いつもそこには苦笑いだけが…
私のhttp://ncode.syosetu.com/n5288a/(鉛色の空を見上げて)の後編に当ります。この小説だけでもいいですが、前編と併せてご覧頂くと、前後関係をご理解頂けると思います。
1.
その日私は急な大阪出張が決まった為焦ってネットでMホテルに予約、市営地下鉄御堂筋線中津駅の直結らしい。大阪の地理にまだ疎い私には持って来いである。たまたま一部屋キャンセルでも出たのだろう、何度かネットで検索していたら、いいタイミングで予約が取れた。また、泊まり営業だからと訪問先のアポイント、私が東京の会社を空ける間の管理体制などの確認にただひたすら忙殺されていた。漸く会社を抜けて大阪に出る事が出来るような形を整えられたのは夜の九時ちょっと前。大阪行き新幹線の終電間際だった。東日本橋に程近い会社事務所から昼間に買った外にさらされているYシャツや肌着類などをまとめて靖国通りを出た。すると一気に緊張感が解けたのか、
「もう歩きたくないな。いいや、自腹でタクシー使おう」
と、何だか急に一人になった故か、気が抜けてしまった。そうして私は日頃の運動不足を言い訳にタクシーに乗り込む。新幹線出発十分前にタクシーは東京駅八重洲口に到着。そのまま焦るようにして切符を交換しようとした。切符はYシャツを買った序に営業先の八重洲で買ったから財布によし、ある。しかし指定席はもう窓側が満席で通路側しか残っていない、と券売機は残酷ながらも当り前の通知。うぐぐっ、と歯軋りをしながら、私は、「じゃぁ、自由席でいいや」と、指定席交換を諦めてそのまま新幹線のホームに向かった。先週の名古屋でも実は同じ様な事をした。今週は大阪だ。
連続の出張で何だか東海道新幹線がもう慣れてしまった感があり、要領良く自由席の窓側の座席に座る事が出来た。それに元々私自身は今の職場に就く前は出張の連続で、毎週東京と色々な所を転々としていたのだ。故に私はいいのだ。けれども社内では管理者たる私が先陣切って営業に、しかも出張に出る訳だから、と、てんやわんやなのだ、とは最近社長が私の顔を見る度に愚痴を零す。もっと俺の傍に居て俺を助けろ、そうとでも言いたげな顔をしているのだが、私は無視している。心の中では、しょうがないじゃないか、私が今打って出なければ誰が売上を伸ばすのだ?、と思いながら。更には東京の市場はもうこの二年で開拓し尽した感が正直ある。勿論、開拓し尽した訳など無いのは先刻承知、けれども東京でこれ以上、今の状態をやっていったとして成果は果たして生まれるか?、営業マンとして、私の疑問はそこだった。そうならばまだ未開拓である大阪に今打って出れば、自社の開拓基盤が出来ていない訳だからいいのではなかろうか、と思いながら。
今の会社は出張ばかりしていた前職とは異なり全く出張など基本的には無い。やる仕事もターゲットとする市場も異なるのだから当然だ。前の仕事は全国津々浦々とある居酒屋チェーン店で、私はそこでの開拓業務、即ち店舗買収などの仕事をしていた。今は全く畑違い、空調設備関連の仕事だ。しかも社員三十名と満たない前と比べるとどうしても小さな会社だ、と思ってしまう。更には都内を中心に営業をしている会社なので、イレギュラーなケースとして出張は扱われてしまう。その為二週連続での出張を敢行する私に社内は非難の眼が浴びせられる。外で遊んでいるのでは無いだろうか、と。何だかそんな非難に私は少し居た堪れなかった。この春に管理職になったばかりで迎えた今秋なので尚更で、
「吉野は管理責任を怠って自分のしたい事だけをしているんじゃないのか?」
などと更に追い討ちを掛けるようなあらぬ疑いも掛けられてしまい、私は日々太田胃散が手放せなくなっている自分に気付いた。またぞろ、
「管理する側の立場であるお前が何でいちいち出張に出掛けるんだ。そんなの要領良く部下に任せればいいじゃないか。お前が東京に居てくれないと困るんだ」
とのたまう私を拾った社長はじめ、各現場担当者、製図などの図面を引く技術者の声も後ろで感じていた。
けれども、このお客様は営業サイドから言えば私でないとちゃんと対応が出来ない、だから仕方が無いでしょう、と反論したいのだが、そもそもうちの会社は営業自体がまた未成熟の会社だから誰も理解すらして貰えない。理解者がせめて一人でも居れば、そう思い私は友人の沢亘にスカウトの声を掛けて、漸くそれらしくなったのはついぞ最近の事である。けれどもこれも良し悪しは当然あり、沢亘は順応性が私と違い高いから、段々と廻りの雰囲気、即ち技術マンの言いなりになり始めているのだ。これは不味い、どうにかしてガンガンと営業をしていた頃の彼の姿に私が戻さなければ誰が戻す、と最近はそんな事ばかり考えている。
それに………まぁ、これ以上はもう止そう。本当の愚痴になってしまう。
こんな状況下での出張だから本来冷静で居られる訳が無い。また私個人の事情もある。夏に母親がくも膜下出血で緊急入院した。手術は終わったがまだ意識もマトモでは無い。ここ最近の私を取り巻く過度のストレスも原因の一つでもあるのだ。そこで父親が私を呼び出して、
「ああなっちまったのはお前が原因だろう。今迄散々迷惑を掛けてきたんだ。親不孝ばかりして来たんだ、………せめて金だけは出してくれ」
と、言われたばかりだった。そこで虎の子の貯金を私は叩いて今後の生活をどう設計しよう、と考えているので尚更冷静で居られる訳など無い。ただ嬉しいのは母親の病気は予想以上に早く恢復に向かっているとの事が確認取れているのでそこは一応安心はしている。余り田舎の母親には、父親にも私は年に数回しか連絡を取ってはいなかったので、この母親の病気を境に急に毎日連絡を取るようになった。それにうちの実家は福島白河だ。毎週末は必ず白河に新幹線で戻るように当初はしていたが、もう段々金も底をつき、今は終電間際の鈍行列車で帰り、宇都宮の漫画喫茶で一泊してから翌朝白河に向っている。黒磯迄行ってしまえば高校時代の友達も居るので、そいつに車を借りたり送ってもらったり出来るのだが、ここの所、仕事が忙しいので黒磯行きの最終電車に間に合わないのだ。だから私は見も心も疲弊していた。まぁ、天変地異でも無ければ今すぐ死ぬ、という最悪の事態はもう無さそうだ。なので少しは安心出来る。切符を交換し、改札を通りホームに向う間私はそんな事を考えていた。
ゆっくりと発車する新幹線の表の景色を眺めながら今迄の色々な事を考えては、もう逃げたい、もう逃げたい、そればかり考えて逃げたくなる自分自身の弱さに改めて情け無くなった。電車はゆっくりとそのまま品川駅に到着した。乗客が傾れ混み一気に車内は混雑して来た。そんな混雑している車内を尻目に私は適当に駅のホームで誂た弁当を食べて、喫煙車に移動して煙草でも吸うか、と席を立った。
………その時、私は自分の眼を疑った。
「彩夏?彩夏なのか?いや、まさか。こんな偶然はあるのだろうか?」
本当に自分の眼を疑った。最近、ここ数年で極端に眼も悪くなっているからなぁ。でもあの顔は忘れられない。間違いが無いだろう。けれども今再会した所で何か話すべき事などあるのだろうか?
私はここ数年、めっきり以前持っていた自信を失っている。気ままに、
「おう、久し振りじゃんか」
とでも言えればいいのだが、その一言が出ない。その原因は一昨年に私は交通事故を起した。その故だろうか?或いはその後に仕事の遅れを取り戻そうと躍起になって過労で倒れてしまった故だろうか?その時に私は心の中で何か大事な物を失ったような気もしなくは………無い。
仕事人間と言えば聞こえはいいのだが、実際は週末にやる事が無く、ダラダラと漫画本でも読みながら部屋でボンヤリとしている、ただそれだけなのだ。草野球がある時は充実しているけど、それも何だか空虚な充実で、残るのは筋肉痛だけ。仕事は身体張って迄やったお陰で順調だった。けれども、身体を張った代償は思いの外大きく、思い出したくも無い位惨憺たる労苦を背負わされている。今こうして前泊をするのも、それが故である。
………もうあの輝いていた頃の自分など、見る影も無い。