自分で自分を愛せなければ、誰が自分を愛するのだろう、なんて綺麗な言葉は今は要らない。ただ、前を向いていれば………それでいいのかも知れない。
そうして今日もまた、折角明石に来たんやから、と訳の判らぬ関西弁を取り繕ってニタニタと一人で苦笑いをし、酔い覚ましになるだろうか、と疑問に思いながら明石焼きを食べている私がいる。店員さんにソースか醤油を、と頼んだら、
「これはお出汁で食べるんですぅ。」
と断られてがっかりする私が確かに今、ここにいる。明石焼きを口に頬張った瞬間、熱すぎて火傷しそうになってまたうぐぐっ、となっている馬鹿な自分が少しだけ、愛おしい。
最後迄お読み下さり有り難う御座いました。
今後とも宜しくお願いします。是非ともコメント・ご評価などお書きくださいませ^^