そして北新地へ
5.
「北新地」には行くのも初めてだし、何がどうなっているかなど全く判らないのだが、実は多少縁はある。大学二年生の頃、十九から二十歳に変わる直前のある時期に私は銀座でアルバイトをしていた。その会社は「北新地」でそれなりの成功を収め、次は東京銀座だ、という社長の意向により銀座に進出した、という会社で「北新地」では当時幾つかのスナックやお寿司屋さん、割烹を出していたのだ。同じやり方が銀座で通用したかどうか、究極の答えはもう判らないが私が知る限りでは全くのペケだった。借金は膨れ上がり、お店の女の子に出す給料もままならない、いつも通帳を管理し、同じアルバイトさんを纏める役目を私がしていたので、いつも今のメガバンク、Mさんの新橋支店に週一で通帳記入しに行くのも私の仕事で、膨れ上がる借金に何がどうなるとこうなるのか、おどろおどろとびびりながら通帳記入をし、集金業務に出掛け、僅かな回収金を貰う為にありとあらゆる交渉術を身に付けた。銀座にはもうそのお店は出していないと私は調べてみて判っていた。だとしたら「北新地」に戻っているのでは無いだろうか。そんな感傷モードで過去の思い出にひたりつつ。
まずメインの“筋”をプラプラとまずは歩いてみて探してみたがよく判らない、そりゃそうだ。ここは大阪の銀座、スナックやらラウンジやらがゴチャゴチャに入り組んでいるのだから素人の私には判る訳も無い。本当に訳が判らないで仕方無しにこの十年で身に付けたロケハン術をフル活用し、傾向を摑む事にしよう、と頭を切替えた。するとどうやら素人判断だが、三本の道筋から成り立っている事が判明。大阪駅寄りにまずスナックなどが林立し、また、大阪駅寄りの入り口と逆側の入り口には凡そ、バーなどの、“入りやすい”お店が並んでいる傾向があるようだ。流石大阪、客商売に慣れているだけあり、やや、閉鎖的で四角四面の銀座とは異なり、ちゃんと表を向いているような雰囲気が出ている。ただ、今やもう全国各地で見受けられる光景の一つである、所謂“○○式マッサージ”イコール“マッサージ”とは言い条で、最終的には性的サービスをアジア系の、主に不法滞在をしているサービス嬢が施すマッサージ”もちゃんとあった。銀座だと内側にあり、やや隠れているような雰囲気を出している。歩き慣れないとどこがそうなのか、多分銀座は判らないだろうな、と、思っていたらば、
「マッサージュ(母国語の関係で必ずこう訛る)いかがですか〜」
と、誰彼構わず声を掛ける女性呼び込みを見て思った。
そうして段々道を歩き進めると、これは銀座でも良く見掛ける光景の一つ、所謂“お見送り”。華美な衣装を身に纏った“お姉様”並びにそれら“お姉様”を取り纏める“ママ”若しくは“チーママ”はカチッと着物姿。流石にもうどこでも髪型を島田にする人はいないのだが、着物にふさわしい髪型をちゃんとしている。どんなに日常的な強さの強風でもその髪型は崩れやしないだろう、と思われるような強力にセットされた髪型に白粉が夜の繁華街に映えるメークアップでアイライン、口紅、マスカラなどが強調されているのが良く判る。そんな私の眼に突然、ママ、に混じってオカマのママさんも居た。大勢のオカマに見送られて客も上機嫌だった。これは、銀座にもあるのかも知れないが、私が知る限りでは見た事は無い。銀座のすぐ近くに新橋があるから、そっちは新宿二丁目・上野と並んでのホモセクシャルの聖地的存在なのだから、そっちに流れるのだと思う。
そういうあれこれの姿を見る度に思い出すのが、私を可愛がってくれた某スナックの“大ママ”さん。もう御歳八十位になるのだろうか。当時はまだ現役で、コアなファンも多かったが今はどうしているのだろう?あの、塩沢トキみたいに膨れ上がった、銀座の中でも一目見たら忘れられない頭は健在なのだろうか?そんな事をフト思い出す。思い出しながら他に目をやると店に急ぐママさんもいれば、買い物をしているママさんもいる。店を上がり、これからどのバーで今日は飲もうかしら、と物色するママさんもいれば、ボーイさんと何やら険しい表情で話しをしているママさんもいる。一体ここにはどれくらいのママさんがいるのだろうか、そんな事に頭が切替わる。
歩き続けると寿司屋、焼肉屋、串カツ屋などの純粋な飲食のみを提供する特殊飲食店では無い飲食店が林立し始める。どうやらその裏にはコリアン系の飲食店もあるようだ。雰囲気としては、どちらかと言えば上品な台東湯島、といった感じだろうか。表裏一体、という感じだ。
二周位“キタ”を廻り私はとうとう裏道に辿り着く。
私は結局裏筋のバーに入り、そこでグテグテに酔っ払った。自分から進んで呑まれに行くのだから性質が悪い。とにかくエズラのブルックスから口当たりのいいオールドに移して、それからアーリーをロックで、更にはブッカーズ、もうこの辺に来ると自分の脳味噌は酒で一杯になり、何が何だか訳判らない程判断能力が失せてくる。これでいい、これでいいんだ、そう思いながら尿意を催しトイレに、と立ち上がると込み上げるのは尿意と共に吐き気。急いでトイレに行き、小水を済ませた後の嘔吐。白いトイレの便器に手をやりながら、自分のつい先程の不甲斐無さ、そして更にはその十九二十歳の頃にアルバイトをした会社を自分の手ではどうにも出来なかった、どうにも守る事など出来なかった、などという嫌悪感、無力感が私を襲い、それから忘れる為に自ら進んで呑まれるのだ、だからこれでいいんだ、という身勝手な自己完結へと頭の中は進んでいく。酔いと共に。こういう、かなり性質が悪い酔い方しか、もう二十八の私は出来なくなっていた。二十歳の頃はそうでも無かったのだが、この八年で相当身体は弱くなったみたいだ。そんな事も改めて再認識した。そして再び着席した。
生ぬるいバーの空気で段々と、更に酔いが廻る。頭の回転が遅くなる。喋る口調がおかしくなる。不思議と楽しくなる。躁と鬱と例えるならば“躁状態”だと思う。そうして浮かんでくるのはいつも決まっている。私に優しくしてくれた人達を私の不甲斐無さで裏切る結果となってしまった、その優しくしてくれた人達の笑顔ばかりが頭を過る。そして再び私は鬱になる。今回は彩夏の顔ばかりが頭を過る。もう、消えてくれ!!
表に出ると雨が降っていた。
雨に逃げるようにして二件目に梯子酒。ここでもちょっとキツメのお酒をカックライ、更に自らを馬鹿の世界にドンドン、グイグイと追い込む。迎え酒だ!!と訳の判らぬ意気込みでバーの扉を開ける。するとバーテンダーさんは、明からに初めて来た私の風姿を見て、びっくりしていた。
「こんな裏路地のバーに一人でほぼ手ぶらでやって来るお客様は珍しいですよ。看板すらうちは出してはいない。だから常連さんしか普段は来ないのですが」
遠廻しにどうやら一見さんはお断りですよ、と仰っているようだ。そこはもう、水の世界の元住人、そう言われても何も気にせず、逆にこういう時は正直にありのままに話すのが一番だ、そうすれば相手も心を開いてくれるだろう、開かなければもう、最初の一杯だけにして、出された乾き物にも手をつけずに、煙草を吹かしてとっとと帰る、それだけだ。だから正直に色々と身の上を話したら、どうやら物分りのいい表情をこのバーテンダーさん=マスターさんは浮かべる。そうして、色々とサービスを施してくれた。
そのまま、マスターさんの心遣いにちゃんと感謝しながら、何杯かグイグイとロックを開けて私はホテルに戻り、グーグーと眠る。けれども雨音に響く何とも言えぬ孤独感に苛まれて、私は寝れない。
もう………何もかもが嫌になった………
私はもう、所詮………狸の出来損ないなのだ。
本当、狸の出来損ない、化ける事すら出来ずに今はこうして………
次回最終話です。