2 ボクが教師ってマジですか……?
さて、目の前に広がるのは、この国でもわりと豪華な部類に入るカノーヴィル伯爵家の今日の昼食です。今回は我が家一のレアキャラであるボクも一緒に昼食をとるということで、料理人達が張り切ってくれたのでしょう。いつもよりも豪華な食事を作るよう、さしずめお母様あたりが指示したのでしょうが、鼻孔をくすぐる良い香りが料理人達の頑張りを証明しています。我が家の優秀な料理人達のおかげで今日の昼食はとても美味しい食事を楽しむことができるでしょう。
それはそうと
「……先生?」
「そう、先生」
「誰が?」
「貴女が」
「先生に?」
「先生に」
おおう……
聞き間違えでも空耳や幻聴の類でもないらしい。
いかに優秀なボクの頭脳をもってしても、あまりに端的すぎる言葉と全く見えない過程のせいで理解する間もなく処理落ちした。
「この魔法学術書、お姉様が筆者でしたのね」
レイチェルが自分の側仕えから一冊の本を受け取り、それが何かわかるように表紙をこちらに向けた。
「お母様から、これはお姉様が著者なのですよと教えていただいた時はとても驚きましたわ。てっきり研究以外なにもしていないのかと思っていましたから。けれど、これはとても分かりやすく魔法の解説がなされていて、とても素晴らしいものですわ!民間に広く出回っているのも納得できます。そこで、理解したのです。お姉様は教師に向いているのでは、と!」
レイチェルは満面の笑顔で自分の考えを意気揚々演説する。
誰かこの暴走列車を止めてくれ……
善意なのだろう、善意なのだろうな。無職で引きこもりで色々な意味で交流断絶に陥っている姉にやっと適した職種が見つかったと喜んでいるのだから。それだけなら良い。かわいい妹だね。むしろ感謝するべき事案である。
しかし、レイチェルは肝心なことを忘れている。
職種の向き不向きではない。
ボクが
もう15年近くも家族としか会話をしたことがない
という事実だ。
「ちょっ…」
「ああボクも知ってますよ。なにせ学術院の魔法科必須教本でしたから。姉上は学術院に通ったことがないのでご存知ではないと思いますが、学術院に通った者では知らない者はいませんよ」
「えっ…」
「あっ、あのっ!わたしも、レイチェル姉上に賛成ですっ!たまには外に出たほうが元気になると思いますし、わたしはもっと姉上とお話したいです……」
「あの…」
まさか引っ込み思案なパーシヴァルまで出てくるとは思ってもみなかった。
なんでそんな大層なところの必須教本になってんのとか、なんでパーシヴァルまでレイチェルの就職計画に加担してるの?、とか言いたいことは山ほどある。
だが、一番重要なのはそこではない。ボクはあまりの事態にガタッと立ち上がり、レイチェルが向けた表紙の題名に指をさす。
「それはっ、魔法学術書じゃない!魔術理論基礎だ!!」
ついでに、解説しているのは魔法学ではなく魔術学である。混同しないでほしい。しかも魔術学の本が魔法学の教本だとは何の冗談だ。
「姉上、行儀が悪いですよ。席に着いてください。それと、姉上が細かいところを気にしてしまう性分なのは十分理解していますが、いちいち目くじらを立てられては会話が進みません」
おっと、いけないいけない。つい熱くなってしまった。
確かにクラレンの言う通りである。
ふと冷静さを取り戻すと、静かに椅子に座り直し、側仕えに椅子を押してもらう。
「一応言っておきますが、わたくしは他人に何かを教えた経験はありませんし、学術院のような規則性のある生活の経験もありません。
そもそも、ボクは他人と関係を持つのが不得手です
…ゆえに、不安材料の多すぎる教師という職種はわたくしには向いておりません。どうしても就職しなければならないのであれば妥協案として作家を希望します」
縛られるのはイヤだ。面倒事もイヤだ。
騒がしい子供の子守りなど論外だ。
「すでに何冊か出して売れていると聞いています。ほどほどに外出もするでしょうし、健康を心配しているパーシィもそれなら賛成でしょう?」
魔術についての本は"魔術理論基礎"の一種類だが、小説はもう何冊か出してそれなりに人気だとお母様から聞いている。なら作家になればいい。それでボクも家族もみんなハッピー、万事解決である。
レイチェルは言葉に詰まったような表情になり、クラレンとパーシヴァルは困ったように顔を見合わせる。お父様は終始我関せずを決め込んでいる。異論はないようだ。
作家になると言った以上、小説は定期的に新作を書かなくてはいけなくなったが、研究の気分転換に書きためたものがある。しばらくは研究時間に響くことはないだろう。いざとなったら研究成果の一部を適当にまとめて本にしよう。パーシヴァルに外に出ると伝えた以上夕食には顔を出す。就職した分レイチェルも無理にボクの部屋へ押し入ることも減るだろう。それで差し引き0としよう。
ボクは理想的に収まった結果に満足し、温かいスープを一口啜った。家族団欒の楽しい昼食につかの間の沈黙が舞い降りるがそんなことは気にしない。
さて、適度に食事を楽しんで早く戻ろう
「残念だわ、シルヴィア。なら貴女は学術院では先生ではなく生徒になるのね」
「は?」
せっかく頭が良いのに残念だわ、というお母様の言葉にボクは頭に疑問符を浮かべた。
「この国では、十歳になったら王都の学術院で学ぶことが推奨されているでしょ?一般人も貴族も王族も通っている全寮制の学術院。シルヴィアは今25歳だから、人族で言うとちょうど10歳にあたるでしょ?もう学術院に入学できる歳だから、シルヴィアは今年入学になるわね」
「お母様、ちょ、ちょっと待っ」
「でも同時に人族の年齢で言えば成人済みであるわけでしょ?シルヴィアは学力も十分だから先生と生徒のどちらになるか選べるのよ。でもシルヴィアが嫌がるなら生徒として入学になるわね」
「ちょっと待ってください!」
なんで?
なんでいつの間にボクの学術院入学が決定事項になってるの?
「学力が十分なら通う必要性はありません!」
「貴女の場合、知らない人と交流する経験を積むために入学するのよ」
「規則性のある生活の経験も」
「それを経験する良い機会だわ」
「仮に教師として教えるにも」
「あれだけ万人にわかりやすく解説できる本が片手間で作れるなら問題ないでしょう」
「………」
「貴女の妹弟達もみんな通ったのよ?元々貴女も適正年齢になったら通わせる予定だったもの」
「交流経験を積むためなら他でも…」
「規則性のある生活も同時に経験できるのは学術院以外にあるの?」
最後の足掻きすら封殺された。まさか味方側だと思ってたお母様もあちら側だった。しかも、どう足掻いても逃がすつもりはないらしい。
絶望した。
選択肢は教師か生徒の二つのみ。
ほとんど選択肢などあってないようなものである。
生徒になることを選んだ瞬間。それは、他の十歳のガキ共と同位置になると同時に、すでに成人済みで学術院も卒業している妹弟達の下に位置する立場になることと同義。
たとえ背を抜かれようと、先に成人を迎えられようと、姉としての矜持として、それだけは許容できない。できるはずもなかった。
「先生に……なります……。なればいいんでしょう……?なればいいんでしょうっ……!?」
もはや半分自棄である。
「良かったわー。じゃあ、もう学長さんには話を通しているから準備が整ったら王都に行ってらっしゃい。今月中ならいつでも歓迎しているそうだから、のんびり行くといいわよ?王都は観光地としても有名ですし」
のんびりと答えるお母様にあっさり形勢を逆転され、シルヴィアは頭を抱えていた。そして、今回の件の主犯もようやく判明した。
お母様!犯人は貴女か!!
同族のお母様は同族の娘をよくわかっています。
それはそうと、お母様は若々しい87歳です。始祖族換算なので人族でいう二十代前半にあたります。
お父様は人族なので、実はお母様の方が年上という実態。姉さん女房です。はたから見ると同年代にしか見えません。
これからも歳の差がわりと頻繁に出てくる予定です。
※追記:次の投稿は11/13になります。