3 王都は騒がしく、そして美味い
「もう着いた頃かしら?」
「だろうな」
側仕えのユンカーフが静かにティーカップへ紅茶を注ぐ。
申し遅れました。
私はメルカフェア・サフスラシェ・カノーヴィルといいます。
フェローシェの長にしてヴァルハイト種現"祖"、エヴァークナの孫にあたる、エールゲイル王国生まれの始祖族です。もうすぐ88歳になります。もうそろそろ若年の部類から出る歳頃ですね。
"祖"というのは、始祖族の種の中で最も年上の方を指す敬称です。
私の祖父はフェローシェの長でもあるので、王国にはフェローシェの王様として認識されています。非公式ではありますが、私は王家の血をひいていることになります。
娘のシルヴィアが王都の学術院へ向け出発したのは二日前の朝のことです。
「少しでもまわりと自分の溝を埋めることができればいいのだけれど……」
温かい紅茶を味わいながら、もういくつか顔を出し始めた星々を窓から眺めた。
シルヴィアは生粋の貴族生まれにも関わらず、その性質はどこからどう見ても空島育ちの始祖族です。多種族国家であり、ほかの種族の価値観や文化に多く触れているにも関わらず、です。
つまり、この国で育ち、当然の如く持ち得るはずの貴族としての常識、この国の国民に共通する常識が悉く欠如しているのです。
たとえば、私達が腹部から下を完全に失ったとしましょう。私達は肉体の依存度が極めて低いため、子供でもなければ瀕死状態に陥ることもないでしょう。
しかし、他の種族は違います。
竜族や天族、魔族であれば、死ぬまではいかないかもしれません。
けれど、肉体に依存度が大きい下位階の種族では確実に死に至ることでしょう。
さすがにシルヴィアはそれを知っているはずですが、それは知識としてだけです。他にも自分を平均とした感覚が、他の方々との間に溝をつくる大きな要因となるでしょう。
酷い時は排除すら試みるかもしれません。そして、その行動すらなんの疑問も持たないでしょう。もしも排除を考えるならばそれは、相手の敵対行動に対する正当防衛という認識でしかないからです。仮に相手から見れば一方的な攻撃だったとしても。
王国では温厚ととられていますが、それは大間違い。私達は温厚ではなく、無関心なのです。
痛覚のない精霊種に痛みを理解しろというのと同じです。最初からそいういう性質なのは、生まれたときから決まっているものです。
だからこそ、それを経験させるために外に出した。それでも。
「あの子、上手くやっていけるかしら?」
自分が放り出したにも関わらず、メルカフェアは非常に心配だった。
一応、ストッパーとして自分の側仕えのマルティネスを付けたが、心配なものは心配である。
「問題ないだろう」
妻の心配を見通すように、夫のデイヴィッドが呟いた。
「あの子は聡い。すぐに他人との差異に気付くだろう」
夫は特に心配していないようで、空になったカップを静かに置いた。
「妹弟に追い抜かれる現実を突きつけられる家の中ではない分、のびのびと過ごせるはずだ。同じくらいの子供達とのふれあいも良い刺激になる」
夫の言う通りかもしれない。自分は少し過保護な所があるから、心配しすぎだろうか。
「…そうですね。案外、楽しく過ごせるかもしれません」
そういえば
ふと、寡黙な夫によく似ている娘の悪癖を思い出した。
「慣れない場所だから、嫌なことを溜め込んでいなければいいけれど……」
やはりメルカフェアは、最後まで娘が心配で仕方なかった。
○ ● ○ ● ○ ● ○
「ひゃっほーっう!王都!王都最高!」
そんな両親の会話などいざ知らず、シルヴィアは普通に王都 マルガスを満喫していた。
「マルティネス!あれはなんだ?」
「王城です。王族の方々が住んでおられる場所です」
「あの塔は?」
「刻印塔です。国民登録の有無を判別する装置です」
「この店はなんだ?」
「魔法道具の専門店ですね」
すばらしい。外に出てみて正解だった。
いや、違うな。
外に出ることを進めてくれたお母様の慧眼に感謝だ。
そりゃあ、最初に一歩踏み出した感想は酷かった。
暑い。
眩しい。
騒がしい。
もう外に出た瞬間自室のソファにダイブしたくなったくらいだ。
というか、実際駆け込もうとして捕まった。
特にイヤなのは、この頭の羽である。これ、実は敏感なセンサーでもあるのだ。余計な音やら熱やら、もう煩わしいくらいに拾ってくれるのだ。不愉快極まりない。
出発直前になって、急遽、自身の肉体が受けとる振動及び光波の信号の認識阻害の魔術式を考えたレベルである。
おかげでだいぶマシになったが、やはりこれは慣れるしかないのだろうか。
それはそうと、王都!最高!これに限る。
自室で黙々と研究しているのもいいが、他人の構築した魔術式を見るのもなかなか良い刺激になる。パッと見で魔術式が理解できないものもある。分解…じゃなくて、後でどんな構築をしているか調べたいものだ。ぜひともサンプルに欲しい。無理は承知で。
「これはカラク石を使っているのか。小さいし魔術式も簡単なものだが、その分効果的な魔力配分を行えるのか」
魔法道具の専門店に飾るように置かれたイヤリングを摘まんでまじまじと見つめる。
今まではより高度で細かな軌道修正の効く魔術式を考えてきたが、単純だが誰でも扱うことができ、さらに長期間使える術式は考えたことなかった。それに、これは石に直接魔術式の陣が描かれ、貝のように二枚重ねにすることで二つの効果が得られる。陣が石の内側に刻まれているのでそう簡単に陣が消えることもない。おまけに花を象った金属の飾りがきれいでなによりカワイイ。
なるほど
最低限の機能を維持して凡庸性を高め、量産化と効果増大を図っているのか
ボクの魔術式は実用性に欠けるものが多いからな
新しい考え方に触れるのは実に良い。これだけ楽しみがあるなら、教師もまあ、やっていけそうである。
「すん、うん?」
路上に漂う芳ばしい香りがボクの鼻を掠めた。見てみると、何か串に刺された焼肉のような物が売られている。
「マルティネス、あれは美味しそうだ!買おう!」
平民が列をなしていることから、あれは美味しいものだと推測した。というか、串に付いた肉をそのままかじって食べている者が何人か近くにいるが、みんな美味しそうに食べている。
要約するとボクも食べたい。
「マルティネス!」
「…………」
「マルティネス様、流石にあれは……」
お金を管理しているのはお母様から付けられた側仕えのマルティネスだ。つまるところ、マルティネスがお金を渡してくれないとあの串焼きが食べられない。
マルティネスが難しい顔をする中、侍女のピテラルがマルティネスに制止をかける。たぶん、お行儀が悪いだの平民の食べ物を貴族であるボクが食べるだなんて、とかそう言うつもりだろう。
ボクは口を開きかけるが、やはり、元お母様付きの側仕えは話のわかる方だった。
「いいでしょう。奥様なら、何事も経験だと仰られるでしょう。ただし、購入はわたくしがしますので、シルヴィア様はどこか座れる場所で他の者とお待ちください」
マルティネスはそうボクに伝えると、颯爽と串焼きを買いに行く。
「ピテラル、マルティネスを見習えよ」
「お嬢様、もう少し丁寧な言葉使いをなさってください。はしたないですよ」
叱られた。ピテラルはもうちょっと柔軟な思考が持てないものか。
例えば、平民の食べ物を食べることで、平民の普段の食生活を経験してみようとか。平民に歩み寄る貴族。なかなか良いと思わない?
そういう思考が持てないからたびたび平民と貴族の思考が乖離するんだよ、ともはや関係ない愚痴のようなことを考えた。
愚痴を述べたところでピテラルの思考が変わるはずもない。
早々に思考を切り替えて、他の店舗はどんなものがあるか見てみようと周りを見回した。
そこで、あるものを見つけ、足早に近寄った。
「お嬢様?」
ピテラルが怪しむようにボクに近寄った。ボクはそんなことにも気づかず、店に並んでいた商品の本を一冊、手に取った。
「魔術理論基礎……」
そう。ボクが書いた本。妹弟達が知らない人はいないくらい、と言っていた本。
ボクが半ば呆然とその本を見つめていると、店から商品を買って帰るところと思える親子が出てきた。その親子の会話の内容はあまり頭に入らなかった。でも、子供が持っていたのは、ボクが手に持つものと同じものだった。
「一冊、買っていきましょうか?お嬢様」
ピテラルがボクの肩に手を置いた。
なんとなく、むず痒いような、誇らしいような……でも、嫌ではない感情が湧き出て、ボクはピテラルの問いに素直にこくんと頷いた。
ちょっと長くなりました。まだ先生になってません。おかしいですね。
シルヴィアちゃんは10歳の女の子として書いてます。でも10歳ってどんな感じだっけ。自分の場合、あまり可愛いげの無い頃だった気がします。
誰か理想の10歳教えてください。
※追記:次投稿は11/15になります。